第3話 雪の祝福

『危なかったあ! 助けてくれてありがとう!』

『アカはおっちょこちょいだね~ぷぷぷ~』


 二羽のシマエナガが羽ばたきながらさえずる横で、アルヴィンは凍ったように固まっていた。それからハッとして拳を背中に隠す。もちろん、シマエナガをのせたまま。


「失礼、何か落ちたように見えたもので」


 にっこりと、王子スマイルと呼ぶにふさわしい微笑みを浮かべれば、また令嬢たちから悩ましげなため息がこぼれる。


(この人、本当に精霊たちが見えているんだわ!)


 エマが興奮のあまり穴が空きそうなほど凝視していると、アルヴィンが気まずげに視線を逸らした。

 至近距離から見つめるのは失礼だとわかっていても、目がはずせない。なにせ、自分と母以外で初めて精霊が見える人に出会ったのだ。興奮するなという方が無理だった。


「と、言うわけなんですのよ」


 そんなことをしている間に、アリシアが涙ながらの大演説を終えていたらしい。黙って話を聞いていたオスカーの眉間には皺が寄っている。


 はっ! と嘲笑にも似たため息が、オスカーの口から吐き出された。


「何かと思えば……くだらん! それだけのことで大騒ぎしすぎだ。君はもっと落ち着きのある人だと思っていたのだが、違ったようだな」


 その言葉に、アリシアの顔が一瞬で朱に染まる。エマも目を丸くした。

 驚くほど厳しい物言いに驚いたのは周りの人も同じらしい。見渡せば皆が、弟であるアルヴィンでさえも目を見開いていた。


 アリシアが泣きそうな声で弁明する。


「あ、あれはオスカー殿下に頂いた思い出のネックレスですもの……! 私にとっては宝物も同然の――」

「たかがネックレスだ。いくらでも新しいものを買えばいいだろう」


 取りつく島もなく冷たく言われ、アリシアがぶるぶると震える。その瞳は、今や涙でいっぱいになっていた。


 それを見て焦ったのはエマだ。


 昔から、女の子の涙は苦手なのだ。例え自分を断罪しようとしている相手であっても、泣かれると「どうにかしなくては」という気持ちが勝ってしまう。それにこれは名誉を挽回するチャンスでもあった。


 すぐさま一歩進み出る。


「あの、そんなに大事なネックレスならわたくしが直します」


 エマの申し出に、アリシアが涙を浮かべたままにらむ。


「何を適当な。あなたにそんなことできるはずがないでしょう! 見なさいこれを! もう千切れてしまっているのよ!?」

「できます。貸してください」


 アリシアの手が再度開かれたのを見て、エマは乗っていたネックレスをハンカチごとするりと引き取った。


「えっ、ちょっと!」


 思わぬすばやさにアリシアが慌てふためく。だがそんな彼女には構わず、エマは両手で閉じ込めるようにぎゅっとネックレスを包み込んだ。それから目をつむり、祈る。


「――祝福を」


 次の瞬間、辺りをパアッと強い光が包んだ。まぶしさに顔を覆った人々は、その後目を開けた先で信じられないものを目にすることになる。


――ホール中に、キラキラと透き通った雪の結晶が浮かんでいたのだ。


 あちこちに浮かんだ大小様々な結晶からは色のついた光があふれ、辺りを赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に染め上げている。さらに結晶はそれぞれがゆっくりと回転し、その動きに合わせて虹色のベールが波打つように辺りを撫でてゆく。


 それは夢を見ているかのような、幻想的な光景だった。


 誰もが見惚れて、声ひとつ出ない。


 そうしているうちに、今度は結晶が溶けるようにひとつずつ消えいく。全てがすっかり消え失せた頃、静寂を破るようにエマの明るい声が響いた。


「直りましたよ。どうぞ」


 言いながら手を差し出す。


 アリシアが恐る恐ると言った顔でネックレスをつまみ上げれば、そこには前のように等間隔で連なったダイアが美しい輝きを放っていた。銀の鎖は綺麗につながっており、最初から千切れてなどいなかったよう。

 エマの言葉通り、そこにはすっかり修復されたネックレスがたたずんでいた。


「なお、ってる……」


 アリシアが呆然と呟いた。それを横から覗いたオスカーが、信じられないものを見たと言わんばかりの顔でエマを見る。だがオスカーが口を開く前に、勢いよく割り込んできた人物がいた。


「失礼、兄上! この方と約束していたのを思い出しました、お話はまた後で!」


 アルヴィンだ。


 え? とエマが返す間も無く距離を詰められ、強い力でぐいぐいと背中を押される。


「きゃっ! 何ですか!?」


 急いでアルヴィンと距離を取ろうとするエマに、アルヴィンが顔を寄せてひそひそと囁いた。


「身のためを思うなら、黙ってついてくるんだ。断言するが、このままここにいたら大変なことになるぞ」

「えっ! そうなんですか? ていうかさっきと口調変わっていません?」

「いいから早く」

「わ、わかりました! ついていきますから、離れてください! 近いんです!」


 アルヴィンから少しでも距離を取りたくて、エマは小走りになった。周りでは衝撃から立ち直ったらしい人々が「今のって魔法?」「あの方は魔法使いだったの?」「でも見たことない魔法ね、何かしら」と口々に言っている。


 そのざわめきから逃げるように、二人は奇妙な距離感を保ちながらホールを駆け抜け、中庭に飛び出した。


 時刻はまだパーティーが始まったばかりの昼過ぎ。暖かな日光が、さんさんと庭の薔薇に降り注いでいる。エマがその眩しさと暖かさに目を細めていると、上から怒ったような声が降ってきた。


「君は一体何を考えているんだ?」


 近くに立つと、アルヴィンはなかなか背が高かった。エマは背が低い方だとは言え、頭ひとつ分、いやそれ以上あるかもしれない。見上げながら、エマがジリジリと後ずさりし始める。


「あんな目立つところで魔法を使うなんて……! ただでさえ断罪されかけているのに、ますます自分の立場が悪くなるんだぞ。……ってなんでそんなに遠くにいるんだ!?」


 早口で言い切ったアルヴィンが顔を上げ、仰天した。


 それもそのはず、つい先程まで隣に立っていたエマは、今は十ヤードほど離れた薔薇の茂みからこっそりと顔を覗かせていたのだ。


 パタパタとアルヴィンの頭上でシマエナガたちがさえずる。


『姫さまは男性恐怖症なのです!』

『そうなの! 本当は近くにいるのも怖いの!』

『だから離れてるんだって〜ぷぷぷ〜』


「男性恐怖症? 彼女が?」


 もう見えないふりはやめたらしいアルヴィンが、嘘だろう? という顔で聞けば、シマエナガたちが一斉に小さな頭でうなずいた。


「そうか、だが……」


 アルヴィンはため息をつくと、シマエナガたちの横をさっさと通り過ぎ、エマの元へずかずかと歩いてくる。


「そ、それ以上近づかないでください! わたくしは男性が」

「怖いのはわかったが、そんなに遠いと話ができない。これくらいならどうだ?」

「も、もう少しだけ遠くに……あと三歩……いえあと五歩……」


 ジリジリとお互いの許容範囲を探り、ようやく落としどころが見つかったところで二人は向き合った。会話をするには多少遠いが、なんとか声が聞こえる距離だ。


「で、あの、何でしたっけ」

「やっぱり聞こえていなかったな……。いや、その話はいい。それより魔法だ。君の魔法」

「わたくしの魔法が、何か?」


 キョトンとした顔のエマに、アルヴィンが辺りの様子を確認しながら、重大な秘密を打ち明けるように囁く。


「あの魔法……文献でしか見たことないが、雪の魔法だろう?」

「はい、そうです」


 エマはあっさりと認めた。特段隠し立てするようなことでもなかったからだ。


「と言うことは……。君があの、雪の女王なのか?」

「それは違います」

「隠さなくてもいい。別に言いふらしたりは――」

「いえ、本当に違うんです。わたくしは雪の女王ではなく、。つまり、雪の女王“予定”なんです!」


 誇らしげに胸を反らしながら、エマは自信たっぷりに言い放った。

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