第16話 ガラスの靴
「それにしても、まさかお前があんなに怒るとはな」
会場の片隅で、ジュースが入ったグラスを差し出しながらアルヴィンは言った。
エマは少し離れた場所で踊るリュセットを見ながら、そのグラスを受け取る。リュセットは金髪碧眼の少年――アルヴィンいわく、彼の弟で第三王子らしい――と軽やかにダンスを踊り、周囲の視線を一身に集めていた。
「アリシア嬢に濡れ衣を着せられた時は、平然としていたのに」
「あれくらい大したことではありません。悪女の心得として、他人からの悪意に強くなるようお母さまにみっちり鍛えられておりますので。よければ“訓練”の詳細をお話ししましょうか?」
「……いや、嫌な予感がするから遠慮しておく」
エマとしては親切のつもりで言ったのだが、アルヴィンの表情は引きつっていた。
「わかりますよアルヴィン殿下のお気持ちは。わたくしめも以前、お二人の“訓練”を見たことがあるのですけれどいやはや。……すごかったですねぇ」
やや遠い目をしているのは侍女に扮したシロだ。その頭の上で、シマエナガたちがぴーちくさえずる。
『女王さまの演技力はすごいのです!』
『あたし、悪い言葉いっぱい覚えちゃった』
『聞いたことない言葉がいっぱいだったの~ぷぷぷ~』
「もちろん、教えてもらった単語はすべて覚えました。罵り言葉ならだれにも負けません」
「それは誇っていいところなのか……?」
理解不能だ、と額を押さえるアルヴィンにエマは胸を張ってみせた。
「それにお母さまが言っていたんです。小物は相手にするなと。怒る労力は、自分ではなく民のために使えと」
「さりげなく小物扱いされているアリシア嬢が哀れになってきたよ……」
「あッ皆さま! 歓談中申し訳ないのですがお時間は大丈夫ですか!?」
突然、思い出したようにシロがぴょんと飛びあがった。はずみでシマエナガたちがころころ転がっていくのをアルヴィンがキャッチする。
「いけない。十二時になると魔法が解けるのでした!」
見れば、エマたちがのんびりと話している間に、ホールの大時計は十二時を指そうとしていた。エマは急いで手を口の横にあて、思い切り叫ぶ。
「リュセットさま! お時間ですーーー!!!」
その声は人々の間を駆け抜けホールをまっすぐつらぬき、彼女の耳にも届いたらしい。踊っていた第三王子に一言二言何か言ったかと思うと、リュセットが慌てた様子で走ってくる。
「わたくしたちも急ぎましょう」
言うなりエマは駆け出した。その後ろをシロと、やれやれと言わんばかりのアルヴィン、それからまだ興奮冷めやらず、頬を紅潮させたリュセットが駆けていく。
「待ってくれ!」
叫んだのは、先ほどまでリュセットと一緒に踊っていた第三王子だ。だがエマたちは止まることなくホールから飛び出し、大きな白階段を駆け下りた。階下には待機させておいた馬車が扉を開けて待っている。
一息に階段を駆け下りると、エマはそのまま馬車の中に飛び込んだ。
「お前は本当に信じられないぐらい足が速いな」
続いて馬車の中に入ってきたアルヴィンが、隣に座ってやや息を切らしながら言った。彼が握っていたシマエナガたちが、ころころとエマの膝に転がり落ちる。エマ自身はと言えば、息ひとつ切らさずけろっとしていた。
「運動も叩き込まれたのです。悪女は命を狙われることもあるだろうから、逃げるためには欠かせません」
「姫さまは毎日城の周りを五周は走っていましたからね! そんじょそこらの殿方なんて比になりませんよ!」
馬車の前で待っているシロが、顔を覗かせて言った。
「それはなんとも立派な心構えで……」
そうしているうちに、息を切らしたリュセットがエマの前の席に飛び込んでくる。そのドレスは、裾の方からベールがかかったように透け始めてきていた。エマの宣言通り、魔法が切れかけているのだ。
最後に乗り込んだシロが扉を閉めながら言う。
「危なかったですね! あともう少し遅かったら、完全に魔法が解けてしまうところでしたよ!」
みんなを乗せた馬車がゆっくり動き出す。
シロの言葉にうなずきながら、エマはふとあることに気づいた。それは透けたドレスの裾から見えたリュセットの足だ。
「リュセットさま、お靴はどちらに?」
「あっ! ごめんなさい……! 実はさっき、階段で落としてきてしまったの」
先ほどまでリュセットは、エマが作ったガラスの靴を履いていた。だが今の彼女の足には片方しか靴を履いておらず、もう片方は裸足だ。
恥ずかしそうに手で足を隠すリュセットに、アルヴィンが素早く立ち上がってコートを渡す。これで足元を隠せという意味だ。
お礼を言って受け取りながら、リュセットが肩を落とす。
「あの靴もきっととても高価なものでしょうに……本当に申し訳ありません」
しょげる彼女に、エマは力強く答えた。
「大丈夫です。ガラスはとても簡単なので、いくらでも作れます。そして消えません」
言いながら手を持ち上げる。
すぐさまさらさらと粉雪が集まってきたかと思うと、エマの手の上で形作っていく。やがてものの数秒もしないうちに、ガラス製のまるまるとしたシマエナガの彫像が姿を現した。
「これ、よければ記念にどうぞ」
「まあ、かわいい! ありがとうございます」
差し出された彫像を受け取りながら、リュセットが喜ぶ。
「いつももらってばかりだわ……。そうだ! 今度エマさまのためにハンカチを刺繍させていただけないでしょうか?」
「ハンカチを?」
エマは眉をしかめて黙り込んだ。
(刺繍入りハンカチは確か、女性にとって大事なものと聞いたことがあるわ。わたくしがもらってよいのかしら……)
本音を言うとものすごく欲しかったが、困ったときにこういう時の受け取り方の作法がわからない。
「あ、ご迷惑、ですよね……ごめんなさい……」
エマの表情に、勘違いしたリュセットがしゅんとする。そこへすかさずアルヴィンが口をはさんだ。
「あれは嫌がっているんじゃなくて、初めてのことに戸惑っているだけだから気にしなくていい」
対面に座るシロが感心したようにうなずく。
「アルヴィンさまは、よく姫さまを理解していらっしゃいますねぇ」
「ずっと見ているからな」
言って、アルヴィンが口の端を上げて笑う。なぜか顔を見合わせたシロもにやりと笑っていた。
その間にリュセットがエマの両手を握る。
「なら、刺繍入りのハンカチを作ります。エマさま、これは私があなたにあげたいのです。ぜひとももらってくださいね?」
言い含めるように一言一言ゆっくりと言われ、エマはうつむいた。
「そ、そこまで言うのでしたら……」
「変なところで素直じゃないな」
アルヴィンの言葉に、むっとしたエマが顔を上げる。けれど何か言い返す前に、それを見ていたシロの瞳孔がカッと開いた。
「と言いますかッ! 今さらですが姫さま、アルヴィン殿下のお隣に座っていて平気なのですかッ!?」
その言葉に釣られるように、膝上に転がっていたシマエナガたちが飛び起きる。
『本当だ! 姫さま怖くないの?』
『さっきも隣に並んでなかったぁ?』
『ぼく全然気づかなかったの~ぷぷぷ~』
「そ、それは……」
指摘されて、エマは顔をしかめた。
――エマは男性恐怖症だ。それは今も変わりない。
だが。
「その……リュセットさまのお継母さまに何か言わなければと意気込んでいたら、気付いたらアルヴィンさまの隣に立っていたの……」
語尾が、尻切れトンボのようにぼそぼそと小さくなる。目を丸くしながら聞いていたアルヴィンが、またもや嬉しそうに笑った。
「あの継母はろくなものじゃないと思っていたけど、俺にとってはひとつだけいい仕事をしてくれたみたいだな」
悪だくみをするような、いつも通り不敵な笑み。
だと言うのにそれがなぜか眩しくて、エマはふいと顔を背けた。――妙に熱い頬には、気付かないふりをした。
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