第34話 白き慈悲
「んふっふ~」
これでもかと瞳孔を開いてにまにましているのは、オコジョ姿のシロだ。腕の中にシマエナガたちを閉じ込め、何が起きているのか見せないようにしている。
その声に、エマがばっとアルヴィンから離れた。真っ赤になった頬を手で押さえてしゃがみ込む。
(ふ、雰囲気に流されてとんでもないことを……。そんな場合ではないのに……!)
穴があったら今すぐ入りたい。恥ずかしさに悶絶していると、シロがにやけた顔のまま言う。
「あら、逃げられてしまいましたねえ。もっと続けていただいてもいいんですのに」
「シロが声を出すからだろう」
「それはそれは! わたくしめとしたことが大変失礼いたしましたッ!」
シロが自らの額をはたいた。ぺちっという音の代わりに、ぽふっという音が聞こえる。その拍子に、閉じ込められていたシマエナガたちがころころと床を転がった。
『苦しいよシロ!』
『なあに!? 今すごく楽しそうなこと起きてなかった!?』
『ぼくちょっと見えてたの~ぷぷぷ~』
耐え切れなくなったエマが顔を覆う。完全に彼らがいることを忘れていた。
一方のアルヴィンはけろりとした顔だ。エマよりよほど平常心に見える。
「それはまた今度見せてやる。それと、“雪の女王の涙”は?」
「また今度ってどういうことですか!? ……っとと、大事なものを忘れていました」
おほん、と咳ばらいをしてエマが手を突き出す。
固く握っていた拳を開くと、中から雫型の宝石が顔を覗かせた。
せいぜい小指の爪ほどしかない石は、白くくすんでいる。それでいて、月光を閉じ込めたような、青白い光がちらちらと覗いていた。
見た目はムーンストーンによく似ているが、これこそがまぎれもなく“雪の女王の涙”だ。
アルヴィンがじっと宝石を見つめたまま言う。
「これで兄上の病気が治るのか」
「はい。飲み込むことで、すぐにでも効果があるはずです」
エマは力強く答えた。
色々あったが、ついに“涙”を作れたのだ。
「……お前の体は、大丈夫なのか? どこか苦しいところや、痛いところは?」
青い目が、真剣に見つめてくる。
エマは跳ねる鼓動を隠して答えた。
「わたくしは大丈夫です。一つや二つ、雪の女王なら余裕なのです」
アルヴィンがほっとした顔をする。
「すぐにでもこれを、オスカーさまに」
エマの声に、アルヴィンがうなずく。二人は着替えると、急いで王城へと馬車を走らせた。
◆ ◆ ◆
「――兄上、これを」
オスカーの部屋で、アルヴィンがハンカチに載せられた“涙”を差し出す。ころりと転がる宝石を見て、オスカーが眉をひそめた。
「これは……?」
部屋は人払いを済ませてあり、中にいるのはエマとアルヴィン、それにオスカーとアリシアだけ。外では侍女姿のシロが、他の人が入ってこられないよう見張っていた。
「彼女が――エマが持ってきた秘薬です。これを飲めば兄上の病気は治る」
病気が治る。その言葉に、不安げに見守っていたアリシアがガタタッと立ち上がった。
「ほ、本当ですの!?」
「……私の病はもう打つ手なしだと、医師にも魔法使いに言われている」
いぶかしむオスカーに、アルヴィンが耳打ちする。
「兄上。彼女の魔法を覚えていますか。……あれは雪の魔法です」
その言葉に、すぐさまオスカーの目が見開かれた。
オスカーがどこまで知っているのかはわからない。だが雪の女王は畏怖の対象であると同時に、その神秘性は尊敬を集めてもいる。雪の女王なら奇跡的な魔法が使えるのではと、まことしやかに囁かれていた。そのことに思い当たったのだろう。
「そうか、そういう……」
「オスカーさま……。これがあなたを救うのですか?」
アリシアが、期待と不安に満ちた目で涙を見つめている。
普段なら、王太子が得体のしれないものを飲み込むなど絶対に許されない。アリシアも間違いなく反対していたはずだ。だが今のオスカーは既に死が間近に迫っており、医師にも
――ならば、残された手段はひとつだけだった。
オスカーはゆっくりと瞬きをしてから、決意したように顔をあげる。
「それをもらえるか」
その言葉に、アルヴィンがうやうやしく宝石を差し出した。オスカーがそっと涙をつまみ、しばしの間眺めてから――ぱくりと飲み込んだ。
それから。
「うっ……!」
胸を押さえて、オスカーがうめく。アリシアがすぐさまその体を支える。
「オスカーさま!」
「だ、大丈夫だ……! それより、体が熱い……!」
その言葉に反応するように、オスカーの体が光を放ち始めた。彼の体を縁取る白い光は、いつもエマが魔法を使う時に発する光そのもの。
普段から見慣れている者ならすぐに気づくだろう。間違いなくエマの力が発動しているのだと。
(わたくしの力が、オスカーさまの体に吸収されていく)
エマはオスカーの体が変容していくのを、アルヴィンとともに見守っていた。
雪の女王の涙。
それは、雪の女王の慈悲を意味する存在。
女王から奪うのではなく、女王の心を揺り動かした者にのみ与えられる、あたたかく白い慈悲。
それが今、オスカーの体に満ち始めていた。
ひときわ強い光が、カッと部屋にあふれる。他の者が目を覆う中で、エマだけはまっすぐ見ていた。オスカーの体から病が消え、躍動する生命力が宿るのを。
「……生まれ変わったみたいだ」
やがて、オスカーが自らの両手を見つめながら信じられないように言った。アリシアの瞳が期待で潤んでいる。
「ほ、本当に……? 本当に病は治ったんですの……!?」
「わからない……。だがここ数か月重かった体が、嘘みたいに軽いんだ。どこも痛くないし、苦しくもない」
言いながら、オスカーが確かめるように自分の体を触っている。すぐさまアリシアが走ってきたかと思うと、ひしとエマに抱きついた。
「ああ、ありがとう! エマさま、本当にありがとう……!」
エマは驚いたが、そのままぽんぽんと優しくアリシアの背中を撫でた。そうしている間にアルヴィンが扉を開け、見張りをしていたシロに話しかける。
「医師を連れてきてくれ」
「はいッ!」
その後オスカーの部屋は、すぐに医師たちでてんやわんやとなった。
誰が何度診ても彼の体は健康そのもので、病の気配などは微塵も感じない。
部屋には医師だけではなく宮廷魔法使いたちもここぞとばかりに詰め掛けてきており、時折ちらちらとこちらを伺う様子が感じられた。――もっとも、アルヴィンがすさまじい眼光を放ちながら睨みを利かせていたため、誰もエマには近づけなかったが。
「オスカーの病が治ったというのは本当か」
騒然とした部屋に突如響く重い声。人々はその声の主を見た瞬間、一斉に
ぼそりとアルヴィンが呟く。
「……国王陛下」
エマもあわてて頭を下げる。そうしていると、今度は女性の声が聞こえた。
「陛下が聞いているのよ。誰か答えたらどうなの!? オスカーは、私のかわいいあの子は無事なの!?」
王妃だろうか。ちらりと見上げると、美しく、けれどきつそうな顔立ちをした女性が医師に向かって扇子を突き出していた。指名された医師が慌てて言う。
「は、はい。信じられないことですが……宮廷医師全員が、オスカー殿下の病は治られたと、判断しております」
「ああ……! なんてこと……! 奇跡だわ、神はオスカーを見捨てていなかったのね……!」
王妃が医師たちをかき分け、感極まったようにオスカーの手を握った。アリシアがそっと場所をゆずる。
入口に立ったままの国王が口を開く。
「……だがどうして急に治った? 誰も知らないわけではなかろう。最初に、この事態に気づいたのは誰だ?」
しんと、一瞬でその場が静まり返った。一番始めに呼ばれた医師が、ちらりとアルヴィンを盗み見る。言っていいのか、確認しているようだった。
アルヴィンが小さくため息をついて進み出る。
「……国王陛下。私がお話ししましょう」
「ほう? アルヴィンか」
「なんですって……? お前が一体、何ができたと?」
そう言って眉間にしわを寄せたのは王妃だ。オスカーに対する慈愛に満ちた目とは全く違う、憎しみすら感じられる瞳。その顔を見て、エマがむっと口を結ぶ。
だがアルヴィン本人は気にする様子もなく淡々としている。その様子からして、王妃の態度に慣れ切っているらしい。
「お話します。――その代わり、人払いを」
「よかろう」
国王が低い声で言った。皮肉にも、その声はアルヴィンによく似ていた。
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