ドーラ・オセロトラの話②『Dos !!』
ドーラが目を覚ますと、そこはいつも通り、暗く息苦しい牢屋の中でした。
牢の外からはかすかに潮の香り……いえ、腐った魚介類のような臭いが漂ってきています。
父の姿を最後に見たのは何年前だったでしょうか。
魔動列車の中で行われるはずだった7歳の誕生日パーティは結局行われることなく、あの日食べたのはよくわからない食べ物で。
5日ほど、熱と腹痛に苦しんだ記憶だけが彼女の頭の中に浮かんでいました……。
あの日、《キングスレイ鉄鋼共和国》で魔動列車に乗り、《ラージャハ帝国》へと向かう最中に列車が蛮族に襲われ、車内はパニック状態でした。
最初は父が側にいて、普段の服装でありながら蛮族をちぎっては投げちぎっては投げをする姿を見て興奮していましたが。
気が付いた時にはそばに父はおらず、きょうだいの一部と母がそばでぐったりしているだけでした。
牢の外の蛮族が語ったところによると、ちょうど上位蛮族が戯れで襲撃を仕掛けたらしく、護衛の冒険者たちですら、ひとたまりもなかったそうで……。
怯える家族達の代わりに父の行方を聞いても、蛮族はへらへらと笑っているだけで。
それ以上のことは、もう、聞く気にもなれませんでした……。
それからというもの、ドーラは直視もしたくない現実を見続けてきました。
自分達が、闘技場の役割を果たせるほどに大きな船に闘技用奴隷として連れてこられた時、彼女はきっと誰かが助けに来てくれると思っていました。
毎年の誕生日に食べていたごちそうはもう食べられず、これから何度も腹痛や熱に苦しむはめになるのだと悟った時、彼女は症状に加えて涙を流し続けたことで、脱水症状で死にかけました。
手枷を外され、
父親の見様見真似で使った技の全てを容赦なく潰され、そのたびに剥ぎ取られることは死を意味する伝統のマスクを必死に守る姿を嘲笑された時、彼女はここで泣いても負けなのだと涙を堪えました。
それでも家族のために力の限り刃向かい続けてやっと届いた拳は相手に傷すら付けることも敵わず、そのまま面倒くさげに〈マスカラ・デ・アルマ〉を剥ぎ取られた時、彼女は家族がどうなるかとか
痛みや苦しみで熱くなったり、逆に寒くなったり、あって当然の感覚がなくなる喪失感に苛まれはじめて、彼女は自ら意識を手放す方法を学びました。
相手は遊び感覚で殺せるぐらいなのだから、むしろ生かされていることを感謝するべきなのだと決めてから、彼女の生活は以前より楽になりました。
家族の中で自分がいちばん蛮族に刃向かい、いちばん痛めつけられ、いちばん従順になったことを知り、彼女はあんな努力はしなくてよかったのだなと、溜息をつきました。
きょうだいの一部が衰弱し、そうなった者から順に闘技場や厨房で死んでいったことを知り。
彼女は、本当に、本当に無駄だったのだなと、無性に悲しくなりました……。
その日、ドーラは拳にバンデージを巻きながら「今日でそれも最後になっちゃうんダ」と、過ぎ去った日々を懐かしく思う余裕すらも見せていました。
先程、珍しく牢の前にまでやってきた副艦長が、闘技場への出場命令を告げ、
それを少し遅れて理解すると、教えられた通りに準備をしてから牢を出て、牢番の魚人サハギンに感謝と別れの言葉を告げました。
牢番はそんな彼女の顔を見て、怪訝な顔をしていました。
それから“お世話になった”蛮族たちに頭を下げて回り、感謝の言葉を述べ、与えられた最後の仕事をひととおりこなし、
時間より少し遅れて甲板の闘技場へと出てきた彼女が見たのは、
母親と、まだ生きていたらしい3人のきょうだいの姿でした。
彼女は一瞬歩みを止めましたが、観客席の蛮族や海賊達が声を揃えて叫ぶ簡潔で短い欲求の言葉で我に帰り、それを遂行するために家族の元へと歩み寄りました。
歩み寄って、しまいました。
観客たちの歓声に応える姿は、確かに
家族の誰もが大勢の観客の中でその姿を見せることを望んでいた、はずでした。
でも、目の前にいる彼女が応えている歓声は下賤で野蛮で残酷極まりないもので、
彼女の浮かべている笑みは人懐っこかった頃のかわいらしいものではなく、見え隠れする八重歯は相手に致命傷を負わせる、捕食者のそれでしかありませんでした。
なによりも、目元を覆うそのマスクは場違いなほどに鮮やかで、ヒロイックで。
これから起こる事は大衆芸能の延長線でしかないのだと語っています。
場の盛り上がりが最高潮を迎えた時、実況役の海賊がその名を告げました。
「──『ウニャ・デ・ガト』!!」と……。
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