第18話 醜いシスネ

「そ、それは……」

「私は婚約者殿のことをよく見ているほうでね。アリシア嬢が言っていた他の罪に関しても、かなりの部分で無実だと証言ができる」


(そうだったの……!?)


 アルヴィンがエマをよく見ていたなんて、初耳だ。あとで色々聞かなければと思いつつ、今はぐっとこらえる。


(……というかそれだったら黒幕を探す必要もないのでは)


 そんなことを思った次の瞬間、心の声が聞こえていたかのようにアルヴィンが言った。


「だが裁判が本当に始まってしまうと、膨大な時間を取られる上に記録にも残される。そうなる前にアリシア嬢に告発を取り下げてもらうのが一番早いんだ。彼女にとっても、裁判記録に名前を書かれるのは不名誉なことだと思わないか? 騙されているアリシア嬢と、濡れ衣を着せられているエマ。証言者を教えてくれれば、二人が同時に救える」


 シスネはと言えば、もはやエマの目から見ても陥落寸前だった。顔に先ほどまでの勢いはなく、うつむいて不安そうに指先をいじっている。


 アルヴィンは追撃した。


「あるいは、君がアリシア嬢に伝えてくれてもいい。私は断られたが、君の話なら聞いてくれるだろう。今アリシア嬢を救える人間がいるとしたら、それは君だけだ」


 それは、とどめの一言だった。


 完全に闘志を失ったシスネが、がっくりと肩を落とす。

 それから彼女は大きなため息をついた。


「……でも、だめです。殿下はあたしを買いかぶりすぎです」


 その声には諦めがにじんでいる。


「だめ? 何故?」

「あたしは……アリシアさまの取り巻きに混ぜてもらっているけれど、殿下の言うような信頼関係なんて築けていないんです。金魚の糞として許されているだけで、意見を言っても笑われるだけよ……」


 シスネの言葉に、エマの眉間に皺が寄った。アルヴィンも一瞬驚きを覗かせたが、すぐに落ち着きを取り戻して言う。


「……私の目にはいたって普通の友人関係に見えるけれど、なぜ君はそういう風に思うのかな」

「だってあたし、こんなに太って醜いんですよ」


 今度こそアルヴィンは目を丸くした。エマの眉間にますます皺が寄る。うっかり喋らないようぎゅっと口を結んだエマとは反対に、アルヴィンが慎重に言葉を続けた。


「……太って醜い?」

「どうせ、あなたたちだって本当はそう思っているんでしょう? 特にアリシアさまみたいな方と並んだら、あたしなんてただの豚だって自覚しているんです」

「いや……そんなことはないと思うけど?」


 少し話についていけなくなったらしい。アルヴィンの口調が崩れた。


「いいんですそういうフォローは。慣れていますから」


 アルヴィンを見ずに、シスネが吐き捨てた。


 その顔には、誰からの意見も受け付けないという強い拒絶が、頑固な汚れのようにこびりついている。

 これにはさすがのアルヴィンも困り、どうしたものかと首をひねった。


 そんな最中だった。我慢しきれず、エマが口を開いたのは。


「……あの、どこが醜いのか具体的にお聞きしてもよろしいでしょうか」


 エマの言葉に、アルヴィンが一瞬こちらを見て口を開きかける。だが考え直したらしく、最後には見守るような目でエマを送り出した。


「えっ? ど、どこがって……あなたそんな失礼なことを聞くの?」

「はい。どこが醜いのかわかりませんでしたので」


 淡々と聞き返せば、シスネが口ごもる。


「それは、その……まずどう見ても太っているじゃない」

「太っている。……ふわふわでやわらかそうなお体のことですか?」


 エマはじっとシスネの胸元を見つめながら言った。

 彼女の肌は本当に白く、それでいて体全体、特にボリュームのある胸は遠目から見ていてもマシュマロのようなやわらかさを持っている。できるなら思い切り抱きしめてみたいというのが、エマの本音だ。


「や、やわらか……!? そ、それから顔だっていつも脂でギトギトしているし……」

「血色のよいお顔のことでしょうか。つややかで健康美に溢れていると思いますが」

「そ、そんなことは……っ」


 たじろぐシスネに、エマが続ける。


「それに先ほどから醜いとおっしゃっていますが……お顔だってとても整っていますよね?」


 言うなり、エマは立ち上がって机に身を乗り出した。すばやくシスネの頬に手を這わせたかと思うと、クイと彼女の顎を持ち上げる。


「な、なな、なんっ……!?」


 動揺するシスネには構わず、エマは目を細めてじっくりと検分した。間近に迫るシスネの顔が、みるみる真っ赤になる。


「……やはり。おめめはぱっちりしていますし、新緑のような瞳も綺麗です。ぽってりとした唇も、果実のように瑞々しくセクシーですね。艶のある赤毛によく映えています」

「せ、せくしー……!?」


 今やシスネの顔は真っ赤に染まっていた。緊張からか吐息は熱く、はぁはぁと荒い。目も赤く潤み、まるで熱に浮かされているようだ。

 それを見て、エマが口の端を吊り上げる。――優しく笑いかけたつもりだったのだが、成功している自信はなかった。


「ああ、ほら。そうしているとますます愛らしさが増しますね。なんと初々しい……。どこからどう見ても、可憐な乙女じゃないですか」


 至近距離でささやくエマに、ふるふると震えて今にも崩れ落ちそうになっているシスネ。


 そんな二人の後ろから、くつくつと笑う声が聞こえた。アルヴィンだ。


「エマ、もうその辺で勘弁してやれ。かわいそうに、気絶寸前だぞ」


 言われてエマは手を放し、しぶしぶ席に座り直した。シスネはまだ衝撃から立ち直れていないらしく、肩ではあはあと息をしている。


「そういうわけでシスネ嬢、君はちっとも醜くないと私の婚約者が言っているようだが?」


 アルヴィンの口調は完全に面白がっていた。


「あな……あなたたち、からかっているんでしょう!? どう考えてもあなたみたいな美人があたしを褒めるなんておかしいわ! 姉妹の中であたしだけ豚みたいって、ずっと笑われてきたのよ……!?」

「まあ、それで認識が歪んでしまわれたのですね。おかわいそうに」


 横ではアルヴィンがもう我慢ならないと言うように、体を曲げて笑っていた。

 ずるりとシスネが脱力する。


「あなた何を言っているの……。あたしは……あたしは醜いのよ……?」


 誰かに答えを求めるような、自信のない声だった。


 散々笑ったあとで、アルヴィンが目尻を拭いながら「とりあえず」と口を開く。


「二人の言い分をまとめるとこういうことか。シスネ嬢は自分を醜いと思っている。けれどエマと、それから私も君を醜く思ったことはないよ」

「でも……でもあたしは……。そんな急に醜くないなんて言われても信じられない!」

「こんなに素直な気持ちをお伝えしているのに信じていただけないとは……。アルヴィンさま、やはり周囲の影響なのでしょうか」


 難しい顔をして、エマはアルヴィンに尋ねた。


「そうだな。周囲の人々の言葉は、よくも悪くも呪いになるものだ。シスネ嬢が美しいかどうかは置いておくにしても、少なくとも彼女は“自分は醜い”といる」

「困りましたね。どうやったらその呪いは解けるのでしょう?」


 真剣そのものの瞳でエマは聞いた。アルヴィンが、うーんと首をかしげる。


「……ほめ殺しとか?」

「ほめ殺し」


 その言葉に、エマはくるりと振り向いた。大きな瞳がまっすぐシスネをとらえる。エマの口が開きかけたのを見て、シスネはヒッと叫びをあげた。


「だっ……だめよ! その、気持ちは嬉しいけど、あなたたちにほめられても信じられないわよ!」

「わたくしたちがダメということは、他の方ならいいのですか?」


 エマが切り返せば、シスネは口ごもった。アルヴィンが思い出したように言う。


「そういえば君には婚約者がいたね。男爵家の長男坊だったかな」

「ならその方にほめてもらえるようお願いを――」

「やめて! ティムには絶対に言わないで!」


 すぐさまシスネが否定した。その顔には、今までにはなかった本気の焦りが浮かんでいる。彼女は早口で続けた。


「ただでさえ、ティムにはあたしなんかが婚約者になって迷惑をかけているのよ。お願いだから彼を困らせるようなことはしないで!」


 ぎゅっと手を握ったシスネの顔は必死だ。どうやら、婚約者のことを心配する気持ちは本気らしい。今までにない切実さに、エマは首をかしげながら言った。


「そもそもなぜあなたが婚約者で迷惑なのでしょう」


 問いかけると、シスネがうなだれた。そんな彼女に助け船を出すように口を開いたのはアルヴィンだ。


「どういう事情で婚約したのかはわからないが、シスネ嬢が伯爵家であるのに対して、ティム殿の家は男爵。少なくともティム殿の方から婚約を断ることは難しいだろうな」

「階級制度、ということですね」


 エマは呟いた。


 オルブライト王国にある階級は主に五つ。偉い順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。


(確か家柄は、発言権を左右するほどに大事だと言っていたから……)


 仮に男爵家であるティムが婚約を嫌がったとしても、シスネの生まれである伯爵家には逆らえない。ようやくそのことに思い当たって、エマは顔を上げた。目の前ではシスネが泣きそうな顔をしている。


「そうよ……。ただでさえ彼は『豚を押し付けられた』って周りにからかわれているの。せめて痩せて豚扱いから抜けたかったけど、全然ダメだったし……。それならこれ以上迷惑をかけたくないの!」

「痩せたかったんですか?」


 その言葉を、エマは聞き逃さなかった。


「痩せてひどい言葉で豚と呼ばれなくなったら、あなたの呪いは解けますか?」


 ふたたび勢いよく身を乗り出してきたエマに、シスネが引き気味に答える。


「え、ええ……。そりゃあたしだって痩せられるなら痩せたいわよ。でもうまくいかなくって……」

「それだ、エマ」


 アルヴィンがひらめいたように手を打った。


「お前の魔法で、シスネ嬢を理想の体型に変えられないのか?」

「そんな都合のいい魔法はありません」


 エマはばっさりと切った。


「痩せたければ、地道に努力あるのみです。減量用の器具でしたら、作れなくはありませんが」

「いやそれもだいぶ都合よくできているけどな……」


 解せない、という顔のアルヴィンを置いて、エマはシスネに向き合った。

 それから自信に満ちた口調で言う。


「ならば、やりましょう。シスネさま。わたくしがあなたを、半年で理想の体型にしてみます」

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