第9話 第二王子アルヴィンの回想 ★

――この国はアルヴィンに冷たかった。


 自分を見る、継母の冷たいまなざし。

 兄や弟に向ける温かく優しい目元はどこにもなく、口は硬く結ばれ、瞳は感情の色をなくす。まるでアルヴィンを見るだけで痛みを感じるように。

 直接的な暴力こそ振るわれなかったが、言葉で、何よりその氷のようなまなざしでどれだけなじられたかわからない。


 唯一血の繋がった親である国王は、最愛の女性を奪ったアルヴィンが憎いのだろう。滅多に会いにくることはなく、会っても決して目を合わせない。当然、言葉など数えるくらいしか交わしたことはなかった。


 その上、アルヴィンは奇妙な眼を持っていた。

 サファイアの如く澄んだ目は、人がその時考えていることを正確に見抜いてしまう。顔は笑っていても、腹の中で悪いことを考えている人間は目の奥が黒く濁るのだ。それに加えて、時々人ならざるものも見えた。


 幼い頃はそれを馬鹿正直に話してしまい、ひどく気味悪がられたこともある。やがて年齢とともに隠す術を覚え、顔で笑って本心は全て笑顔の裏に隠すようになった。

 途端、今度は女から無駄にちやほやされるようになってしまい、うんざりするはめに。熱っぽく見つめられれば見つめられるほど、継母たちとの温度差を思い知らされるのだ。

 それにそういう女たちの瞳は、揃いもそろってまとわりつくようなピンクの光がちらつく。濡れた粘膜を連想させる色も、アルヴィンにとっては不快なだけだった。


 こんなに視えるのならもしかして魔法の才能があるのかもしれないと、かすかな期待を抱いて魔法使いを訪ねたこともある。けれど年老いた魔法使いは、アルヴィンの希望を断ち切るように静かに首を振っただけ。


――アルヴィンさまは視えるだけで、魔力をお持ちではありません、と。


 つまらない人生だと思った。


 第二王子に生まれ衣食住には困らないものの、いいところはそれだけ。人の顔色を見ることばかり得意で、好かれるためのつまらない嘘を言うのが得意で、それでいて本当に愛されたい人たちには愛されない人生。


 アルヴィンに残されたのは、このまま適当にやり過ごし、駒として売られるのを待つことだけ。きっと売られた先でもおざなりに人生を過ごしていくのだろう。


 そう思っていた。


――彼女に会うまでは。




「ごめんなさい!」


 ドン、と体に走る衝撃。誰かにぶつかられたのだと気づいたのは、地面に手をついた少女が謝った時だった。


 どこぞの貴族の誕生パーティー。まとわりついてくる女にうんざりして家主自慢の庭を散歩していたら、走ってきた令嬢がぶつかってきたらしい。


(令嬢が走るとは。随分しつけのなっていない娘だ)


 そんな本音などおくびにも出さず、にっこりと王子スマイルを浮かべて手を差し出す。


「大丈夫ですか?」


 こうすると令嬢たちは皆、ポッと熟れた桃のように頬を染め、瞳をピンク色に光らせるのだ。


――そう思っていたのに、目の前の令嬢は違った。


 アルヴィンの顔を見た瞬間、サーッと音が聞こえそうなほど顔から血の気が引いた。青ざめていると言ってもいい。ただでさえ少女は髪も肌も全身どこもかしこも白いのに、ますます色を失って生きているか心配になるくらいだ。


「申し訳ありません、前をよく見ておりませんでした。いえ、わたくしなら大丈夫ですので」


 顔も声も絵本から抜け出た妖精みたいに愛らしいのに、喋り方は驚くほど冷たい。


 彼女はさっとアルヴィンの手を避けて立ち上がると、ドレスの裾を持ち上げて返事も待たずに走り去っていく。その後ろを、三羽の小鳥が必死に追いかけていた。


(なんだあれは。……エナガか?)


 予想外のことにぽかんとしていると、先ほどホールで話をした令嬢たちがいつの間にか後ろにいた。どうやら二人はアルヴィンをつけてきていたらしい。片方の令嬢がスススと身を寄せてきて、猫撫で声でささやく。


「大丈夫ですか、アルヴィン殿下。あの方、“氷の悪女”と呼ばれているご令嬢ですわね。なんでも男性と見ると見境なく色目を飛ばしてくるのだとか……。殿下もお気をつけくださいませ」


(色目? あれのどこが色目だ。むしろ激しい拒絶の目だったぞ)


 先ほど見た色素の薄いアイスブルーの瞳は、まっすぐアルヴィンを見ていた。そこに媚も色欲もなく、あるのは恐れと拒絶だけ。


「もともとエマ伯爵令嬢は病弱って聞いていましたのに、さっきはずいぶんお元気そうでしたわね? ちょっと、令嬢としてはしたないくらいかしら……フフッ」


 もう一人の令嬢も、媚を含んだ声で話しかけてくる。きっとその瞳はピンク色にぬめっているのだろう。だが今はそれも気にならなかった。


 エマと呼ばれた少女が走り去った方向をずっと見ていたからだ。


(へえ……エマという名前なのか)


 それからだった。ことあるごとに、エマを探すようになったのは。




◆ ◆ ◆




 エマは氷の悪女と呼ばれるだけあって、しょっちゅう物陰から男のことを見つめていた。子供から年寄り、使用人から貴族まで本当に見境がない。妙齢の令嬢の振る舞いとしては最悪だ。


 だがよくよく見ていると、どうも様子がおかしい。澄んだ瞳にあの気持ち悪いピンク色は見当たらず、悪巧みしている時のように黒く濁ることもなく、ただひたすら曇りなき眼で男性たちをいるだけ。


 おまけにその表情はだいぶ険しい。何に怒っているんだ? と聞きたくなるほど冷ややかで、あれに見つめられた人間は自分が一体何をしでかしたのか、内心ひやひやしているだろう。とてもじゃないが色目とは呼べなかった。


 一番驚いたのは、そんな振る舞いをしておきながら、彼女が意外とだったということだ。


(一体何なんだあの女は。謎すぎる)


 ある日のこと。社交界デビューしたてのまだ幼いとも言える令嬢が、緊張で飲み物をこぼした。キャッと小さな悲鳴が上がる中、真っ先に白いハンカチを差し出したのはエマだ。令嬢が染みを拭いている間に、彼女の姿は霞のように消えていた。


 またある時は、酔っぱらってひっくり返った令嬢を物陰に引きずり込んだかと思うと、侍女と一緒にせっせと看護をしていた。もちろん、令嬢の付き人を呼んでくるのも忘れない。どこから出したのか、ハンカチでくるんだ氷を令嬢の額に当てていた。


 別の日には、若い侍女にしつこく絡む男の前に立ち塞がったと思ったら、威圧感たっぷりに無言でひと睨み。気圧された男がすごすご退散すると、礼も聞かずにさっさと立ち去ってしまう。あまりの速さに、助けられた侍女はぽかんとしたまま。多分、誰に助けられたのかすらわかっていないだろう。


(氷の悪女が人助け? 何の冗談だ)


 予想外の行動に、日に日に視線が釘付けになっていく。


 気づけば義務として参加している退屈な催しが、何よりの楽しみになっていた。目的はもちろんエマを見つけることだ。


 そんなある日。どこぞの令息とどこぞの令嬢の婚約発表記念パーティーで、アルヴィンはいつも通りエマの姿を探していた。パーティーとつくものにはほぼ必ず彼女は現れるため、きっと今日もどこかにいるはずだ。


 室内は一通り探し回ったものの姿がない。では外だろうか、と人だかりから抜け出し一歩外に出る。


 季節は春の盛り。花々はその姿を見せつけんばかりに咲き誇り、新緑はいきいきと葉を伸ばしている。暖かな風が吹き抜ける中、家主が随分こだわったのだろう庭にアルヴィンは出ていた。


 ずらりと並んだ花の奥には生垣替わりの四角い常緑樹のオブジェトピアリーが並び、小さな回廊を形作っている。


(――向こう側にも庭があるな)


 奥には、開けた庭園が見えていた。とりあえずそちらも見てみようと回廊の半ばまで歩いたところで、アルヴィンを呼ぶ声がした。


「アルヴィン殿下っ!」


 どこか切羽詰まった、若い女性の高い声。振り返ったアルヴィンが目にしたのは、婚約発表パーティーの主役であるはずの令嬢だ。


 庇護欲を掻き立てられる小動物的な雰囲気に、ふわふわとしたピンクブロンド。おそろいの色のドレス。先ほどまで幸せいっぱいに微笑んでいたはずの顔には困惑と、それでいてどこか媚びた表情が浮かんでいる。

 その瞳を、熟れすぎたサクランボのように毒々しいピンク色が覆っていた。


 経験上、こういう時の女性は危険だった。


「……これはこれは。どうなさいました? あなたは今日の主役。部屋の中にいなくていいのですか?」


 営業用スマイルを貼りつけながら、遠回しに帰るよう促す。

 令嬢は困った表情をそのままに、そっと隣の生垣を指さした。


「実は婚約指輪が少し緩かったみたいで、つまずいた時に落としちゃったんです。……アルヴィン殿下、拾っていただけないですか?」


 その言葉につられて覗き込むと、なるほど、確かに生垣の奥に目当てのものがあった。

 奥の常緑樹と壁の間にはぽっかりと空間ができており、その上に光る指輪らしきものが落ちている。


(となると……助けるしかなさそうだな)


 いくらなんでも、生垣の間にドレスを着た令嬢を入らせるわけにはいかない。


「わかりました、しばしお待ちを」


 アルヴィンは花を踏まないよう気をつけながら草木をかきわける。それから、かがんで婚約指輪を掴もうとした時だった。


 ドンッ! と後ろからものすごい勢いで突き飛ばされたのは。


「うわっ!?」


 とっさに片腕で受け身をとったが、転がる場所を狙う余裕はない。バキバキと音を立てて枝や葉を破壊しながら、アルヴィンは斜め前にごろりと転がった。仰向けになり、すぐさま手をついて起き上がろうとしたところで、お腹の上にドシンッとのしかかられる。


「ご令嬢!?」


 信じられない気持ちで、アルヴィンは自分の腹に乗る女性を見つめた。


 そこにいたのは、先ほど潤んだ瞳で「助けて」と言った少女ではない。いるのはアルヴィンを逃さないよう全身を使って地面に縫い付け、不気味なピンク色の瞳で見下ろす女だけ。


「ああ、アルヴィンさま……。ずっとお慕いしておりました。どうか、結婚する前にひとときのお情けをくださいっ……!」


 アルヴィンの気持ち丸無視の、うっとりとした声。


 令嬢は完全に自分の世界に入っていた。

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