第26話 オスカーの病

「どういうことなのですか!? オスカーさまが病に倒れたというのは」

「わからない! 俺も昨日聞いたばかりなんだ! くそっ。ここ最近兄上を見ないと思ったのは、人が変わったからではない。病を隠していたんだ」


 王宮の廊下を、焦った顔のアルヴィンとエマが足早に歩いていた。その後ろを侍女姿のシロと、シマエナガたちが必死についてきている。


――エマとアルヴィンがオスカーに連絡を試みようとした矢先だった。『王太子オスカーが不治の病に倒れた』という噂が、一晩にして社交界を駆け巡ったのは。


「不治の病?」

「容体は?」

「余命は?」

「王太子は、誰に?」


 噂は瞬く間に広がってゆき、今では社交界のみならず、民の間でも囁かれる始末。

 アルヴィンとともに王宮にやってきた朝の間だけで、青い顔をして走り回る文官を何人見たことか。

 王宮中が、天と地をひっくり返したような騒ぎだった。


「この角を曲がった先が兄上の部屋だ」


 先導するアルヴィンが早口に言う。エマはうなずきながらその後ろをついていく。


 角を曲がってすぐさま目に入ったのは、困り果てた侍従らと切羽詰まった顔のアリシアだった。

 彼女は両手を組んで膝をつき、神に祈るような必死さで侍従たちに訴えている。


「お願いですわ! どうかオスカー殿下の部屋に入れてくださいまし。私はもう婚約者ではありませんが、それでもこのまま放っておくなどできません」


 そう訴えるアリシアの顔は涙で濡れていた。年嵩としかさの侍従が困ったように言う。


「アリシアさま。お気持ちはわかりますが、今はとにかく誰も入れるなという命令なのです。殿下の病もまだ確定したわけではなく、人に移る可能性も。今日のところはどうかお引き取りを」

「お願いです、一目だけでいいのです。誰にも口外しません。心配で、胸が張り裂けそうなのです!」


 そう叫ぶ彼女の頬を、はらはらと新たな涙が伝う。


 エマとアルヴィンは、呆然とその姿を見ていた。

 それからはっとしたアルヴィンが姿勢を正し、アリシアたちに向かって歩いていく。


「私から頼んでも駄目か? 兄上に一目会いたい」


 けれど侍従は、申し訳なさそうに背中を丸めただけだった。


「アルヴィン殿下、申し訳ありません。王妃さまより、医師以外誰も入れるなとの命令です。こればかりは殿下もお通しすることはできません。お二人ともどうぞご容赦を……」


 アルヴィンがエマを見て首を振る。どうやら今は諦めるしかないらしい。


 エマが小さくため息をついたとき、ふとアリシアの向こうに、赤いドレスを着た女性が立っているのが見えた。すらりとした、黒髪の女性だ。


(あの方どこかで……ああ、マリーさまだわ)


――それは、マリー・カレンベルク伯爵令嬢だった。

 オスカーの新しい婚約者に収まり、エマとアリシア二人をはめようとした張本人。


 改めて見ると、その姿は黒髪以外、アリシアによく似ていた。

 顔の造りはアリシアの方が若干華やかなものの、マリーも非常に整っている。何より、背丈やまとう雰囲気が、双子と言われても納得するぐらい似ていたのだ。


 じっと見ていたら、マリーもエマに気づいたらしい。一瞬焦った顔をしてから慌てて身をひるがえし、ぱたぱたと走っていく。


「アルヴィンさま、今の――」

「マリー・カレンベルクだな。改めて見ると憎々しい顔だ」


 『憎々しい顔』。その声には憎悪がこもっていた。


(あの方はあの方で綺麗なお顔でしたが……アルヴィンさま、わたくしより怒っておられる?)


 エマもマリーに対してしっかり怒っているつもりだが、なんとなく気迫がアルヴィンに負けている気がした。


 彼が厳しい顔で言う。


「マリー・カレンベルクの罪状は後々まとめるとして、今日のところは帰るしかなさそうだな。王妃の命令では、侍従たちも逆らうわけにいかないだろう」

「そうですね……」


 目の前では、まだアリシアがひざまずいて泣いている。


 エマはためらったが、悩んだ末にそっとアリシアに歩み寄った。


「アリシアさま、あまり泣かれてはお体に毒です。それに、目の下に隈も。もしかしてあまり寝ていないのですか?」

「……殿下のことを思うと、夜も眠れなくて……」


 真っ赤な目に、くっきりと刻まれた隈。相変わらず頬はこけているし、なんとも痛々しい姿にエマの胸が痛くなった。

 そっと背中に手をあてる。


「気持ちはわかりますが、オスカーさまの前にあなたが倒れてしまいそう。看病するにしても、まずはあなたが元気にならないと」


 エマの言葉に、アリシアがはっと息を呑んだ。それから光が差し込むように、ゆっくりと虚ろだった瞳に生気が戻る。


「看病……。そうよね、看病するためにはまず私が元気でないと」


 看病という言葉が、図らずしもアリシアに活気を呼び込んだらしい。丸まっていた背中が伸びる。


 ここ数日には見られなかった強い眼差しで、アリシアはまっすぐエマを見た。


「エマさま、ありがとうございますわ。泣いてもどうにもならないというのに、すっかりふぬけておりました。私は私のやるべきことを、しっかり務めないと」


 そう言ってアリシアはドレスをつまみ、公爵令嬢に相応しい見事なカーテシーを披露した。凛とした姿は、かつてエマを断罪した時に見せた姿そのもの。


 心なしか、アルヴィンも安堵したような表情を浮かべている。彼はエマやシロたちを見て言った。


「とりあえず、俺たちは一度戻ろう」

「はい」


 皆で踵を返そうとしたその時だった。

 バタバタと侍従らしき男が走ってきたかと思うと、息を切らしながら言う。


「アルヴィン殿下、至急お越しいただけますでしょうか。国王陛下がお呼びでございます」

「国王陛下が?」


 途端、アルヴィンの顔から穏やかさが消えた。眉をひそめ、険しい顔に浮かぶのは警戒の二文字。


「――悪い。先に戻っていてくれ。エマのことは頼んだぞ、シロ」

「はい、わたくしめにお任せを!」


 すぐさまシロが背筋を伸ばす。


「では姫さま、わたくしたちは家にもどりましょうか」


 シロにうながされて、エマは歩き出した。アルヴィンはその場に留まり、難しい顔で侍従と話をしている。


(何だろう……)


 状況的に、オスカーの病に関することだろうか。しかしなんとなく嫌な予感がする。


 一抹の不安を感じながらも、エマはシロとともに歩き出だした。アルヴィンの姿が、ゆっくりと視界から消えていくのを見ながら。

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