第12話 リュセット・マスネ
「本当に申し訳ありません!」
青ざめたエマが椅子に座ったまま勢いよく頭を下げた。
リュセットの自室という小さな屋根裏部屋。ベッドに座る彼女を前に、エマはだらだらと冷や汗を流していた。
「つまりわたくしは――申し遅れましたがわたくしエマ・フィッツクラレンスと申しますが――、リュセットさまを、使用人と間違えたということなのですね……」
「そう。その上使用人として勧誘までしようとした」
窮屈そうに身をかがめながらアルヴィンがうなずく。
屋根が低すぎて彼は真っ直ぐ立っていられないのだ。唯一ある椅子にはエマが腰掛けて、扉に近い後ろのスペースには目覚めた家令がちょこんと体を丸めて収まっている。
――家令の意識が戻った後に、一同はリュセットの屋根裏部屋に移動していた。
「この見た目じゃ無理もないですわ。気にしていないので、どうか頭を上げてくださいませ」
そう言って微笑むリュセットの手は、やはり令嬢とは思えないほど荒れている。
家令のセバスチャンが、長い手足を抱えながらよよよと泣いた。
「本来旦那さまに代わって私がお嬢さまをお守りするべきにも関わらず、ここ最近の私はなんてひどい態度を……! 記憶はあるものの、なぜあんな風になってしまったのかさっぱりわからないのです。まるで自分が自分じゃなくなったようで」
「気にしないでセバス。もう過去の話よ。あなたが元に戻ってくれてよかったわ」
ズゥン、と目に見えて落ち込むセバスを、リュセットが慰めた。
それからもう一人、ズゥンと落ち込んでいる人物がいた。エマだ。
「全てはわたくしの責任です……」
「お前のせいというわけではないさ。説明すると長くなるが、魔法道具によるちょっとした事故なんだ。誰かが悪いわけではない」
やれやれとため息をつきながら、アルヴィンがフォローする。思いのほか優しい言葉にエマは驚いて顔を上げた。お礼を言うべきかどうか迷っているうちに、彼がリュセットを見て口を開く。
「それにしても、マスネ子爵令嬢ともあろう人がなぜこんな屋根裏部屋に? 見たところ令嬢とは程遠い生活をしているように見えるが」
「それは……」
「私が説明いたしましょう」
口ごもるリュセットの代わりに、セバスが言った。
「リュセットお嬢さまは、今は亡き前子爵夫人の忘れ形見であらせられます。ところが後妻として現子爵夫人を迎えてから、お嬢さまはこのような部屋へと追い出されてしまって……」
「継子いじめか」
アルヴィンのつぶやきに、家令がうなずく。
「ええ。旦那さまは商売拠点と領地の往復で留守にしていることが多く、帰ってくるのは数か月に一度あるかないか。そのせいであの女……いや、現奥様は好き放題しておられます。異議を申し立てた使用人たちは皆辞めさせられました」
セバスいわく、彼自身は子爵からの信頼が厚い上に会計を管理していたとあって、さすがの現子爵夫人も勝手に解雇はできなかったらしい。だが肝心のマスネ子爵が何度注意しても、現子爵夫人によるリュセットいじめはなくならなかった。
「私は本当に不甲斐ないです。亡き奥さまに託されたリュセットお嬢さまをお守りすることもできず……!」
「気にしないでセバス。私、そんなに苦しいってわけではないのよ。あなたがいつも優しくしてくれるし、みんなだってお義母さまが見ていない時は親切なんだから」
黙って話を聞いていたリュセットが微笑む。その横顔に恨みつらみといった負の感情はなく、あるのは聖女のような
エマは探るように聞いた。
「リュセットさまはつらくないのですか? この状況から抜け出したいと、思わないのですか?」
「……つらくないといったら嘘になるかもしれません。でも、いつかお義母さまやお義姉さまたちとも分かり合える日がくると思っているんです。ああ見えて優しいところもあるんですよ」
言いながらリュセットは部屋の隅に視線を向けた。見ればそこには一体のトルソーが置いてあり、質素だが可憐な白いドレスが着せられている。
「お義母さまから許可が出るとは思わなかったけれど、今度私も社交界デビューできることになったんです。しかもお義姉さまからお古のドレスも頂けて……。アレンジをすれば、十分使えます。やっぱりみんな本当は優しいんですわ。ああ、本当に楽しみ」
言いながら、リュセットは宝物に触れるようにそっとドレスの裾を持ち上げてみせた。
その白い頬にほのかな赤みがさし、顔には
――窓から差し込む光が、リュセットを優しく照らす。貧相な服をまといながら、彼女は内側からあふれ出る清楚な美しさに輝いていた。
その姿に一瞬言葉を無くしてから、エマは感動したように叫んだ。
「なんて……美しい方なのでしょう!」
それから勢いよく立ち上がる。
「わたくし、あなたを応援します。何かしてほしいことがあったら遠慮なく言ってください。リュセットさまを養女としてうちに迎えるぐらいは、お手のもののはずですので」
「待て待て待て! 何でまた話が戻っているんだ!?」
またもや鼻息荒く語り始めたエマに、アルヴィンが慌ててストップをかける。
「アルヴィンさま、先ほども言いましたがわたくしは――」
「“将来の女王として、弱き者は放っておけない”だろう? だが彼女は弱き者では――」
「そうです。弱き者ではありません」
「え?」
困惑するアルヴィンに、エマが拳を握って力強く語る。
「リュセットさまを弱き者なんて評したわたくしが愚かでした。見てください彼女の美しさと強さを! 間違いなくひどい扱いを受けているのに、誰も恨まずまっすぐ前を向いていられる芯の強さ……。素晴らしいです!」
「わかったから、いったん落ち着け」
言われて、エマは興奮冷めやらぬ様子で着席した。アルヴィンがしみじみと言う。
「お前、意外とそういう所で熱くなるんだな……。他の人に興味ないかと思っていたんだが」
「とんでもありません。わたしはいつでも人に興味津々です。女王になるものとして、彼女たちから学ぶことは多いですから。……ただ、男の人には近づきたくありませんが」
「ある意味男性恐怖症で助かったよ。ライバルは増やしたくないからな」
そこへ、家令のセバスチャンが恐る恐る身を乗り出してくる。
「あの……家臣として大変厚かましいお願いではあるのですが、よければお嬢さまのお友達になっていただけないでしょうか?」
「セバス!?」
突然の言葉に、リュセットが慌てたように身を乗り出してくる。
「何を言っているのセバス、おこがましいわ。私なんかがお友達だと知られたら、お二人が恥をかいてしまうもの」
「それならエマも“氷の悪女”と呼ばれて評判は最悪だから、気にしなくていい」
アルヴィンにくいっと親指で指し示されて、エマは熱気に満ちた目でうなずいた。
「はい。わたくし悪女でございますので、評判など気にしません」
「そ、そうなのですか? 社交界のことは詳しくないのですが、エマさまはとても親切な方に見えますのに……」
「まあそこは話すと長くなるんだが、悪い奴ではないのは確かだ」
アルヴィンのフォローに、リュセットがためらいがちに口を開く。
「でしたら……あの、ご迷惑でなければ、ぜひお友達になっていただけないでしょうか?」
「はい! 喜んで!」
即座にエマは立ち上がり、リュセットの両手をがっしりと握った。
「よろしくお願いします、リュセットさま」
言って、エマは微笑む。――ちなみにエマなりに最大限微笑んだのだが、周りにとってはそうじゃなかったらしい。後ろにいるセバスが「やっぱり考え直してください」と言わんばかりの不安そうな顔をしていたからだろうか。アルヴィンが慌ててフォローを入れた。
「あー、念のため言っておくと、悪だくみしているようにしか見えない顔だが悪意はない。これでもエマなりの笑顔なんだ」
一方リュセットは全く気にしていないらしい。感動したように言った。
「嬉しい……。私、お友達ができるのは初めてなんです」
「そうなのですか? 実はわたくしも、リュセットさまが初めてのお友達です」
「祖国に友達はいなかったのか?」
仰天するアルヴィンに、エマは自信たっぷりに返した。
「ええ。祖国の皆様はお友達じゃなくて、家族ですから」
家族は友達にはカウントされないのです、と続けるエマに、アルヴィンは納得したような、納得いかないような微妙な顔をした。
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