第2章

第11話 マスネ子爵家

「マスネ子爵家は、家柄としてはそこそこだ。肝心の子爵は商売のためにほとんど家を空けていて、普段は家令が切り盛りしている」


 アルヴィンが歩きながら、後ろのエマに説明する。それを熱心に聞きながら、エマは必死に名前を覚えようとした。


 アリシアに断罪された時、ちゃんと名前を覚えていたらその場で反論できたかもしれないのだ。今後はそういった部分にも気をつけなければ、と気合を入れる。


 時刻は昼時を迎え、参加者たちのお腹もちょうどよく空いて来た頃合い。誕生日パーティーは庭先で行われており、あちこちに設けられたテーブルに色とりどりの料理が並べられていた。


 今日は三姉妹のうち、長女の誕生日だという。主役である令嬢はこれでもかというくらいめかしこんで、満面の笑みで客人を出迎えていた。


 アルヴィンが、マスネ子爵夫人とその娘二人に近づいていく。


「マスネ夫人、この度はご招待頂きありがとうございます。お誕生日にふさわしい晴れやかな天気。お嬢さんは天気の神さまからも愛されているようだ」

「まぁまぁ、ようこそアルヴィン殿下。本当に、目に入れても痛くない自慢の娘たちですわ。とは言えそろそろ、手放す覚悟もしなければとは思っているんですけれどもね。さ、お前たち。殿下にご挨拶を」


 母親に促されて、娘たちがうやうやしくカーテシーを披露する。


 その様子を、エマは少し離れたところで見ていた。


 他の男性と比べたら、アルヴィンはずっと怖くない。人ひとり分の空間を空けてなら、近くに立つこともできる。だが恋人のように腕を組んだり、横に並んで立ったりは未だできない。


 だからアルヴィンに「ここで待っていてくれ」と言われた時エマは密かに安堵し、そんな自分にがっかりもしていた。


(婚約者なのに隣にも立てないなんて……情けないわ)


 そんなエマに、侍女に扮したシロが囁いてくる。


「あっ姫さま! どうやらシマエナガたちがアリシアさまを見つけたみたいですよ」


 と同時に、チルチルとさえずる声が聞こえた。


『姫さま見つけたよ! ここにいた!』

『取り巻きたちもみ〜んな一緒よ!』

『仲良しさんなの〜ぷぷぷ〜』


 見れば庭の一角。シマエナガたちがくるくると輪を描きながら飛んでいる真下で、アリシアたちが白い丸テーブルを囲んでいた。


 周りにはこの間エマに詰め寄った令嬢たちも座っている。アリシアに、ふくよかな令嬢に、黒髪の令嬢にほか数人。


「それじゃ、ダメ元で聞きにいってみるか」


 いつの間にか戻ってきていたらしいアルヴィンの声が降ってきた。きっちり人一人分の空間を空けながら、彼はエマにしか聞こえないよう声を抑えて言う。


「引き続きここで待っていてくれ。シロ、悪い虫がつかないよう頼んだぞ」

「はい! そちらはわたくしめにおまかせをッ! 変な輩が来たら水でもぶっかけてやります!」

「それはやめてくれ。あくまで穏便にな」


 笑って、アルヴィンがアリシアたちの方へ歩いていく。


 予想通り、令嬢たちは彼をあまり歓迎しなかった。エマが見守る中、アリシアが険しく顔をしかめている。


――とその時、エマの前を初老の男性が横切った。太陽の光に照らされて、きらりと彼の右目が光る。


「あっ!」

「姫さま、今の!」


 気づいたのはエマだけではなかったらしい。シロもピンと首を伸ばして、家令っぽい身なりをした男性を見ている。


「今の方かもしれないわ。追いかけましょう!」


 エマとシロは顔を見合わせてうなずくと、急いで男性を追いかけた。







「……見失ったわ。どこに行ってしまったのかしら」

「思ったより足が速いですねえ。そして意外と広い」


 きょろきょろと見渡しながらシロがぼやく。

 二人は今、誕生日パーティーが開かれている庭ではなく、マスネ家の屋敷内にいた。


 アルヴィンはそこそこと言っていたが、そこそこであっても貴族の家というのは広い。目の前の曲がり角を曲がったと思った次の瞬間、家令の姿は消えていた。上に繋がる階段があったため、恐らくそこを上っていったのだろう。


「仕方ないわ、ここは二手に分かれましょう。シロは二階へ、わたくしは三階に行ってみるわ」


 屋敷の中も、お手洗いや休憩をする人たちのためにある程度は解放されている。そのためエマたちも簡単に入れた。


(……いた!)


 三階に上ってすぐ、廊下を歩く家令の後ろ姿を見つける。エマがすぐさま呼びかけた。


「あの!」

「……? どこのお嬢さんかな? ここはあなたが立ち入っていい場所じゃありませんよ」


 声に反応してくるりと振り向いた男性の目は、一見すると何ら変化はない。だがエマはカッと目を見開き、穴が空くのではないかというぐらい彼の瞳を見つめた。


 そんなエマの不躾さに、家令が不審がって一歩引く。その途端、右目だけ斜がかかったように白く光ったのを見逃さなかった。


(間違いない。鏡の破片が刺さっている)


 エマは家令の質問には答えず、さっと手のひらを上にして掲げる。それから、手の上の何かを吹き飛ばすように、ふぅっと息をかけた。


 サラサラと、どこからともなく現れた粉雪が吐息に乗り、それが家令めがけてゆっくりと飛んでいく。


「何ですかこれは!? あなた一体何を……うわぁ!」


 粉雪がくるくると螺旋を描きながら男性の体を包んでいく。やがてすっぽりと家令を包んだ粉雪は、風船が弾け飛ぶようにパッと霧散した。


 辺りにキラキラとした雪の結晶が宙を舞い、意識を失った男性がずるずるとその場にへたり込む。


 それと同時に、輝く大きな破片がエマの手に収まっていた。魔法の鏡の破片だ。これでまた一つ、回収したことになる。


(破片が思ったより大きいわ。残りはあとひとつかもしれない)


 エマが考えていると、後ろから少女の叫び声がした。


「セバスチャン!」


 振り向くと、大量のシーツを抱え、やけにぼろぼろな服を着た少女が立っていた。彼女はシーツを床に置くと、急いで家令の元へと駆け寄る。


「どうしたの、セバス! 何があったの!?」

「あ、大丈夫です。その方は今眠っておられるだけなので」


 心配させないよう、エマはきっぱりと説明した。

 鏡の破片を取り除いた男性たちは、みな例外なく気絶するのだ。その代わりすぐに目覚めて、また何事もなかったかのように元通りになる。セバスと呼ばれた家令も、数分もしないうちに目覚めるはずだ。


「そうなの……? もしかして疲れていたのかしら……最近のセバスは少しおかしかったものね」


 少女はまだ動揺しながらも、どこかほっとしていた。その間に、エマは彼女をまじまじと見る。――どうしても、彼女の容貌が気になったのだ。いや、正確にはと言うべきか。


 使用人ですらもっとまともな服を着ていると思うくらい、少女の服はあちこち色褪せてつぎはぎだらけだった。

 彼女自身も灰を被ったのかと聞きたくなるほど汚れ、髪はボサボサ、肌もボロボロ。白い手も信じられないほど荒れていた。一目で栄養状態が良くないとわかる。


 ざわざわと、エマの心が波立つ。そしておせっかいだとは思いつつ、エマは我慢できずずいと一歩近づいた。


「あの……あなた、ものすごく不健康そうに見えるのですが、もしかしていじめられているのですか?」

「えっ?」


 少女が困惑したようにエマを見る。


 二人は完全に初対面だ。突然そんなことを言われて驚くのも無理はない。だがエマはそんなことお構いなしに、さらにずいずいと詰め寄り早口でまくし立てる。


「もしあなたが、不当な扱いを受けているのならおっしゃってください。わたくしにはあなたを助ける力があります。お母さま……いえ、伯母さまに頼めば、きっと使用人として迎えてくれるはず。もちろん待遇は保証します。我慢する必要はありません。ぜひ我が家に」

「えっ? えっ? あの、一体何を……?」


 哀れな少女は、今やエマによって壁際にまで追い詰められていた。


「困っている人は放っておけません! 大丈夫です、わたくしを信じて――」

「こら。いなくなったと思ったら何をやっているんだ」


 その時、アルヴィンの声が後ろから降ってきた。

 エマがキリッとした顔で彼を見る。


「アルヴィンさま。わたくしは将来女王になる身として、弱き者を助けるよう育てられてきました。見たところこの方はずいぶんひどい環境で働かされています。伯母さまの家ならきっと使用人にそんな扱いはしません。だから今我が家へスカウトを――」

「待て待て。突っ込みたいところは山ほどあるが、ひとまず待て」


 アルヴィンがこめかみを抑えながら、エマを制する。ムッとしながらも、エマは言われた通りひとまず彼の言葉を待った。


「あのな……お前がスカウトしようとしているその人は、使用人じゃなくてマスネ家の三女だ。つまりマスネ子爵令嬢。この意味がわかるか?」


 アルヴィンが指さした少女が、おずおずと進み出る。


「は、はい……。実はそうなのです。私はリュセット・マスネと申します」


 エマはゆっくりと彼らを交互に見た。それからたっぷり十秒は経ってから口を開く。


「……すみません、もう一度おっしゃっていただいても?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る