第4話 雪の女王の娘
「雪の女王の……娘?」
「はい!」
怪訝な顔をするアルヴィンに、エマが力強くうなずく。
「雪の女王はわたくしのお母さま。わたくしは修行中で女王就任前。つまり、今はただの娘です」
「わかった、いやよくわからないが、君は娘なんだな? ……と言うことは君の母、ゲルダ夫人が雪の女王ということか?」
「いえ、ゲルダ伯母さまは母ではなく、父方の伯母です。わたし、この国に留学してきているんです」
キリッとした顔のエマとは反対に、アルヴィンがますますよくわからない、と言いたげな表情になる。
「留学……? フィッツクラレンス家のエマは、最近養女になったわけではなく、ずっと昔からいたはずだが?」
「あっ! えっと……それは……」
口に出してから、エマは気づいてしまった。これは知られるとまずい情報だと。
どう言い
『それは女王さまの賢い作戦なのです!』
『この国で生まれたことにすれば、いつでも来られるもんね!』
『女王さまかしこいの~ぷぷぷ~』
隠したかったことを洗いざらい吐いてしまったシマエナガたちに、今度こそエマの表情が凍り付いた。
「……なるほど。架空の戸籍だったわけか。エマ伯爵令嬢は病弱で部屋から出られないはずなのに、最近よく見かけるのにはそういう事情が」
「そ、そういう事情です……」
戸籍偽造の罪で、また断罪材料が増えるだろうか。冷や汗がにじみ、怒られるのを覚悟する。だが意外にも、彼の口から出たのは落ち着いた声だった。
「まあ、それはいい。それよりどうして雪の女王の娘とやらが、この国に来たんだ? ――まさか乗っ取りを企んでいるのか?」
「乗っ取りなんてとんでもありません! 勉強のためです」
慌ててエマは否定した。ただでさえ評判は最悪なのだ。これ以上断罪理由を増やしたくない。
「勉強? 何の?」
「話せば長くなるのですが、お母さまが――」
聞かれて、エマは祖国での会話を語り始めた。
◆ ◆ ◆
「エマ、おまえもそろそろ勉強しなければ。そうね、手始めにオルブライト王国にでも留学しましょうか」
それはある日、野に咲く花を摘むような気軽さで母から言われた言葉だった。
いつも通り部屋にこもって魔法の練習をしていたら、女王である母がやってきたのだ。
防寒対策ばっちりのもこもこ服を着こみながら、絹のハンカチとにらめっこをしていたエマが顔を上げる。
「留学? お父さまの祖国にですか?」
「ええ、そうです。パパの国なら、おまえの留学デビューにぴったりでしょう?」
そう言ってにっこりと微笑む母は、娘であるエマから見ても妖艶だ。
その『永遠に歳を取らない』とも言われる美貌と強力な魔法により、エマの母であるファスキナーティオ女王は、外の人間から“雪の女王”と呼ばれ恐れられていた。
いわく、『心臓が氷でできていて何でも凍らせてしまう恐ろしい女王』だとか、『手に触れると永遠の冬に連れ去られ、特に若い男を好んで連れ去る』だとか。――ちなみにどちらも、一部事実が混じっている。
また、過去には『王を骨抜きにして国ごと滅亡させた』こともあった。実際は『愚王を追放して新王を据えた』のだが、母はあえて訂正していない。『蔓延していた疫病を氷で封じ込めた』ときのことも、外の人間には『一国まるまる氷漬けにして国を滅ぼした』として伝わっているらしい。
どうして訂正しないのかエマが聞くと、その度にファスキナーティオは艶やかな笑みを浮かべて言うのだ。
「その方が便利だからよ」
と。
――その母が、エマに留学を提案している。
「お母さま、なぜ急に?」
「全然急ではありませんよ。おまえが生まれたときからママは考えていました。そのために、ゲルダ伯母さまに頼んで戸籍まで用意してもらったんですもの。それが今日だったっていうだけで」
まさかそこまでしていたとは。周到さに驚いているうちに、母がさらに続ける。
「おまえももう十六歳。女王の座を継ぐのは早いにしても、成人と見なしても良い年です。そろそろ外の国の情勢も知らなければ」
「外の情勢……ってそんなに大事なのですか? わたくしはこの国で、まだまだ覚えなければいけない“素材”が山ほど残っているのに」
エマが不満そうに持っていたハンカチをいじった途端、カッと母の目が見開かれた。
しまった、と思った時にはもう遅い。
辺りにビュオオオオと雪が吹き荒れ、暖炉の火が消えて部屋の中が真っ白になる。エマは体を強く抱きしめた。ようやく苦手な冬が終わりかけ春が見えてきたのに、
悪魔の如く恐ろしい形相をした母が吠える。
「甘い! いくら我が国が自給自足だけで
早口でまくし立てる母のすさまじい顔面圧力に、エマは壊れた首振り人形のようにコクコクとうなずいた。
その反応に満足したらしい母が、またにっこりと微笑む。途端に吹雪が止んだ。エマの口から安堵のため息が漏れる。
「まあ、言っておいてなんだけれど、今はまだそんなに深刻に考えることはないのよ」
ファスキナーティオがしなやかな指を降ると、部屋の中に積もっていた雪が消えた。そのまま何事もなかったかのようにゆるりとエマを見る。
「けれど将来の女王たるもの、見聞を広めておいて損はないわ。特に諸外国には“階級制度”というものが存在しますから、それが何なのか学んでくるだけでも大違いでしょう」
「階級制度、ですか?」
「いわゆる貴族ね」
エマたちが暮らすイルネージュ王国に貴族はいない。いるのは女王一族と王国民だけ。民は王宮に我が物顔で出入りするし、気さくに「姫さま!」と声をかけられるのも日常茶飯事だ。
しかし話を聞く限り、どうも他国では違うらしい。平民は王宮への出入りどころか、王族に気安く声をかけるのもいけないのだとか。なんとも不思議な制度だとエマは常々思っていた。
「あなたのパパだって、元はオルブライト王国の由緒ある伯爵家の息子だったのよ。まあ、ママが婿として連れてきちゃったんですけれど」
少女のように頬を染めて母がウフフと笑う。
「知っています。そのせいでゲルダ伯母さまは今でもお母さまのことを嫌っておられるのだとか」
「ええ、まあ、それはしょうがないわね。あの方はブラコンだし、
放っておけばこの惚気は永遠に続く。経験上それをよく知っていたエマは、ぶった斬るように言葉をかぶせた。
「でも、それならわたくしもゲルダ伯母さまに嫌われているのではないのでしょうか。とりなしてもらえる気がしないのですが……」
「大丈夫よ。ママのことは嫌いでも、娘であるあなたはとても可愛がってくれているの。しょっちゅうパパ宛に、あなたの様子を聞く手紙が届いているんだから。今回の件も喜んで協力すると言ってくれたわ」
どうやら知らないところで、話はすっかりまとまっていたらしい。不服そうな顔をするエマに、母がいたずらっぽく微笑む。
「重く考えずに、遊学だと思って楽しんでらっしゃい。ついでにあなたの男性恐怖症も治して、婿の一人や二人見つけてくるといいわ。というか見つけるまで帰ってきちゃだめよ?」
その言葉に、エマは肩の雪を払いながらむっすりと顔をしかめたのだった。
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