第22話 アルヴィンのお姫さま ★
久しぶりの夜会。アルヴィンは
気付くと季節は夏の盛りから秋へと移り変わり、それに合わせて貴族たちの装いも秋色に染まっている。
夕日色や葡萄色のドレスを眺めながら、エマがしみじみと口を開いた。
「振り返ってみれば一瞬の二か月でしたね。シスネさまはお元気にしているのでしょうか。合宿が終わってからなかなかお会いしていただけなかったのですけれど」
「今夜来ると言っていたのだろう? なら心配せずに待っていればいい」
言いながら、アルヴィンはさりげなくエマに目を走らせた。
彼女は今日、いつになく濃い化粧で決めている。
絹を思わせる月白の髪に揺れるのは、アルヴィンが贈ったアメジストの髪飾り。澄んだ目元には濃紫のラインが引かれ、エマの硬質な美しさを引き立てている。
色味の濃いドレスと化粧のおかげか、それとも元々の美貌のおかげか。体は小柄ながらもきりりとした佇まいには、目を離せなくなる迫力があった。
アルヴィンが目を細める。
(前よりさらに綺麗になったな)
出会った頃のエマも美しかったが、最近はその美貌にますます磨きがかかっている。ふわふわとしてどこか頼りなさそうだった風情に、凛とした落ち着きが加わったと言うのだろうか。
少女が大人の階段を上るというのは、こういうことなのかもしれないとアルヴィンは密かに思った。
それから何気なく会場の入り口に目をやり、「おや?」と呟く。
「エマ。あれは……シスネじゃないか?」
そう言って指さしたのは、つややかな赤ワイン色の髪をした女性だ。
くすみのあるモーブピンクのドレスは華やかすぎず可愛らしすぎず、シンプルな作り。それでいて体は、女性らしいまろみを帯びた扇情的なラインを描いていた。膨らむところはふくらみ、くびれるところはやわらかにくびれ、まるで名画に出てくる愛の女神のよう。
しかし見覚えのある顔と、何よりアルヴィンにだけ見えるオーラはまぎれもなくシスネのものだった。顎や頬の肉が削ぎ落されて、別人に見えるくらいすっきりしている。
「シスネさま!?」
エマが仰天していた。いや、エマだけではない。周りにいる男も女も、皆シスネを見てざわめいている。
「あれは誰だ?」
「あんな美しい方いたかしら……?」
「でもどこか見覚えがあるような」
見れば、遠くにいるアリシアたちもいぶかしげに見つめている。
無理もない。アルヴィンですら、彼女のオーラを覚えていなかったらすぐには気づかなかっただろう。
きょろきょろと辺りを見渡していたシスネは、やがてエマを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。
「エマさま! お誘いを断ってばかりでごめんなさい、どうしてもびっくりさせたくて……ひとりでがんばっていたんです」
言いながら、彼女がぽっと頬を赤らめる。
――強化合宿を終えたエマは、最近シスネと会えなくなったとぼやいていた。
どの夜会にも姿を現さず、訪問も断り、唯一の連絡手段は手紙のみ。アルヴィンも不思議に思っていたのだが、今のシスネを見るに、どうやら全て今夜の為だったらしい。
エマがずいと一歩近づく。その顔は相変わらず硬いが、瞳はらんらんと輝いていた。
「すばらしいです、シスネさま! 以前のあなたも素敵でしたが、今はまさに女神のような美しさですね」
「女神だなんて、そんな……!」
だがそこまで言って、キッとエマの表情が険しくなる。
「ですが、ペースが速すぎます。さては、わたくしが渡したメニュー以上のことをなさっていますね?」
途端、悪事がばれた子どものようにシスネが視線を泳がせた。
「そ、それは……その、早く成果を見せたくて……」
どうやら、エマの言う“健康的な配分”以上のことを、シスネが独断で行っていたらしい。表情から察するに、彼女も怒られることをうすうす分かっていたのだろう。
エマが詰め寄る。
「いいですか、シスネさま。努力家なのは感心ですが、無理をしすぎたら体に毒です。おまけに急激に体重を減らしてしまうと、その分戻りやすくもなってしまうのですよ? これからはくれぐれも、配分を守ってくださいね?」
「は、はい……」
しゅんと肩を落とすシスネに、エマがおほん、と咳払いした。
「……でも、これだけ痩せられたのは、まちがいなくシスネさまの努力あってこそ。せっかくですから、今夜は存分に美しさを見せつけてやりましょう」
「エマさま……!」
シスネが感極まったように瞳を潤ませた。
少し離れたところでは、シスネだと気付いたらしいアリシアが歩いてくる。だが彼女がシスネにたどり着く前に、先に声をかけた人物がいた。
「シスネ!? 驚いたな……本当にシスネなのか?」
そう言ったのは、体格のいい青年だ。
アルヴィンよりさらに高い背丈に、肩幅はがっちりとしていかにも騎士向きな体型。顔は素朴ながら、その分人柄の良さがにじみ出ていた。
シスネの頬が、ぽっと染まる。そのまま恥ずかしそうに、彼女はもじもじと身をくねらせた。
「ティム……」
目の前の男性は、シスネの婚約者のティムだった。
彼はしぱしぱと目を瞬かせながら驚いたように言った。
「しばらく会わない間にすごく綺麗になったね」
穏やかな声には彼の誠実な人柄が現れているようで、男のアルヴィンが聞いていても心地よい。瞳にも邪なオーラは一切なく、いうなれば純度百パーセント。直感的に信じられる人間だとアルヴィンは判断した。
(驚いたな。こんな人物が社交界にいたのか。名前を覚えておこう)
ティムの家は、取り立てて目立つ何かを持っているような家柄ではない。だが彼本人からただようオーラは、将来大物になると思わせる確信めいた何かがあった。
シスネがもじもじしながら口を開く。
「そ、そうなの……。その、痩せたらもうあなたが友達にからかわれることもなくなると思って……」
「からかわれる? ……ああ、あいつらのことなんか気にしなくていい。彼らはもう友達でもなんでもないから」
苦い顔でティムが言った。
「そうなの……?」
「彼らが君をからかうのは、僕が伯爵家の令嬢である君と婚約して悔しいからだ。その件はすまなかった。縁を切るのが遅くなったばかりに、君を傷つけてしまった」
「そ、そんな! いいのよ、むしろ、あたしなんかが婚約者で本当に迷惑かけてしまったんだもの。お姉さまたちは皆美しいのに、あたしだけこんなんで……」
「迷惑なわけあるものか」
ティムは力強く否定した。それからシスネに向かって優しい笑みを浮かべる。
「僕たちは幼なじみだけど、もしホーキンズ家の令嬢たちと縁があるなら、ずっと君がいいと思っていた」
「え……?」
ティムが、シスネの女性らしく丸みを帯びた手をとった。
「覚えているかいシスネ。僕が将来自分の店を開きたいと話した時、君たち姉妹の中で笑わずに話を聞いてくれたのは君だけだった」
「そ、それは、あなたの計画がすごかったから……」
「それでも僕は嬉しかった。あの時から、僕は伴侶に迎えるならずっと君だと決めていたんだ」
「ティム……」
(おやおや、これは……。わざわざ変身させる必要もなかったな?)
アルヴィンはその成り行きを、驚きとともに見つめていた。
シスネとティムは手を取り合って見つめあい、すっかり二人の世界に入っている。
と、その時。シスネのそばに立っていたエマが、少しずつ後ずさりしてきた。彼女の細い肩がアルヴィンにぶつかる前に、とんと肩を押さえて止めてやる。
こちらを振り向いたエマは、やや声を抑えながら言った。
「……アルヴィンさま。こういう時は、退散した方がよいのでしょうか?」
「おや。ここに来てそういう空気が読めるようになったのか」
からかえば、エマの顔がむっすりとしかめられる。
「最近はリュセットさまに色々教えていただきましたから、さすがに」
「きちんと勉強しているのか。えらい、えらい」
からかうように褒めれば、エマは不満そうながらもどこかすました顔だ。
――最近は努力の甲斐があってか、エマもだいぶアルヴィンに慣れてきていた。
こうして隣に立つのはもちろん、たまにエマの方から服のすそをひっぱってきて話しかけられることもある。
正面から目を合わせて喋っていられるのも、最初の頃からは信じられないほどの進歩だ。
(相変わらず手は怖いみたいだが、それはおいおい解決していけばいい)
彼女の過去に何があったのかはわからないが、手を差し出した時の青ざめ方は尋常ではない。アルヴィンも、怖がらせるようなことは極力したくなかった。
(ゆっくり探していけばいい……。時間はたくさんあるんだ)
アルヴィンは目を細めた。
世の中では、時間は有限だとか、別れは突然にだとか、時の貴重さを謳う話は山ほど出回っている。だがアルヴィンは、そのどれにも耳を貸す気はなかった。
なぜなら、絶対にエマとの時間を手放す気がなかったからだ。
(もし死神がエマを連れ去るというのなら、どんなことをしてでも必ず奪い返してやるさ)
誰にも彼女との時間を邪魔させない。それはアルヴィンの、何よりも硬い決意だった。
「わたくしも、きちんと勉強しておりますので!」
目の前で顎をそびやかす可愛いお姫さまを、アルヴィンは愛おしそうに見つめる。
(……俺も大概嘘つきだな)
エマに婚約を迫った時、シロに「アルヴィンさまもその口で?」と聞かれて否定したことがある。だがあれはエマを不用意に怖がらせないための嘘だ。
――本当は出会った時から、ずっと彼女を手に入れたいと思っていた。
(一度手に入れたのなら、もう二度と離すものか)
アルヴィンの決意を、エマはまだ知らない。
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近々作品タイトルを少し変える予定です。
(多分「わたくし、悪女でございますので〜断罪されそうな雪の王女はなぜか腹黒王子に求婚されていますが、悪女をお望みならなりきってみせましょう~」になります)
混乱しないよう、事前告知でした。
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