第37話 エマとアルヴィン

 マリーが修道院に送られてから、十日後。


 屋敷にやってきたアリシアがさみしげな、でもどこかすっきりとした顔で言った。


「今回のことは、きっとわたくしの忘れられない記憶となるでしょう。けれど、もしいつか彼女が悪魔に打ち勝つ日が来たのなら……その時は新たな関係を築けたらと思っているの。それまで、ひそかに見守るつもりですわ」


 修道院送りになった令嬢が、社交界に返り咲くことはない。

 しかしマリーは生きている。生きている限り、償いの機会は与えられるのだ。たとえそれが数年、数十年先になろうとも。


「それがアリシアさまの決断なら、わたくしは尊重いたします」


 対面に座るエマはうなずいた。アリシアが真剣な顔で身を乗り出す。


「エマさま、改めてお詫びさせてくださませ。元と言えば私が鵜呑みにせず、しっかり見抜いていたらあなたに迷惑をかけることもなかったのです。本当に、全ては私の至らなさが招いた事件でしたわ……」

「いえ、お気になさらず」


 頭を下げようとするアリシアに、エマがあっけらかんと答えた。


「わたくし、本当に気にしていないのです。猫に手を引っかかれたようなものですから」

「エマ、その言い方は誤解を招くからやめなさい。すまないアリシア嬢、彼女は言葉選びが独特なんだ」


 エマの隣に座るアルヴィンがすばやくフォローに走る。その様子を見て、アリシアがくすくすと笑った。


「エマさまは本当に不思議な方ね。気づいたらシスネさまもあなたの話ばかりしているし、義妹になる予定のリュセットさまも、あなたのことを語る時だけやたら早口になるのよ?」

「リュセットさまが早口に?」


 それはちょっと聞いてみたい、とエマは思った。


「ええ。今となってはあなたがなぜ悪女と呼ばれていたのか、不思議なくらい。私たち、本当に何も見えていなかったのね……」


 ここに来て、エマの名誉は急速に回復されようとしていた。

 エマの頼みでオスカーの命を救ったことは伏せられていたが、エマがどんなに素晴らしい人物か、リュセットとシスネ、それからアリシアが説いて回っているのだと言う。


 アリシアの言葉に、エマがきっぱりと答える。


「いえ、大丈夫です。そもそもわたくしが悪女なのは、事実でございますので」


 またアリシアがくすくすと笑う。


「そうね、そういうことにしておきましょう。……それより、お二人の結婚式はいつなんですの?」

「えっ」


 急に話題が変わって、エマは慌てふためいた。


「私とオスカーさまは一年後を予定しておりますけれど……あなたたちもそろそろ真剣に考えなければいけない時期でしょう? なんと言っても婚約者ですもの」

「間違いない。私としてもぜひ話を進めたいところだな。エマはいつがいい? やはり乙女憧れの六月か?」


 きらきらと瞳を輝かせるアリシアに、アルヴィンがここぞとばかりに乗っかってくる。その笑みを浮かべた顔を見れば、悪ふざけをしているのが一目瞭然だった。


「そ、そ、それは……!」


 エマの顔がみるみる赤くなっていく。せっかく男性恐怖症が治ったと思ったのに、今度は赤面症になってしまったらしい。そんなエマを見て、アリシアがまたくすくすと笑う。


 エマがぱたぱたと顔を仰いでいると、アルヴィンが立ち上がり突然エマの前にひざまずいた。――それはまるで、女王に忠誠を誓う騎士のようだった。


「エマ」


 彼の声が優しくエマの名を呼ぶ。

 その顔には穏やかな笑みが浮かび、青い瞳がきらきらと輝いている。珍しく改まった雰囲気に、エマはわけがわからず目を丸くした。


「改めて言わせてくれ。エマ・フィッツクラレンス伯爵令嬢……いや、エマ・イルネージュ王女。……俺の、妻になってくれませんか」


 エマは息を呑んだ。

 向かいにいるアリシアも、はっとしたように両手で口を押さえている。「わぁお」という声は、シロだ。


「俺と結婚して欲しい、エマ」


 驚いて何も言えなくなっているエマに、アルヴィンが珍しく照れたように笑う。


「……やっぱり、こういうのはちゃんと言っておかないと思ったんだが、ダメだったか?」

「い、いえっ! あの……!」


 全然ダメではない。けれど胸がいっぱいになってしまって、おまけに顔もさらに赤くなってしまって、エマはこう言うのがやっとだった。


「わ、わわ、わたくしでよければ、その……喜んで」


 噛み噛みで、洗練さのかけらもない返事。そのことに耳まで赤くしていると、アルヴィンが笑った。――心からの、嬉しそうな笑顔。エマの心臓がまた大きく跳ねる。


「よかった。もう脅していないし、嘘偽りない返事だと思っていいんだな?」

「も、もちろんです……」


 アルヴィンが聞けば、そばで小さく拍手をしていたアリシアがぴくりと肩を震わせる。


「脅してって、どういうことですの? そこのところ、詳しくお聞きしても?」


 アリシアの瞳が、好奇心がらんらんと光っていた。どう説明しようか悩んでいるところに、にゅっと割り込んできたのは侍女姿のシロだ。


「はぁーい! お二人とも残念ですが、その前に姫さまのお母君を忘れておりますよッ! 女王さま、口では『婿を見つけてこい』なーんて言っていますが、ああ見えてかなりの親ばかでございますからねッ! アルヴィンさまも色々ご覚悟をしてくださいッ!」


 その言葉にアルヴィンが考え込む。


「そういうタイプか……。営業用スマイルが通用すればいいが」


 シロの言葉を不思議そうに聞いていたエマも首をかしげる。


「男の子が周りに全然いなかったのは、わたくしが男性恐怖症だからかと思っていたけれど……違うの?」

「違いますねぇ」


 シロがにんまり笑う。


「イルネージュには、女王さまのきびし~~~いお眼鏡にかなう殿方がいらっしゃらなかったのですよ。だからこそ、留学に行かせると聞いた時はずいぶん驚いたものですが……」


 そこで言葉を切って、シロがわけありげにアルヴィンを見た。


「もしかしたら女王さまも、何かお考えがあったのかもしれませんねえ……。ま、わたくしめには想像しかできませんが」


『女王さまは色々考えていらっしゃるから!』

『ファスキナーティオさまって、結構腹黒よねえ?』

『アルヴィンさまと一緒なの~ぷぷぷ~』


 楽しげにさえずりまわるシマエナガを見ながら、アルヴィンがふうと息をつく。


「よし、とりあえずファスキナーティオ女王のことを教えてくれ。好みや性格、全てだ。そこから対策を練ろう」

「わかりました! お母さまはとても手ごわい人物なので、わたくし協力を惜しみません」


 意気込むアルヴィンとエマのほかに、もう一人鼻息を荒くする人がいた。アリシアだ。


「微力ですが、私もお力になりますわ。気難しい方と言えばカタリナ王妃陛下と長年接してきましたから、そのあたりは得意なのです。あっ! せっかくですからシスネさまとリュセットさまをお呼びしても?」


 アリシアの提案に、エマがパッと顔を輝かせる。


「そうしましょう! お二人ならきっといい案をお持ちです」

「どうせなら彼らの婚約者も駆り出そう」

「全員大集合ですわね。もちろんオスカーさまもお呼びしますわ」


 わきあいあいと机を囲み始めた三人を見て、シロがにんまりと笑う。


「ふふ……こんなにいきいきしている姫さまを見るのは、初めてでございますねえ」


『アルヴィンさまと一緒にいるとすごく楽しそう』

『愛のぱわーってやつ?』

『心がぽかぽかぬくぬくなの~ぷぷぷ~』


「そうですねえ、心がぽかぽかぬくぬく……こういうのを、ハッピーエンドと呼ぶのかもしれませんねぇ」


 ファスキナーティオ女王対策会議はまだまだ続くのだろう。そう、それはまるで彼らの物語のように。


「長くなりそうですし、新しいお茶が必要でしょうかね」


『それがいいと思う!』

『あたし、お菓子が欲しーい』

『にぎやかになりそうなの~ぷぷぷ~』


 チルチルと、楽しそうにさえずってシマエナガたちがシロの周りを舞う。シロはティーワゴンを押しながら、まだ話し込んでいる三人を尻目に、ぱたんとドアを閉じた。――彼らに、新たなお茶を淹れるために。










<完>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたくし、悪女でございますので 〜断罪されそうな雪の王女はなぜか腹黒王子に求婚されていますが、悪女をお望みならなりきってみせましょう~ 宮之みやこ @miyako_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ