過去のおはなし。
ミルヒ・ラッテは、ミノタウロスのウィークリングです。
それ以上のことを、彼女は知りません。
記憶喪失なのです。
気が付いたら、ちょっぴり狭い豪華な部屋にいて、ずっとそこで本を読んでいました。
もっぱら読んでいたのは絵本です。
道徳を学ぶためとして優秀な絵本から、こどもが自らすすんで読みたくなるような知的好奇心を満たす絵本、読み手を完全に舐めているようなものまで多種多様でした。
どんな絵本でも、真剣に読み続けていました。
本を読んでいると、たまに
男はご飯を運んでくるほか、実験の名目で採血したり何かを注入したりしてきましたが、なぜかミルヒは抵抗する事も問いただす事もせず、絵本に夢中になっていました。
絵本以外、どうでもよかったのですから……
そんな日々は、冒険者によって終わりました。
いつになく慌ただしく部屋の中に入ってきた
ミルヒが彼と会ったのは、それが最後となりました。
次にやってきたのが冒険者たちです。彼らを見たミルヒは首を傾げるだけでしたが、彼らは絵本を読み漁る巨躯を見てかなりギョッとしていました。
そして、恐る恐る近付いて、ここで起きた事をひとつひとつ起きたことを丁寧に教えてくれました。
ここは魔動機文明時代の食糧生産工場跡で、ミルヒは実験体として彼の知的好奇心のために使われてきたとか、彼はお肉を育てて悪い事をしていたひとだったので、その場で倒したとか……いろいろです。
でもミルヒはそんな話なんかより絵本の続きが気になっていたので、冒険者達の話が一区切りついたところで、絵本の続きを読んでもいいかと訊ねました。
説明を終え水を飲んでいた冒険者は、先ほどの彼と同じような顔をして、ゆっくり頷きました。
紙をめくる音と、部屋の外で嘔吐していた冒険者の苦しそうな呻き声だけが、静かな空間に響いていました。
夜が来れば、彼らは他にもやってきた人たち──魔動機師ギルドの調査員たちだったそうです──と何やら会話を交わし、交代で見張りをしながら、絵本に読み疲れて眠ってしまったミルヒの横で、同じように眠っていました。
そして朝日が昇る頃、ミルヒは彼らに連れられて、初めて外へと踏み出しました。
オレンジ色の朝焼けや、緑色の森に、茶色の岩山……絵本でしか見たことないような光景が広がっていても、彼女はどこかボーッとした表情で眺めるだけです。
それを訝しげに見つめる冒険者達の視線に気付いたミルヒは、まだ読めていなかった絵本を持っていく事を許可してくれた彼らに、感謝の言葉を述べました。
そうして遺跡を後にしたのです。
でもなんだか、おかしな気がするのです。
彼女には記憶はないのですが、その、記憶が始まった頃のミルヒと、働き始めた頃のミルヒは、なんというか、違う人物のような気がします。
どこかで入れ替わってしまったかのような、地続きでないような、ふわふわした記憶が最初の方にあるのです。もしかしたら、薬品のせいかもしれないのですが……
ミルヒ・ラッテにとってはそんなことより、今の方が大事なのでした。
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