第5話 魔法の鏡

「――と、言うわけなんです」


 長い説明を終え、エマはアルヴィンを見上げた。その拍子に、気づかれないよう一歩距離をとる。


「なるほど。大体のことはわかったが……そもそもなぜ男性恐怖症に?」

「覚えていません。お母さまが言うには、幼い頃に“ちょっとした事故”があったらしいのですが……わたしの記憶にはさっぱり。ただ怖いものは怖いんです」


 言いながら、さらにゆっくり一歩下がる。肩が茂みの葉っぱに触れてかさりと音を立てた。


「それは……悪い。配慮が足りない質問だったな」

「いえ、本当に些細な事件だとお母さまが言っていましたのでお気にせず」


 大丈夫です、と言ってみせる一方で、もう一歩後ずさる。


「嫌なことを聞いたわけじゃないならよかった。……ちなみにさっきから少しずつ後ずさりしているの、気づいているからな。次また下がったら、俺が五歩近づく。そろそろ声が聞こえなくなるんだ」


 こっそり次の一歩を踏み出そうとしていたエマは、ピタッと足を止めた。それから恨みがましくアルヴィンを見る。


「さすが“氷の悪女”。怒った顔は迫力満点だ」

「なんなのですかその呼び名は。というかあなた、さっきと態度が全然違っていませんか? 先程はもっと紳士的だった気がしたのですけれど」

「俺はこっちが素だよ。さっきのは王子用営業スマイル。……それより“氷の悪女”なんて不名誉なあだ名をつけられるあたり、ずいぶん嫌われているようだな」


 指摘されて、エマはうなだれた。


「そうなのです……。どうやら皆さまには、わたくしが雪の女王一族悪女だということがバレているようで」

「いや、そっち雪の女王はバレていないと思うけど? ……まあ今ので俺以外にも気づいたかもしれないが」


 思ってもいなかった言葉に、エマがバッと顔を上げる。


「では、なぜわたくしが悪女だと!?」

「それはこっちが聞きたい。一体、何をしていたんだ?」

「それは……」


 エマは一生懸命、この国に来た当初のことを思い出そうとした。


「わたくし、念のため魔法の鏡を持っていくよう言われたのです」

「魔法の鏡?」

「はい。このくらいの手鏡で」


 言いながら空中に、手より一回り大きいほどの楕円を描く。


「これはお母さまとお話ができるとても便利な鏡なのですが……初めて夜会に参加した夜、わたくしはとても緊張していて」


――その日は、まだ肌寒さが残る初春の夜だった。


 オルブライト王国に到着したエマは、社交界デビューのために舞踏会に向かおうとしていた。


 母がいつも着るような豪華なドレスに身を包み、複雑に結い上げられた髪にうっすらと施された化粧。何もかもが初体験だというのに、さらに大勢の人の前に出なくてはいけないと伯母に言われ、エマは緊張の絶頂にいた。


「精霊たちが、きっとわたくしの緊張を和らげようとしてくれたのでしょうね」


『女王さまとお話しすれば、元氣になるかと思ったんだ……』

『でもね~、すっかり忘れてたんだよね~』

『姫さま以外にぼくたちって見えないんだよ〜ぷぷぷ〜』


 エマのためにシマエナガたちが取った行動は、魔法の鏡でファスキナーティオ女王と話をさせることだった。


 鍵を掛けて厳重に保管していたはずの箱からどうやって取り出したのか、気付けば三羽は小さな足で鏡を掴んでいた。そして侍女とともに部屋から出ようとしていたエマの元へさえずりながら飛んで行ったのだ。


「わたくしが振り向いたのに釣られて侍女の方――当時はゲルダ伯母さまのメイドだったのですけれど――も一緒に振り向いてしまったんです。でも、彼女に見えたのは、ぷかぷかと宙に浮かんでいる手鏡だけ。……きっと驚いたでしょうね」


『あれは悪いことをしたね……』

『オバケーーー! って叫んでた!』

『すごい声だったねえ〜ぷぷぷ〜』


「その結果、今度は驚いた精霊たちが足を離してしまって……鏡は落ちて、粉々に。おまけに砕けた鏡面がちりのように消えてしまったものだから、侍女の方は失神してしまわれて……申し訳ないことをしました」

「ちょっと待って。なんで鏡が消えるんだ?」


 がっくりと肩を落とすエマに、アルヴィンが説明を求める。


「それは、魔法の鏡ですから」

「ですから、と言われてもさっぱりわからないぞ」

「この国には、魔法道具はないのですか?」


 エマがきょとんと尋ね返す。どうやらここでも認識の違いがあるらしい。アルヴィンははっきりと答えた。


「ないな。他国では聞いたことあるが、どちらにしても国宝級のものだ」

「そうなのですね……。魔法の鏡は、普段無害ですが一度割れるととても厄介なことになるのです」

「厄介なこと?」

「ええ。飛んでいった欠片が男性の心に刺さると、その人をひどく冷酷な人間に変えてしまうのです」


 エマは説明した。


 鏡の欠片が刺さったことで心優しい良き父が、家族を殴る恐ろしい男性に変貌してしまったこと。もし王のような権力を持つ人間に刺さってしまった場合、戦争や虐殺など、どんな恐ろしいことが起きるかわからないことを。


 話を聞いてアルヴィンがぎょっとする。


「大変じゃないか」

「そうなのです。だからわたくしは、破片を全て回収をしなければいけないのです。幸い鏡が小さかったから範囲も狭く、夜会に来ていた方だけが対象になると思ったのですが……それでも人数が多くて」


 伯母に事情を説明し、なんとか入手してきてもらった出席者名簿はゆうに百名を超える名が連なっていた。貴族男性だけではなく給仕係や侍従、御者といった使用人たちまで含まれていたからだ。


 エマがそこまで話したところで、アルヴィンが考え込む。


「……そのリストの中に、兄上の名はあったか? オスカー・ワイズ・オルブライトだ」

「お兄さまの? わたくしの記憶ではなかったはずです。……何か気になることでも?」

「いや、ないならいいんだ。それより、破片が刺さっているかどうかはどうやって見分けるんだ?」


 アルヴィンの質問に、エマは答えた。


「目をよーく見れば刺さっているかどうかがわかります。いろんな男性を観察して、ほとんどは回収できたのですけれど……そうこうしているうちに、今日の事件が」


 アルヴィンがなるほどな、と呟く。


「大体のところはわかった。破片回収のために男たちに近づいていたから、悪女と悪評がついたのか」

「そう、かもしれません……。声はかけなかったものの、男性たちをじろじろと見つめていたのは事実です。それがよくなかったのでしょうか」


 エマがしょんぼりと肩を落としたそのときだった。パタパタと足音がしたかと思うと、エマたちがいたホールの方から一人の侍女が走ってくる。


「姫さまあ〜〜〜! どこにもいないと思ったらこんなところに!」


 やたら甲高い声をした小柄な侍女だった。

 茶色の三つ編みを左右それぞれ一つずつぶら下げ、分厚い前髪の奥にはそばかすとつぶらな黒い瞳。


 ゼェゼェと息を切らしながら、侍女はエマの前で立ち止まった。


「もう、心配しましたよぉ! 少し目を離した間に消えてしまって、わたくしめがどんなに心配したことか!」

「ごめんなさい、シロ。待っている間に何やら大変なことになってしまって……」

「エッ!? 大丈夫ですか!? やはりお一人にするべきではなかったですね、この前もわたくしめが一瞬目を離した隙にどっかの令息が絡んでいましたし……っていうか誰ですかこの人は!?」


 シロと呼ばれた侍女の目が、ぐりっとアルヴィンに向けられる。即座に彼は営業用王子スマイルを浮かべた。先ほどまでとは違って嘘のような爽やかさだ。

 その豹変ぶりに、エマが感心しながら紹介する。


「えっと、この人は王子なの。……多分」

「多分じゃなくて間違いなく王子だ。私は第二王子アルヴィン。よろしく」


 アルヴィンの自己紹介に、シロが「マッ!」とけたたましい叫びをあげた。


「これはこれは、アルヴィン殿下でいらっしゃいましたか! 失礼いたしました。わたくしめは姫さま……じゃなくて、お嬢さまの侍女シロでございます」


 深々と頭を下げるシロの頭に、ここぞとばかりにシマエナガたちが着地する。


『シロ聞いて。この人僕たちが見えてるんだよ』

『そうなの! 姫さまのことも見抜いちゃった!』

『超~レア〜ぷぷぷ〜』


「エッ! そうなんですか? もしかして魔法使いの類でいらっしゃる!?」


 シロがバッと勢いよく頭を上げた拍子に、シマエナガたちがころりころりと転げ落ちる。そのうちの二羽をアルヴィンが、残る一羽をエマがそれぞれキャッチした。


「いや、少し見えるだけで魔法使いではない」

「ホゥッ! それはまた稀有な……と言うことはわたくしめの本当の姿も見えると?」


 シロが確認するようにエマの方を見る。何やらうずうずしているようで、瞳孔が人間ではありえないくらい開いていた。


「見えるかもしれないわ」

「なんと興味深い! では失礼しまして!」


 言うや否や、ぽん! と弾けるような小気味のいい音がしてシロの姿が消える。


 代わりに現れたのは、ひょろりと長い体に、全身がツヤツヤの白い毛で覆われた小型の獣。短い脚に、ぴょこんと飛び出た丸い耳。くりっとしたつぶらな黒いおめめに、先端だけが黒いふさふさのしっぽ。


「……オコジョ?」


 目を細めたアルヴィンがつぶやいた。








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※シロの声はCV:濱●マリさんで想像してもらえると嬉しいです。

特に「あしたまにあ~な」って言っているときの濱田●リさんだとベストです。

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