第20話 わくわく筋肉強化合宿

「記念すべき合宿初日から素晴らしい天気。大変幸先がよいですね」


 エマが住むフィッツクラレンス伯爵邸の庭。


 朝のさわやかな日差しに照らされながら、白シャツ一枚に簡素なズボンという、軽装に身を包んだエマが腰に手をあてて立っていた。

 庭にしては珍しいぐらい花も低木もない、ただの原っぱにも見える裏庭に並ぶのは、同じような服を着たシスネ、アルヴィン、それにリュセットだ。


「昨日の今日で本当に合宿なんだな……。というかシスネ嬢もよかったのか? エマの家に一ヶ月泊まり込みだなんて」


 アルヴィンが気をつかってか、シスネに話しかけた。緊張した面持ちのシスネが、手をぎゅっとにぎる。まるで自分を鼓舞しているようだ。


「だ、大丈夫です。あたし、本気ですから。……それに、エマさま」

「はい。質問があるならどうぞ」

「いえ、質問ではなく……その……」


 しばらくもじもじした後、シスネは意を決したように口を開いた。


「この間は、本当にごめんなさい!」


 バッと、勢いよく頭が下げられる。その拍子に、頭の後ろで結んだ赤いおさげがふわりと宙を舞った。


「あなたにひどいことをたくさん言ったのに、こんなに優しくしてくれて……。あたし、本当に自分が恥ずかしいです。なんて言ったらいいのかわからないんだけど、その、いつかこのご恩はきっと返します!」


 シスネの言葉に、エマはふっと笑みを浮かべた。相変わらず表情筋が仕事をしてくれないせいで、唇の片方だけ吊り上げた邪悪な笑みになってしまったが、気にせず続ける。


「わたくしは全然大丈夫です。それより、泣き言を言っても止められませんから覚悟してくださいね」

「えっ?」


 きょとんとするシスネに、エマの隣に立っていた侍女姿のシロが嬉々として言った。


「ひめ……お嬢さまの特訓は厳しいですからね! 皆さまめげずにがんばりましょう!」


 シロの肩に乗っているシマエナガたちもジルルルとさえずる。


『毎回誰か泣き出すんだけど、大丈夫かなぁ?』

『アタシ、あの赤毛の子が最初に泣くと思う!』

『泣いたら慰めてあげよ~ぷぷぷ~』


 アルヴィンの目がバッとシマエナガたちに向けられた。その顔には『本当に大丈夫なのか!?』と大きく書かれている。


「大丈夫です。なんだかんだ皆さま最後までやり遂げられるので」


 エマのフォローになっていないフォローに、ずっと黙って聞いていたリュセットが吹きだした。それを見ながら、アルヴィンが不思議そうに尋ねる。


「ところでなぜリュセット嬢もここに?」

「何やらおもしろそうなことをやるとお聞きしたんです。減量したいわけではないのですが、筋肉をつけるのは美容にもいいとお聞きしまして」

「はい。リュセットさまはシスネさまとは別メニューをこなしていただきます。程よい運動は肌にツヤと張りを出す効果があると、お母さまも言っていました」


 エマは自信たっぷりに言い切った。その、“ツヤと張り”という言葉に、シスネとリュセットがぴくりと耳を震わせる。


「大丈夫です。あたし泣くかもしれませんが、今回はがんばれそうな気がしています!」

「ええ、私もです。どうぞお手柔らかにお願いいたしますわ」


 先ほどの怯えはどこへやら。二人とも、瞳がらんらんと輝いていた。


「お二人ともすばらしいです。それでは早速朝の走り込みから行きましょう。まずはゆっくりめに三周から。さあ!」


 言うなりエマが駆けだした。その後ろを、シスネ、リュセット、アルヴィン、シロの四人が慌ててついていく。さらにその後ろを追いかけるのは、小さな羽を一生懸命動かす三羽のシマエナガ。


「いちにっ! いちにっ、いちにっ! はい、みなさまご一緒に!」

「「いちにっ! いちにっ!」」


 顔を真っ赤にしながら、シスネが続いた。リュセットは苦しそうに、でもその声は楽しそうだ。最後尾を走るアルヴィンの横で、シマエナガたちも楽しそうにさえずっている。


『ぴっぴっぴ~』

『ぴっぴっぴ~』

『ぷっぷっぷ~』


 精霊たちの呑気な声に、アルヴィンがふっと笑う。メイド服のまま走るシロが彼に尋ねた。


「と言いますか、アルヴィンさまも参加なさっているんですねッ!?」

「付き合いでね。さすがに俺が見ているだけというのも、情けない話だし」


 それをさりげなく聞いていたエマが、ぐっと力こぶを作りながら瞳を輝かせる。


「よい心がけだと思います! 男女問わず運動は体によいもの。筋肉はお友達だと、お母さまも言っていました!」


 エマの言葉に、息も絶え絶えなシスネとリュセットが続く。


「はぁはぁ……! 筋肉は、お友達っ……!」

「筋肉は、お友達。素敵な、言葉ですねっ……!」


 後ろではまたもやアルヴィンが口に手を押し当てて笑っていた。シロが走りながら、くつくつと笑うアルヴィンに近づく。


「アルヴィンさま……最近はすっかり笑い上戸ですねぇ」

「この状況で笑わずにいられる方がすごいよ。まったく……俺のお姫さまといると、本当に退屈しないな」

「それは、ようござんした。わたくしめも大変嬉しい限りです」


 シロが白い歯を見せて、にんまりと笑った。







 翌日。またもやよく晴れた天気の中、エマは裏庭――ではなく、シスネ用の客室にいた。ソファではシスネがラフなドレスのまま、病人のようにぐったりとしている。


「シスネ嬢はその……大丈夫なのか?」


 不安になって口を開いたのはアルヴィンだ。

 屍のようなシスネの顔に昨日までの覇気はなく、ただ茫然と目を見開いて天井を見つめているだけ。


 いつもの令嬢服にきっちり身を包んだエマが、シロの淹れた紅茶を飲みながら答えた。


「大丈夫です。筋肉痛をおこしているだけなので」


 エマの言葉にシスネが顔を上げようとした。だがその動きすら体に響くらしく、うう、と呻いたきりまたもや動かなくなる。

 エマがもう一口お茶を飲んだ。


「筋肉痛は誰にでも訪れるもの。そして痛みがあるということは、筋肉が成長している証。今日は無理せず休みましょう。……ところでアルヴィンさまは平気なのですか?」


 はたと思い出してエマは顔を上げた。

 昨日はシスネとリュセットだけではなく、アルヴィンもなんだかんだ全ての工程に付き合ったのだ。


 走り込みのあとは腹筋に背筋に胸筋にと、盛り込めるだけ盛り込んだ。そのあとは料理人に頼んだ減量用スペシャルメニューを皆で食し、ひと休憩入れた後はさらに運動。


 お風呂で入念にほぐしたものの、エマもこれだけやったのは久々だ。今朝は腹筋のあたりがやや突っ張る感じがするというのに、アルヴィンはいつも通り涼しい顔をしている。洗練された立ち振る舞いを崩すことなく、最初から何もなかったかのよう。

 リュセットも今日は動けず、家で休むと連絡があったのに。


「これでも騎士団に混じって鍛えていたからな。服に隠れてわかりづらいだろうが……脱いで見せようか?」


 にやりと、アルヴィンがいたずらっぽく笑う。おかげでエマは、あやうく持っていたカップをひっくり返すところだった。


「結構です!!!」


 わなわなと叫べば、それまでぐったりしていたはずのシスネがなぜか目を輝かせて起き上がっている。


「あ、あたしちょっと見た……いえなんでもありません!」


 ぐりんと顔を向けると、シスネは慌てて言葉をひっこめた。

 エマが憤慨する。


(そういえばアルヴィンさまはこういう方でした! 本当に、油断厳禁です!)


「お嬢さま、顔が赤いですよぉ」

「シロも、にやにやしないで怒ってくれるかしら!?」


(まったく! みんなして!)


 憤りながら、がちゃんとカップを乱暴に置く。目の前ではアルヴィンが、まだくつくつと笑っていた。

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