第35話 国王と王妃

 国王は、改めて見るとアルヴィンによく似ていた。

切れ長の目は年齢を重ねても美しく、色気と気品の両方を感じさせる端正な顔立ち。髪と瞳の色こそ違いはすれ、恐らく若い頃はもっと似ていたのだろう。


 部屋の中には国王と王妃、オスカーとアリシア、そしてアルヴィンとエマの六人が残されていた。

 エマは危うく退出させられそうになっていたのをアルヴィンが止めたのだ。彼女にも深く関わりがあるから、と。


「して、何がどうなったのか説明してもらおう」


 国王がアルヴィンを見据えた。その声は冷たく重く、親愛の欠片もない事務的な口調だ。王妃がイライラとした様子で扇子を打ち広げる。


 臣下のように首を垂れてから、アルヴィンは口を開いた。


「私の婚約者の国に伝わる秘薬を兄上に飲ませた。それだけです」


 その声は普段の彼とは似ても似つかないほど低い。

 いつもそうだ。国王や王妃の話をする時、彼はいつも凍ってしまったかのように声が冷たくなる。


 王妃の目が細められる。


「秘薬……? そう言えばそなた、最近婚約していましたわね。その者がそうなのですか?」


 王妃の視線がすばやくエマの全身を走る。王妃が値踏みしている間に、王が言った。


「イルネージュ王国の王女か……道理で。雪の女王の秘薬は、昔からまことしやかにささやかれてきたことだ」

「まあ、イルネージュなの!?」


 途端、王妃が態度を変えた。先ほどとは打って変わってにっこりと、慈悲深いとも言える笑みを浮かべて近づいてくる。


 目の前までやってくると、王妃はアルヴィンを全く見ることなくエマにカーテシーを披露した。

 これには隣に立つアルヴィンも驚いたようだ。王妃はこの国で最も偉大な女性。その彼女が、自ら腰を折ることなどありえない光景だった。


「この度は息子の命を救ってくださり、心よりの感謝を申し上げますわ。オスカーは私たちの宝、この国の宝です。あなたには感謝してもしきれません。惜しみないお礼をご用意させて頂きますわ」


 すらすらと言葉を並べ立てる王妃の姿は美しく聡明そうで、何も知らない者が見ていたらさぞかし感動的な光景だったのだろう。


 だがエマは、彼女に褒められてもちっとも嬉しくなかった。美辞麗句を並べ立てられれば並べ立てるほど、比例するように心が冷えていく。


「よければあなたを、親睦の晩餐に招待させてくれないかしら?」


 ありったけの親愛を込めた笑みが、エマに注がれる。

 けれどエマは、王妃の期待とは裏腹にとびきりの仏頂面で返した。


「いいえ、結構です」

「ええ、それでは……えっ? いま、なんと?」


 断られるとは微塵も思っていなかったのだろう。王妃の顔に驚きが生じる。


「結構と言ったのです。わたくしはあなたがたと親睦を深める気はありません」


 ためらうことなくエマが続けた。

 まっすぐ背筋を伸ばし、凛とした態度で正面から王妃を見据える。


「わたくしがオスカーさまを救ったのは、アルヴィンさまのため、アリシアさまのためです。決してあなたがたのためではありません。だから感謝もお気遣いも不要です」


 ぴりりとした緊張が部屋に走った。アリシアがはらはらとした目でこちらを見ているし、アルヴィンとオスカーもエマを見て硬直している。


 あっけにとられた王妃が、しかしなんとか気を持ち直したらしい。困惑しながらも笑いかけてくる。


「どうやら……この方は、少しばかりようですわね? 照れていらっしゃるのかしら。ねえアルヴィン?」


 場を和ませようとしているのだろうか。王妃は助けを求めるようにアルヴィンを見た。

 こんな時だけ、王妃は彼に目を向けるのだ。それを苦々しく思いながらエマが口を開く。


「あなたは今、初めてアルヴィンさまに微笑みかけましたね。この部屋に入って、初めて」


 怒りが隠し切れず、言葉の端ににじみ出てしまったかもしれない。王妃の目がすぅと細くなり、口元に不穏な笑みが浮かんだ。


「――あらあら、なにやらご機嫌ななめだと思ったら、それが原因だったの? そうよねえ、でも、あなたの婚約者ですものね。ふふふ、私ったらうっかりしていましたわ」


 そう微笑む瞳は、好戦的な光を放っている。

 “こんな子”、という言葉にエマは眉をしかめた。戦いの気配を感じたアルヴィンが、すばやく間に割り込む。


「いいんだエマ。俺は気にしていない。俺のせいで君まで対立する必要はない」

「いいえ、アルヴィンさま」


 その腕をやんわり押しのけて、エマはまっすぐ王妃を見据えた。


「言わせてください。あなたの婚約者として、思わずにはいられないのです。王妃さまがオスカーさまに向けるような優しさを、ひとかけらでもアルヴィンさまに向けられなかったのかと」


 王妃の顔から笑みが消える。


「……何も知らぬ者が外から言うのは簡単だわ。この子の母親が、私にどんな屈辱を与えたかわかる? 踊り子に負けた王妃と陰口を叩かれ、恥辱にまみれた私の苦悩が! 夫に裏切られたことも、子を産んだこともないお前にわかると!?」

「わかりません」


 憎悪を正面から受け止めて、エマが答える。


「わたくしは結婚したことも子を産んだこともありません。ですがひとつだけわかることとがあります。それは、アルヴィンさまに――子供に罪はないということです」


 エマがきっぱりと言った。


「あなたに屈辱を与えたのはアルヴィンさまではありません。あなたを裏切ったのもアルヴィンさまではありません。追及するなら国王陛下を追及すればいいのです。あなたがしているのは、ただの八つ当たりです」


 王妃はしばらく言葉を無くしたようだった。だが、怒りに震えるかと思われた肩はふるふると揺れている――笑いによって。


「ふ、ふふ……ほっほっほ! なんと気概のある子なのでしょう。ええ、そうね、あなたの言う通りかもしれないわ。私がやっているのはただの八つ当たり……そんなの百も承知していてよ」


 狡猾な肉食獣を思わせる笑みを浮かべて、王妃が続ける。


「今のあなたはとてもまっすぐね……羨ましいわ。けれどどこまでその正義を貫けるのかしら? どこまで純真無垢のままいられるのかしら? とても楽しみなことね……!」

「カタリナ。そのへんにしなさい」


 そこへ、威厳のある声で止めたのは国王陛下だった。

 水を差されて王妃は不快そうに眉を上げたが、すぐに扇子を広げて黙り込む。それを見て国王が続けた。


「イルネージュの次期女王よ」


 “次期女王”。その言葉に、エマが国王を見る。


「色々思うところもあるだろうが、全ては私の責任だ。カタリナをこんな風にしてしまったのも、アルヴィンをこんなに苦しめてしまったのも」


 隣に立つアルヴィンが、はっと息を呑む音が聞こえる。彼は気づいているのだ、国王がこれから何をしようとしているのかを。


 歳月という名の皺を刻んだ顔が、ゆっくりと下げられる。


「二人とも、すまなかった」


――それはまぎれもなく、王の謝罪だった。


 エマ以外の全員が、その重さに言葉を失っていた。アルヴィンも王妃も、オスカーとアリシアも目を見開いている。エマだけが静かにその謝罪を聞いていた。


 アルヴィンと王妃が慌てて言う。


「陛下、顔をあげてください!」

「……そうですわ。国王陛下ともあろう方が、簡単に頭を下げてはいけません」


 二人は視線を交わすことこそなかったが、どちらもしっかりと国王を見ている。

 それには構わず、国王は続けた。


「我々は長い間、道を間違えてきたように思う。新しい風、いや今回は雪と言うべきか。新たな息吹がもたらされた以上、我々も前に進まなければいけないのだろう」


 王妃が口をつぐんだ。こわばった顔は無表情で、彼女が何を考えているのかは読み取れない。王が続ける。


「……すぐには無理だろう。だからこそ、次期女王。あなたにも見ていてほしい。我々がどんな道を歩むのか」


 年齢を重ねた樹木を思わせる、深いブラウンの瞳がエマを見つめた。そこにはアルヴィンも王妃も口出しできない世界がある。


 答えられるのはただ一人、エマだけ。


「……わかりました。わたくしも見守りましょう。そしておかしいと思った時は、また口を出します」


 そこで言葉を切って、エマは微笑んだ。


「――だってわたくし、悪女でございますから」

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