第28話 エマの婚約者

 体の芯から凍えさせる冷たい声で、アルヴィンが続ける。


「相手が誰だろうと関係ない。エマに害をなすやつは全員俺の敵だ。マリー・カレンベルク。手始めに貴様の一族から滅ぼしてやろうか?」


 クッと笑った顔は苛烈で、それでいながら恐ろしい程の色気を放っていた。怖いのに目が離せない、凄みのある笑顔だ。


 マリーの顔がサッと青ざめる。アルヴィンが本気で言っていることに気づいたのだろう。


「わ、私……何か勘違いしていたかもしれません」


 慌てて取りつくろうマリーを、アルヴィンが黙って見ていた。

 普段は澄んだ彼の目が、今は強い敵意を放ちながら濃い青色に光っている。マリーがこれ以上失言を犯せば、即座に刺すと言わんばかりの目だ。


「す、少し風が冷たくなってきたかしら。冷えるとよくないですわ。私はそろそろ失礼いたしますわね」


 挨拶もそこそこに、逃げるようにマリーがきびすを返す。そこで、今まさに飛び出そうとしていたエマとばったり出くわした。


「あ……」


 グレーの瞳が揺れる。だが彼女はすぐに顔を背けると、無言でエマの隣を駆け抜けて行った。


「……エマ?」


 振り返ったアルヴィンがエマの名を呼んだ。

 それからいつもの、穏やかな顔で歩いてくる。


「どうしてここに?」

「あ、えっと、それは……」


 『あなたに会いに来た』。そう言えばいいだけなのに、なぜかその一言が出ない。エマが言葉に詰まっているうちに、後ろからぴょこんとシロが顔を覗かせた。


「アルヴィン殿下! 今のはカッコよかったですね~ッ!」


『すごいです! 男気を見ました!』

『アルヴィンさまやるぅ~!』

『ビシッ! バシッ! て感じだったの~ぷぷぷ~』


 ピチチチチ、喜び勇んだシマエナガたちがアルヴィンに群がる。シロがビュッビュッと勢いよく交互に拳を突き出しながら、興奮したように言った。


「よくぞ! よくぞ言ってくださいましたッ! そう、我々の姫さまはあんなちんけな脅しには屈しないのですよッ!」


 ふたつのおさげが、シロの動きに合わせてぶらんぶらんと揺れる。

 その時になってやっと、エマはおずおずと口を開いた。


「あの……わたくしのせいで迷惑をかけてしまってごめんなさい。……それから、かばってくれてありがとうございます」


 本当は、エマも「とてもかっこよかったです」と言いたかった。だが、実際出た言葉は全然違うものだった。

 令嬢たちにはあんなにすらすらと誉め言葉が出るのに、アルヴィンの顔を見た途端、胸がいっぱいになってしまったのだ。


 そんなエマの気持ちなど知らず、アルヴィンがシマエナガたちを撫でながら笑う。


「なんだかいつもより大人しいな、エマ。久しぶりに会ったせいか? 全然連絡できなくて悪かった」

「そうですよアルヴィン殿下! 王太子の件といい、一体どうなっているんですか!? あとわたくしめも顎カリカリしてくださいッ!」


 ポンッ! という音とともに侍女が姿を消し、代わりに現れたオコジョが猛然とアルヴィンに飛びつく。

 それをしっかりと受け止めながら、アルヴィンがリクエスト通り顎の下を掻いてやる。


「この間呼び出されてすぐ、陛下に『お前を次の王太子に任命する』と言われたんだ」


 エマが目を見開いた。


(王太子……。では噂は、本当だったのね)


 息を呑むエマの前で、アルヴィンが続ける。


「王妃が『もうあの子オスカーをお見捨てになったのですか!?』って騒いでうるさかったよ。そもそも俺自身王太子になる気は微塵もないのに、陛下だけは絶対に譲らなくて……気づいたらこんなに長引いてしまった」

「アルヴィンさまは、王太子にならなくていいのですか?」


 食い気味にエマは聞いた。


 王太子になるということは、将来の王になるということ。それは王族に生まれた者として、とても喜ばしいことのはずだ。


 だがアルヴィンは、何てことないようにさらりと言う。


「王太子にはならない。俺はお前の婚約者だ。雪の女王の王配になるのに、王などやっていられるか」


 そうだよな? とシロに話しかけるアルヴィンを見ながら、エマはほっと安堵のため息をついた。


「そうですよね、アルヴィンさまはわたくしの婚約者だもの……」


 その呟きに、今度はアルヴィンが目を細める。

 それからエマの方に一歩踏み出したかと思うと、すらりとしながらも骨ばった男らしい手が伸びてきた。


 あたたかな指先がエマの頬に触れ、さらりと髪をかきあげる。


「なんだその顔は。もしかして喜んでいるのか?」


 言いながら、エマよりよっぽど嬉しそうな顔でアルヴィンが笑った。


 その瞬間、エマはまたもや令嬢ではありえない速さで飛び退いていた。アルヴィンに背を向けて、その場にうずくまる。


「とと、突然触るのはやめてください! 前も言いましたよね!?」

「やっぱり駄目か。そろそろいけるかと思ったんだが」

「いけません!」


 バックンバックン激しく鳴る心臓と――それからまたもや赤くなってしまった顔を隠すように、膝に顔をうずめる。


 後ろから、明らかにおもしろがっているシロの声が聞こえた。


「アルヴィン殿下……。今の、わたくしめ的には大変グッジョブでしたよッ!」


 顔は見えないが、親指を立てているシロの姿が簡単に想像できる。シマエナガたちもチルチルと乗っかった。


『シロが悪い顔してる!』

『おもしろいからもっとやって~!』

『ぐっじょぶぐっじょぶ、ぷぷぷ~』


 シロもシマエナガたちも、最近は本当にアルヴィン贔屓びいきがひどい。そう思うのに、エマはうぐぐと唸るばかりで何も言えなかった。

 先ほどアルヴィンに触れられても、不思議と不快や恐怖と言った気持ちはなかったのだ。ただ心臓だけが暴れまわり、ひどく落ち着かない。


 持て余す感情に、エマはまだ名前を見つけられずにいた。


「さ、おふざけはこれくらいにして、一緒に兄上の元へ行こう。ちょうど王妃から接見許可をもらったところなんだ」


 アルヴィンの言葉に、エマはパッと顔を上げる。


 色々予定が狂ってしまったが、何を隠そうオスカーには最後の破片が刺さっている可能性があるのだ。もし本当なら、すぐにでも取り除かねば。


「行きます」


 エマは呼吸を整えると、すっくと立ちあがった。

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