第21話 雪遊びしましょう

「趣向を変えて、今日はみんなで雪遊びをしましょう。適度な息抜きも大事ですからね」


 すっかりおなじみとなった裏庭で、まるで雪国にいるような厚手の外套を着たエマが言った。その足にはブーツに、ご丁寧に手袋まではめてある。


「雪遊び……? あの、エマさま。今は七月ですよ……?」


 カッと照り付ける太陽を前に、シスネがハンカチで汗を拭いながら言った。

 彼女だけではない。暑くなり始めた気候に、リュセットもアルヴィンも袖をまくりあげている。太陽もさんさんと存在感を放っており、雪どころか雨の一滴ですら振らなさそうな天気だ。


 それを、百も承知と言った顔のエマがうなずく。


「実はわたくし、魔法を使えます」


 その言葉に、シスネが思い出したように「ああ」と呟いた。


「そういえば以前、アリシアさまのネックレスを直していましたね! あれはなんだったんだろうって、あの後エマさまの話で持ち切りだったんですよ」


 シスネの言葉にエマはうなずき、ちらりとアルヴィンを見る。


 今日のことはあらかじめ彼に相談してあった。

 アルヴィンいわく、知られてまずいのはエマが金貨や宝石を作れる能力。雪を降らせるぐらいなら、今さら知られても大した害はないだろうというお墨付きをもらっていた。


 だから今日は、エマにとって久々に思い切り魔法を使える日だ。最近は約束を守って魔法を使っていなかったため、腕が鳴るというもの。

 エマは手袋をはめた手を天に掲げると、声高に叫んだ。


「祝福を!」


 ぱぁっといつもの白い光が瞬き――次の瞬間、ゴッ! と、横殴りの吹雪が辺りを覆い隠した。


「待て待て! やりすぎだ! 凍え死ぬぞ!」


 アルヴィンの声に、エマが慌てて魔法を止める。吹雪が止んだ先に見えたのは、頭や肩に雪を積もらせたシスネたちが言葉もなくがたがたと震えている姿。


「す、すみません。張り切りすぎました。もう一度……――祝福を」


 加減を間違えないよう、慎重に、そっと魔力を調整する。

 今度はいくぶん控えめな光が走ったかと思うと、どこからともなくふわり、ふわりと大粒の雪が降り始めた。


 エマが糸を束ねるように数回手を動かすと、雪は瞬く間に一か所に集まってくる。みるみるうちに雪が降り積もり、その間にシロがアルヴィンたちに冬用の衣服を手渡していく。


 やがてエマたちの前に現れたのは、アルヴィンの背よりも高い大きな雪山だ。裏庭一面を真っ白に染め上げた季節外れの雪を前に、冬服に着替えたシスネが歓声を上げる。


「すごいすごいすごい! こんな大きな雪山は初めて……! でも、あの、これで何をするの?」

「もちろん、滑ります!」


 言いながらエマはいつの間に用意したのか、背後にある木製のそりを指した。


 スパルクと呼ばれたそれは、エマの祖国でよく使われるそり。椅子の足に長い板をくっつけており、前の椅子に座って滑ってもよし、後ろに立って足で蹴って滑ってもよしの優れものだ。


「きゃー!!! 速い! 楽しいわ!」

「私、雪遊びなんて初めてです!」


 冬服に着替えたシスネとリュセットが、きゃっきゃと声をあげながらそりに乗ってなだらかな雪山を滑っていく。その後ろから、シマエナガたちを抱えたシロがものすごい速さで追いかける。


「かっとばしますよッ! 落ちないよう、しっかり掴まっててくださいねッ!」


『姫さまの雪山久しぶりなのー!』

『たーのしーいっ』

『ぷぷぷ~! ぷぷぷ~!』


 みんなの楽しそうな声に、エマも張り切って言った。


「次は二人乗りしましょう! 前に乗りたい方はいますか? イルネージュのおてんばと呼ばれたわたくしのそりさばきをお見せいたします!」

「エマ、祖国の名を言葉に出していいのか?」


 あきれた顔をするアルヴィンに、エマがしまったと首をすくめる。


「そ、それは……それより! アルヴィンさまも一緒に遊びましょう! よかったら前に乗りますか!?」


 誤魔化すように、エマはそりをひいてずんずんと近づいていく。それからそりを突き出そうとして、がさりという音とともに手が止まった。

 どうやら雪に埋もれていた何かに、そりが引っかかってしまったらしい。


「む、何でしょうか……。えい……この……っ!」


 なかなか抜けないことに躍起になって、エマが力強くひっぱったその時だった。バキッという音とともに、木ぞりが壊れてエマの体がぐらりと傾いだ。


「あっ!」

「危ない!」


 この時エマは、完全に無防備だった。制止を失った体が勢いよく後ろにひっくり返り、真っ青な空と太陽が視界に映る。


(雪だから転んでもそんなに痛くはない――ってアルヴィンさまが後ろに!)


 そう気づいた時、エマは既にアルヴィンの腕の中にいた。


 どんと背中に伝わる、彼の体。


「おい、大丈夫か」


 上からアルヴィンの声が降ってきた。先ほどまで太陽があった位置に、今は陰になった彼の顔がある。


 気づけばエマは後ろから抱えられる形で、アルヴィンの腕の中にいた。

 ぱら、と彼の肩につもった雪が、エマの頬を濡らす。


 逆光の中でも光る、透き通ったブルーの瞳。いつもよりやや乱れた黒髪はつややかで、雪で凍えた鼻の頭がかすかに赤くなっている。そのまま、アルヴィンはふっと笑った。


「まったく……俺のお姫さまは本当におてんばだな」


 その笑顔がなぜかやたら眩しくて、エマは言葉を失った。


 そんなエマを、アルヴィンは違う風にとらえたらしい。


「って悪い。この距離はダメだったな。わざとじゃないから怒るな、すぐに放す」


 言いながら、エマの背中をぐいっと力強い手が押し上げる。


 すぐさま最初から何事もなかったかのようにその場に立たされたエマは、そのままぼーっとそりの紐を握りしめていた。


「……ん? というかお前、熱ないか? 顔が赤いぞ」

「え」


 わたくしが熱なんてまさか、という前に、アルヴィンの手が伸びてきた。

 長い、けれど男らしく節くれだった指に前髪がかきあげられる。続いておでこにコツンと彼のおでこが当たった。青い目が、至近距離でエマの瞳をとらえている。


「ほら、やっぱり熱いじゃないか!」

「え? え?」


 アルヴィンが慌てたように言った次の瞬間、ふわりとエマの体が持ち上がった。――彼に、お姫さまだっこされたのだ。


 きゃー! と遠くから歓声が上がった。シスネだ。


 そこへ、何事かと瞳孔を開かせたシロがぴょんぴょん飛び跳ねながらやってくる。シマエナガたちは落ちないよう、足で必死にシロの肩を掴んでいた。


「あらあらあら! どうされましたッ?」

 

 アルヴィンがすぐさま答える。


「エマが熱を出している。このまま部屋まで連れて行くから、あとはシロが看てやってくれ」

「姫さまが、熱……?」


 一瞬、シロが首をかしげた。それから何かさえずろうとしたシマエナガたちをすばやく腕の中に閉じ込め、にぱっとした笑顔を浮かべる。


「はぁい! かしこまりました! わたくしめが責任をもって看病いたしますので、どうぞお部屋にお連れしてください!」


 その言葉に、アルヴィンがうなずいてからシスネたちを見た。


「悪い。そういうわけで今日はいったん解散だ」


 えーっと声をあげるシスネの口を、リュセットがすばやくふさいだ。


「いえ、お気にせず。それよりエマさまお大事に」


 そうしてにこにこしたリュセットと不満げなシスネに見送られながら、エマは抱っこされるがまま、部屋へと運ばれた。


 運ばれる間も顔は相変わらず熱く、頭はぼうっとしている。体はカチコチに固まって、そのくせ心臓はバクバク。まるで熱を出してしまったよう。


 シロが急ぎ整えてくれたベッドに、アルヴィンが慎重に、壊れ物を置くようにそっとエマをおろす。そして手ずから手袋と外套、ブーツを脱がせて、すばやく布団をかけてくれた。


「今日はもう休むんだ。お前もずっと頑張っていたからな、疲れが出たのかもしれない。いいか、今日はもう筋トレしようなどと思うなよ?」


 怖い顔で言われ、エマは赤くなったままの顔でこくこくとうなずく。

 途端、ふっとアルヴィンの相貌そうぼうがくずれた。彼の長い指が伸びてきて、エマの前髪をさら……と撫で上げる。どくん。また心臓が強く跳ねる。


「ほら、耳まで赤くなっている。早く治してまた合宿を再開しよう。俺だけじゃなくて、お前の新しいお友達も待っているからな」

「は、はい」


 エマの返事に満足そうにうなずくと、アルヴィンは立ち上がった。


「シロ、後は頼んだ。裁判所の件は俺が進行を止めてある。あと三か月は余裕のはずだ」

「おや? 三か月もですか! さすがアルヴィンさまですね!」

「こういう時こそ、第二王子の権力を使わないとな」

「ふっふっふ。悪い顔をしてらっしゃいますねえ。でもわたくしめ、そういうの大好きでございますよ!」


 何やら二人で悪い顔をしてから、アルヴィンは部屋から出て言った。その途端、シロに捕まっていたシマエナガたちがぴょんぴょんと腕から飛び出す。

 解放された喜びに、小さなくちばしが一斉に震えた。


『姫さま、熱って本当!?』

『風邪引いてるの初めて見たぁ~!』

『病気にならないかと思ってたの~ぷぷぷ~』


 エマの胸の上で跳ねるシマエナガたちを、シロはにやにやしながら見ている。


「そうなんですよねえ。姫さまは一族生粋の健康優良児。幼児の頃ですら熱は出したことないのに、まさかこのお年になって風邪を召されるとは。これはこれは、女王さまにご報告しないとですねぇ」


 シロの言葉に、エマは黙ってふとんを引き上げた。まだまだは、引きそうにない。

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