第32話 エマの涙

 翌日。カーテンを閉め切った暗い部屋の中で、エマはネグリジェとも言える薄い白のワンピースを着て立っていた。


 起きてすぐ丹念に洗った髪はまだ少し湿っており、肌もしっとりと潤っている。


 “雪の女王の涙”を作るにあたって、全身を清める必要があったのだ。


「前から全身どこもかしこも白いと思っていたが……まさか光るとは思っていなかった」


 腕を組んで壁にもたれかかっているのはアルヴィンだ。彼も今は上着を脱いで、動きやすいブラウスとベスト姿になっている。


 明かりがないにも関わらず彼の姿がよく見えるのは、エマの全身が白く光っているせいだ。

 自ら光を発する星のように、エマが辺りをほんのりと照らしていた。


「絶対からかわれると思ったので、言ってなかったのです」


 むっすりと顔をしかめれば、彼がくつくつ笑う。それから真剣な表情で言った。


「――本当に、やるんだな」


 答える代わりにエマがうなずく。


「姫さま、どうかお気をつけて……!」


 そばで心配そうに手を組んでいるのは、オコジョ姿のシロ。シマエナガたちもぴょんぴょんと跳ねている。


『姫さま、がんばってください!』

『アルヴィンさま姫さまを守って!』

『ぼくすっごく応援するの~ぷぷぷ~』


「大丈夫だ。お前たちのお姫さまは俺が守る。心配するな」


 アルヴィンが言えば、シロがくぅっと泣きそうな顔になった。


「姫さま、どうか、どうか無理はせずっ……!」

「大丈夫よシロ。わたくし、やってみせるわ」


 それからエマはゆっくりと深呼吸した。


 深く、深く、空気を体中にいきわたらせるように、深く。細かな神経のひとつひとつに、すみずみまで意識を張り巡らせていく。全てを自分の手中に収めるためには、深い集中が必要だった。


 それからゆっくりと手を組み、祈る。


「――祝福を」


 途端、エマの体を膨大な量のエネルギーが駆け巡るのを感じた。油断すると、一瞬で体ごとはじけてしまいそうなほどの量。歯を食いしばり、組んだ手に力をこめてこらえる。


(落ち着くのよ。この力を制御しなくては……!)


 体の中を、ものすごい速さで光が走っていた。

 目をつぶっているのに、まぶたの裏で星がちかちかとまたたく。

 アルヴィンやシロが息を呑む気配を感じた。きっと部屋の中は、光ですごいことになっているのだろう。


 だがそれを確認する余裕はなかった。

 エマの生命力は光となって、体内で縦横無尽に暴れている。少しでも集中を切らせば、また一年前の二の舞、いや、一年前は母が止めてくれたが今回はいない。どうなるのか、エマにも想像がつかなかった。


 そうしているうちに汗がにじみ、ぽたぽたと落ちる。


(く、ぅ……!)


――制御を始めて、どのくらい経ったのだろう。


 けれどエマの努力とは反対に、時間が経てば経つほど魔力は膨れ上がる一方だった。収束する気配はなく、あふれた魔力がピリピリと肌を走る。

 それは極限まで膨らんだ風船が、破裂する寸前の様子に似ていた。


 手を握りしめすぎて、もはや感覚がない。

 苦しさに、エマはこらえきれずドッとひざをつく。


 その衝撃で、束ねていた糸がゆるむように、必死に保っていた集中力がほころび始めた。


「うっ……!」


 思わずエマはうめいた。集中力の限界を感じる。だが涙が形成される気配はない。


(駄目よ、今度こそ乗り切らなければ……! わたくしは、将来の雪の女王。わたくしが、彼らを救わなければ……!)


 だというのに体が限界を訴え始めていた。ままならさに、じわりと涙がにじむ。


――その時だった。


「落ち着け。俺がいる」


 ふわりと澄んだ、それでいて落ち着いた声が降ってきた。


――アルヴィンだ。


「アルヴィン、さ、ま……」


 すぐさま長い腕に、包まれるように体を抱かれる。彼の広い胸に、エマの額が当たった。


「苦しいなら俺に掴まれ。ずっと支えてやるから」


 耳元でささやかれる声はどこまでも優しく、どこまでも甘く。


 胸がいっぱいになって、またエマの目に涙がにじむ。組んでいた手をゆるめ、エマは言われるがままぎゅっとアルヴィンの服に掴まった。

 大きな手が優しく背中をさする。


「深呼吸だ、エマ。それから信じるんだ。自分と俺を」


 その声に導かれるように、エマは大きく息を吸った。


(信じる……アルヴィンさまと、わたくしを)


 再び意識を集中させると、すぐさま白い光が見えた。

 光は煌めく流星のように、高速でエマの中を駆け巡る。だが先ほどと違って、魔力がどんなに暴れても破裂しそうな気配はなかった。


(なに、この感覚は……)


 まるで誰かが、エマの魔力が漏れないよう外側から包んでくれているみたいだ。


 そう思った直後、くっとアルヴィンがうめく。目を開ければ間近に彼の顔があった。その顔はエマに負けず劣らず苦悶に歪んでおり、頬を汗が伝っている。


 だが目が合うと、彼は不敵に笑った。


「……心配するな。お前は自分の仕事だけ気にかければいい」


 その顔を見てエマは悟る。


(いま、この人がわたくしを守ってくれているのだわ……)


 はっきりと言葉で説明できない。だが間違いないと、直感が告げている。


「……ありがとう」


 エマが小さな声で言うと、またアルヴィンが口の端でにやっと笑った。それからぽんぽん、と背中を叩かれる。


(これなら、できる……!)


 アルヴィンに背中を押され、エマはもう一度強く祈った。


 暴れまわる魔力を抑えるのではなく、魔力そのものに意識を向ける。一本一本、糸をつむぐように魔力を束ね、まとめ、形にしていく。

 途方もない量の魔力を繊細に結い上げて作るのは、雫型の宝石だ。


 全神経を集中させて、“涙”を紡いでいく。


 そうして最後の一筋を束ねた瞬間、カッと白い光がほとばしった。


――辺り一面の、まばゆい白。生命の光そのものの白。やわらかくあたたかな、白。


 その光は、エマの意識を過去へと誘った。

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