第3章

第17話 シスネ・ホーキンズ

「何やら大変なことになっていたようですね」


 初夏のさわやかな朝日に照らされ、ガタゴトとゆるやかな道のりを進む王家の馬車の中。

 アルヴィンの対面に座ったエマがずいっと身を乗り出した。肩に乗る三羽のシマエナガたちも、エマの動きに合わせてずいっとくちばしを突き出す。


「リュセット嬢のことか?」

「はい。第三王子さまが、捜索隊まで作ってリュセットさまを探したとか」


 伯母から聞いた話によれば一週間前、リュセットに逃げられた第三王子の行動力はすさまじかったという。すぐさま大規模な捜索隊を結成したかと思うと、彼女に繋がる唯一のつながりである“ガラスの靴”を手に、各地を探し回ったのだ。


 その結果マスネ子爵家までたどり着き、なんと今や、リュセットは第三王子の婚約者にまで収まっていた。


「俺も驚いているよ。あの弟にあんな行動力があったとはな……。おかげで王妃はかんかん。まさかの断絶状態だ」

「そうなのですか? リュセットさまはあんなに素敵なお方なのに、何が不満なのでしょう」

「表向きは家柄だが、実際は誰が来ても気に入らないだろうなあの人は」


 そう言ったアルヴィンの瞳はいつになく冷えている。


(アルヴィンさまは国王さまや王妃さまのことを、決して父、母とはお呼びしないのですね……)


 ひんやりとした空気を感じて、エマは急いで話題を変えた。


「そういえば、リュセットさまのお父さまも戻ってこられたようです。マスネ子爵夫人の振る舞いに激怒して、離縁こそしなかったものの、すべての権限をはく奪してしまったそうですよ」


 これは最近遊びに来たリュセットから聞いた情報だった。


「へえ、こっちも驚いたな。てっきり今まで通り放置かと思っていたのに」

「お父さまも、さすがに我慢の限界だったようです。子爵夫人はもうすっかりしおれてしまって、今はリュセットさまに服従している状態なのだとか」


 リュセットいわく、義姉たちもあの一件以来母親に反発し、リュセットを支持してくれるようになったのだとか。


「服従? ずいぶん大げさな」

「実はお義母さまたちは家から追い出されそうになっていたのですが、それを止めたのがリュセットさまらしいのです。だから、『今後何があっても私には絶対逆らわないのですって。いわゆる服従ですね。そこまでおっしゃるなら、今後は私がお義母さまたちを守ってさしあげなくては』と言っていました」


 言いながら笑みを浮かべたリュセットの、もうどこにもか弱さはなかった。いるのは柔和な笑みをたたえながら、一筋縄ではいかなさそうな雰囲気を持つ立派な令嬢だけ。


 たった一晩の出来事が、彼女の何かを開花させてしまったらしい。


「どうやら弟は、今後尻に敷かれそうだな」


 アルヴィンがくつくつと笑う。その顔を、エマはじっと見ていた。


「姫さま、いかがなさいました?」

「いえ、なんでも」


 膝に座るシロが、スンスンと鼻を動かしながら見上げている。指摘されて、エマはパッと顔を背けた。――アルヴィンが笑うのはいつものことなのに、最近なぜかやたら気になるのだ。


(正面から見ても怖くないのは助かるけれど、今度は胸がどきどきする。困るわ。いつか治るのかしら)


 なんて考えていると、馬車が目的地に着いたらしい。ガタリと音を立てて歩みを止めた。


「さ、気を取り直して今日はまた鏡の破片と黒幕探しだな。準備はいいか? 俺のお姫さま」

「はい。ホーキンズ伯爵家はリストにお名前がなかったので破片は期待できませんが、シスネさまにお会いするのですよね?」

「そうだ。基本的には俺が話を進めるから、隣で座っていてくれればいい」

「わかりました。黙っています」


 キリリとした顔でエマはうなずいた。同じくキリリとした顔をしたシロとシマエナガたちも背筋を伸ばす。


「では、わたくしめらは馬車でお留守番をさせていただきますッ! 姫さま、アルヴィン殿下、お気をつけていってらっしゃいませ!」


 今回の狙いはシスネ・ホーキンズ伯爵令嬢だ。


 エマを断罪したアリシアの取り巻きの一人であり、赤毛の巻き毛と豊満な体がチャームポイントの令嬢だった。







「――それで、あたしに一体何の用なんですか」


 ふくれっ面。仏頂面。しかめ面。そのどれにも当てはまりそうな表情で、シスネは言った。


 桃色と白を基調に整えられた華やかな応接間で、シスネは不機嫌を隠そうともしない。だがアルヴィンいわく、どんな態度をとられようと会ってくれるだけで十分なのだという。


(会ってさえしまえば、『俺なら誘導できる』と言っていたわ。やはりお腹が黒い……)


 舌戦に関しては、エマが彼に敵うはずもない。言われた通り静かにしているつもりだ。


 エマが見守る中、早速企みなど微塵も感じられない爽やかな声でアルヴィンが切り出した。


「回りくどいことはなしに、単刀直入に聞きたい。君も予想しているとは思うが、エマが犯人だと証言したのは誰か教えて欲しい」


 その言葉に、シスネがここぞとばかりに吠える。彼女は最初から戦闘態勢に入っていたのだ。


「どうせあたしならちょろいと思って来たんでしょうけど、そんなの教えられるわけがないじゃない!」


 だがアルヴィンもそうやすやすとは動じない。どこまでも穏やかな表情のまま、シスネを見る。


「ひとつ勘違いをしているようだが、私は君が“ちょろい”から話を聞きに来たのではないよ。君が一番アリシア嬢のことを考えていると思ったから来たんだ」


 ぴくりと、シスネの肩が震えた。


「それに、アリシア嬢に一番信頼されているのも君だろう」


 ぴく、ぴくとシスネの小鼻が膨らむ。


――アルヴィンは『シスネの自尊心をくすぐる』と言っていた。それがどういう効果を持つのかエマにはわからないが、今まさにそれを実践している最中なのだろう。


 彼女の様子を確認した上で、アルヴィンがなだめるようにゆっくり続ける。


「私たちは何も、証言者を問い詰めたり害を加えたりしようと思っているわけではない。やっていないことはやっていないからね。堂々としていればいいんだ。……だが、騙されて嘘の告発をしたことがばれたアリシア嬢は、どうなると思う?」


 ここで初めて、アルヴィンの瞳が鋭く光った。

 彼はシスネに訴えているのだ。“エマではなく、アリシアを心配するなら話した方がいい”と。


 実際、彼は何一つ嘘をついていない。そこから生じる余裕が自然と言葉に説得力を持たせているのだろう。

 見る見るうちに、シスネの顔から闘志が失われていく。瞳が一瞬、不安そうに揺れた。


「アリシアさまが騙されている……?」


 けれど、すぐさまぶるぶると首を振ってアルヴィンをにらむ。


「だ、騙そうとしているのはあなたでしょう!? エマ伯爵令嬢がやってない証明なんてできないんだから!」

「それができると言ったら?」


 アルヴィンがカップに注がれた紅茶を一口飲んで、シスネを見る。静かながら、王族らしい有無を言わさない迫力のある目だった。


「えっ。えっ……? うそ……できるの……?」

「知っての通り、私とエマは仲だ」


 カチャリと、ソーサーにカップを置く音が響く。


「アリシア嬢がネックレスを壊されたと証言しているのは、五月二十七日のバシュレ公爵家主催のティーパーティーだろう? よく覚えているよ。五月だというのに、ずいぶんと暑い日だったからね」


 微笑んで、アルヴィンがシスネを見据える。


「あの日、私はずっと彼女を――エマを見ていたんだ」


(えっ? そうだったの?)


 思わず声をあげそうになるが、なんとかこらえて横目で盗み見る。


「確かに彼女は公爵家を歩き回っていて、とても褒められた行動ではなかった。だが断じてアリシア嬢の部屋に忍び込み、あまつさえネックレスを破壊するなどという行為はしていないよ。疑うなら、背の高い執事に聞くといい。優しい色合いの栗毛に、そばかすが印象的な青年だ。年は二十歳手前といったところかな」

「ロ、ロバートだわ……」


 アルヴィンの言う人物に、思い当たるところがあったらしい。シスネはつぶやくと慌てて口を押さえた。それを見て、アルヴィンは勝ちを確信したのだろう。


「そろそろ私の言うことがデタラメじゃないと、わかってもらえたかな」


 アルヴィンはとびきりの営業用王子スマイルを浮かべて、にっこりと微笑んだ。

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