第2話 アルヴィンとオスカー

 エマが祖国を発つとき、女王である母から忠告されたことがある。


『いい? わたくしたちは悪女と呼ばれる一族。正体がバレたらきっとただではいられないわ。くれぐれも気をつけるのよ』


 と。


 言われた当初、エマは信じていなかった。

 そう簡単に正体がバレるとも、バレたところで何かが起こるとも。


 しかし今、令嬢たちはエマを悪女と呼び、断罪しようとしている。


(本当にお母さまの言う通りになってしまったわ)


 エマは困って眉を下げた。そこへ、チルルルと鈴を転がしたような鳴き声が響く。


『ひどい言いがかりだ!』

『こんなヤツら、姫さまの力で吹き飛ばしちゃおうよ!』

『悪女だってバレてる〜ぷぷぷ〜』


 騒がしい声の主たちは、綿毛のように丸くてふわふわした白い体に、ちょこんとつぶらな目がついた三羽のシマエナガ。

 一見するとただの鳥に見えるが、こう見えて実は立派な雪の精霊だったりする。そのため彼らがどんなにさえずろうともエマ以外にその姿は見えず、声も聞こえない。


 実際、彼らはアリシアの頭に止まっているのだが、彼女は全く気づいていなかった。


「あなたが悪女なんて、見ればすぐにわかるでしょう」


 エマの動揺に気を良くしたアリシアが、ツンと顎をそびやかす。彼女の動きに合わせて、頭の上にいるシマエナガたちもふるんと揺れた。


「まあ、なんてこと」


(自分で気づいていなかっただけで、わたくし、そんなに悪女オーラが出ていたの?)


 吊りぎみの眉と乏しい表情筋のせいで、顔が険しくなりがちなことはエマも自覚している。普通にしているだけで「怒っている」「怖い」と言われることが多く、これでも笑顔の練習を欠かさないようにしてきたのだが……どうやらそれぐらいじゃ世間の目はごまかせないらしい。


「さあ、観念して罪を認めなさい! そして償いを! 今謝れば、告発を取り下げてもよくってよ!」

「と言われましても……」


 償いも何も、エマはネックレスを壊していない。しかし困ったことに、それを証明できるものがなかった。そもそも彼女自身、バシュレ公爵家に行ったかどうかすら覚えていないのだ。


 言いよどんでいると、今まで泣いていた黒髪の令嬢がすっくと立ちあがった。エマのせいで婚約破棄されたという少女だ。

 彼女の目は血走り、まなじりは怒りで吊り上がっている。あまりの形相に、そばにいたアリシアですらぎょっとしたほどだ。


「全部あなたのせいよ……。あなたがいなかったら、こんなことにはならなかったのに!」


 気が触れたように叫びながら、彼女はエマに向かって手を振り上げた。


「っ! おやめになって!」


 アリシアが焦った声で叫ぶ。しかし振り下ろされた手は止まらない。平手打ちを覚悟したエマは、とっさに顔をかばった。


「……あら?」


 だが、どれだけ待っても覚悟していたような痛みは訪れない。


 恐る恐る顔を上げると、エマの前にすらりとした長身の青年が立っていた。見れば、彼の手が令嬢の手首を掴んでいる。エマを助けてくれたらしい。


「暴力はいけないな」


 よく通る涼やかな声。

 濃紺の上衣を着た背中しか見えていないにも関わらず、青年には洗練された雰囲気がただよっていた。


「っ!」


 黒髪の令嬢が、顔を赤らめて慌てて下がる。


 その拍子に青年がエマの方を振り向き――現れたのは、白皙はくせきと呼ぶにふさわしい美青年だった。


 後ろで短く束ねられた髪は真夜中の空の色。切れ長の目は涼しく凛々しく、瞳はサファイアをそのままはめ込んだかのよう。端正な甘い顔立ちからは、ほのかな色気と気品の両方を醸し出している。


 立っているだけで絵になる姿に、まわりの女性たちからほぅと甘い吐息がこぼれた。


「大丈夫? 怪我はないか?」

「……はい、ありがとうございます」


 彼の声はどこまでも穏やかで耳あたりがよく、先ほどまでの剣呑とした雰囲気が洗い流されるようだ。


(この方どこかで……?)


 エマは考えながら、後ずさりした。


 進み出てきた青年はアリシアとエマのちょうど中間に立っていたのだが、少しばかりエマにとっては。本当なら十ヤードほどは距離を取りたいが、人目もあるため数歩下がるだけで我慢する。


 そうしている間に、アリシアが公爵令嬢にふさわしい見事なカーテシーを披露した。令嬢たちも慌てて後に続いたところを見るに、どうやらそれなりに身分がある人らしい。


「ごきげんよう、アルヴィン殿下」


(殿下ということは、王子なの?)


 エマも急いで覚えたばかりのカーテシーを披露する。祖国では習慣がなかったためまだ完璧とは程遠いが、それっぽくはできているはずだ。


 アルヴィンと呼ばれた青年は軽く微笑むと、アリシアの方を向いた。


「話は聞かせてもらったけれど……すべて本当のことなのかな?」


 その言葉に、アリシアが待っていましたとばかりにまくし立てる。


「もちろん本当ですわ! 私の良くない噂を流したり、夜会でわざと私のドレスにワインをこぼしたり、贈り物のぬいぐるみに針を仕込んでいたり、目が合うと必ずにらまれたり! 他にも数えきれない嫌がらせを受けましたの!」


 最後はもはや言いがかりに等しいのだが、当然、エマがそんなことをするはずもない。


 一体全体なんでこんな話に、と首を傾げる横で、アリシアの頭上でシマエナガたちがチルチルとさえずった。


『濡れ衣だ! 姫さまはそんなことしない!』

『すごくいっぱいある~! うける~!』

『ぼくは覚えきれないの~ぷぷぷ〜』


 その時、アルヴィンの瞳が一瞬シマエナガたちの方を向いた気がした。


 が、彼はすぐに何事もなかったように視線を戻し、ゆるりと言う。


「へえ……。それも全部、彼女の仕業だと?」

「そうですわ! 噂を流したのがエマ伯爵令嬢だという証言を得ておりますし、ワインの時は彼女が走り去っていく姿を見ましたもの」

「その証言は、一体誰が?」

「それは、私の――」


 アリシアが証言者の方を見ようとしたその時だった。


「まったく、めでたい日だというのに一体何の騒ぎだ!」


 言いながら大股で歩いてきたのは、豪華な服を着た金髪碧眼の青年。年はアルヴィンとそれほど変わらないだろう。だがこの場にいる誰よりも堂々とした立ち姿は、人を従わせるのに慣れた尊大さが感じられた。


 周りの人々が、今度は一斉に頭を下げる。と同時にアルヴィンが小さな声で、「間が悪いですよ兄上」と呟いたのを、エマは聞き逃さなかった。


「オスカー殿下! 聞いてくださいませ、私ようやく犯人を見つけたんですの」


 花が咲くようにパッと顔を輝かせたアリシアが、すばやくオスカーに駆け寄る。頭上のシマエナガたちが振り落とされないよう、ぱたぱたと小さな翼をはためかせた。


 途端、またもやアルヴィンの瞳がそちらを向いた。今度こそ気のせいではない。シマエナガたちもそれに気づいたようで、ジルルルルと興奮した声が上がる。


『ねえ、この人、ぼくらのことが見えていない?』

『やっぱり? アタシもそう思ったとこ!』

『目があったの二回目だよ~ぷぷぷ~!』


 それを聞いた瞬間、サッとアルヴィンの視線がそらされた。――それはもう、不自然なほどに。


(えっ? 見えているの?)


 エマが確かめようとじっと見つめると、その視線から逃げるようにどんどんアルヴィンの顔が背けられていく。その間、アリシアは涙ながらにエマから受けたという嫌がらせの数々をオスカーに語っていた。


『すごくあやしい』

『ねえ! アタシがつっついてみよっか? そしたらわかるかも!』

『それいい考え~! ぷぷぷ~!』


 やめて、とエマが止める前に、一羽のシマエナガが勢いよく立とうとして――つま先がアリシアの髪に引っかかった。


『あっ!』

「痛っ!」


 アリシアの悲鳴とともに、シマエナガがバランスを崩してころころと転げ落ちる。


「「危ない!!!」」


 エマとアルヴィンが叫んだのは同時だった。


 エマが受け止めようと慌てて手を差し出す。だが、綿毛のようなシマエナガがぽすっと着地したのは、アルヴィンの手のひらだった。


「お二人とも何ですの? 何か落ちまして?」


 頭を抑えながら、アリシアが怪訝そうに聞く。オスカーや周りの人たちも、不思議そうに二人を見ている。


 それもそのはず。彼らの目に映っているのは、何かを受け止めようと身を乗り出したエマとアルヴィンの姿だけ。手の中のシマエナガはもちろん見えていない。

 アルヴィンの顔がサーッと青くなった。


『ほら! やっぱりこのひと見えてる!』


 そんな彼の気持ちなど露も知らず、ひっくりかえったシマエナガがチルチルと嬉しそうにさえずった。

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