第23話 アルヴィンの悪女 ★

「アルヴィンさま。わたくし、あそこにいる男性たちに用があるのですがついてきてもらえますか?」


 エマが厳しい眼差しで見たのは、先ほどから盛り上がっている若い集団だ。男性が二人と、女性が数人。


(誰だあれは……見たことがないな)


 どこかの令息令嬢たちだろうか。全体的にどことなく浮ついた雰囲気はただよっているものの、みな身なりは立派で顔も整っている。


「構わないが、彼らは?」


 小声でささやけば、エマが怒ったように言う。


「シスネさまから聞き出したのですが、あそこにいる男性たちです。ティムさまの旧友で、シスネさまの外見を悪く言っていたのは」

「ああ……なるほど」


 アルヴィンは目を細めた。


 確かに、男二人はそんなことをしでかしそうなオーラがただよっている。はっきりとした色がついているわけではないが、空気がどことなくよどんでいるのだ。


「今夜の“お仕置き”は彼らというわけか」

「いえ、今回はお仕置きではなくです」

「教育?」


 予想していなかった単語に、アルヴィンが眉をひそめる。


「はい。お母さまがいつも言っていました。女王として若者の道を正すのも役目だと」


(若者……って言ってもエマの方が若く見えるけど?)


 などと思っても口には出さない。

 それよりこの“悪女”が、次はどんなことをやってくれるのか見たかった。


「それに、意地が悪いということはもしかしたら鏡の破片が刺さっているかもしれませんし」


 言いながら、エマがするりとアルヴィンの腕に手をかけた。

 不意打ちにアルヴィンが驚く。


「腕を組んで平気か? 無理はしなくていいんだぞ」


 だが彼女の顔に青ざめた気配はなく、むしろどことなく頬を染めていた。

 よく見ようとしたところで、ぷいと顔が背けられる。


「……平気です。おかげさまで、アルヴィンさまなら大丈夫になりましたので」

「そうか。ならもうすこし過激なことをしても許されるな?」

「それはダメです! 絶対にダメです!」


 必死に否定するエマを見てアルヴィンは笑った。

 今なら誰がどう見ても、自分たちは仲睦まじい婚約者同士にしか見えないだろう。


 そのまま二人は、何やら歓談が弾んでいるらしい集団に向かって歩いて行った。

 たどり着いてすぐエマが微笑みかける。


「皆さまごきげんよう」


 無論、彼女の微笑みは“にっこり”などという生易しいものではない。

 瞳は氷のように冷たく、それでいて薄く上がった唇は魅惑的なカーブを描き、相反する表情が得も言われぬあでやかさを放っている。


 アルヴィンに気づいた令嬢たちがぽっと頬を染める中、二人の令息はぎょっとしたようにエマを見た。だがその瞳の奥に、一瞬ぬめりつくようなピンク色が浮かんだのをアルヴィンは見逃さなかった。


「これはこれは、アルヴィン殿下と……その婚約者殿ではありませんか」

「わざわざご挨拶にきていただけるとは、光栄です」

「そんなに身構えなくていい。私の婚約者が、何やら君たちと話したいらしくてね」


 穏やかな笑みを浮かべながら、心の中で毒づく。


(エマの頼みでなければ、絶対こいつらに見せたりなどしないものを)


 『俺の婚約者をじろじろと見るな』。そう言いたいのをぐっとこらえ、アルヴィンは全く笑ってない目で威圧するにとどめた。


「僕たちに話……ですか?」


 思い当る節がないのだろう。二人は不思議そうに顔を見合わせている。


「ええ。あなたたちのお名前は知らないのですが、ティムさまと最近仲違いしたのだとか?」

「ああ、ティムですか……」


 途端、片方が小馬鹿にしたように鼻で笑った。周りの令嬢たちはきょとんとしており、どうやら事情を知らないらしい。


「俺たちとしては、彼に幸せになって欲しくて一生懸命助言したんですが、意見が割れてしまったようで」

「何、ちょっとした見解の違いですよ」


 なんて言いながら、二人で笑っている。


「まあ、そうなのですね……。ちなみに一体どんな助言をしたのですか?」


 エマの質問に、片方の男がさも“自分はわかっている”と言わんばかりの顔で語りだした。


「いや、あなたのような美しい女性には関係のない話ですけれどね。見た目があまりにもな妻は、貴族として恥になると言ったんですよ」

「ですが、ティムがそれにずいぶん腹を立ててしまってね……。まあ真実は時として耳に痛いものですから」


(腹の立つ男たちだな。聞いている俺がイライラしてくる)


 ちらりと横を見れば、エマの額には青筋が浮かんでいた。それから、ふっと彼女が微笑む。


――それは心臓が凍り付きそうなほど冷たく、美しい笑みだった。


 体の芯を撫でられた気がして、アルヴィンがごくりと唾を呑む。ぞくぞくと背中を走るのは、期待と興奮だ。


(さあ、エマよ。お前の悪女っぷりを見せつけてくれ)


 エマを見る自分の瞳に熱がこもるのを感じた。そんなアルヴィンの期待に応えるように、彼女が伏し目がちに続ける。


「どうやら、あなたがたはとても見る目があるようです。違いのわかる方、というのでしょうか」


 またどこからともなく、ひんやりとした風が吹き始める。令嬢たちが腕をさすりながら、不思議そうに辺りを見渡した。


 罠とも知らず、エマの言葉に男たちが鼻高々になる。


「自慢ではありませんが、普段からいいものに触れてきておりますからね」

「そのためつい口うるさくなってしまうのですよ。貴族というものはやはり、品格を大事にしなければいけないでしょう?」

「なるほど、慧眼けいがんをお持ちなのですね。……では、今のシスネさまの状態も見抜いていたと?」


 言って、エマがくりっと首をかしげた。

 その仕草は愛らしいが、肝心の目が全く笑っていない。というより見開かれていて怖い。


 だが呑気な男たちは気づいていないらしい。シスネという単語におや? という顔をしただけだった。


「今のシスネ?」

「ええ、今のシスネさまです」


 言って、エマの華奢な指がシスネを指した。その方向を見て、男たちの笑顔が強張る。


「……あれが、シスネ?」

「またまた、ご冗談を」

「あら、隣にティムさまもいるでしょう? 驚きですよね。ほんの少し痩せただけであのように魅力的になるなんて。……まさか気づいていないなんてこと、ありませんよね?」


 ぎらりとエマの目が光った。反対に、今まで気持ちの悪いピンク色で光っていた男たちの目がスッと輝きを失う。

 

「も、もちろん、ハハハ……!」

「気づいていないなんて、そんなまさか……」


 明らかに動揺を隠しきれていない、乾いた笑いだった。

 エマは追撃の手を緩めず、ゆっくりと口を開く。


「――わたくし、悪女でございますので」


 風が強くなる。

 鈍感な青年たちも、ようやく辺りの空気が変わったのに気づいたらしい。風に身を震わせながらも、彼らはエマに釘付けになっていた。


「悪口も勉強としてたしなんでおりますが、それでも時たま解せないことがあるんです」


 言いながら、エマが困ったようにフゥとため息をつく。

 小さな口からもれた吐息が、粉雪をまとって青年たちの頬を撫であげた。彼らがぶるりと身を震わせる。――二人の瞳には、なぜかピンク色が復活していた。


「あなた方は一体、シスネさまのどこを見て“残念”などと言っておられたのでしょう? あんなに美しいのに」

「い、今は痩せて綺麗になっただけで、太っていたころのシスネは――」


 片方が言い返した瞬間、エマの瞳がカッと見開かれた。


「おだまりなさい!!!」


 いかずちが大地を打つように、エマの怒号が響く。

 ビリビリと空気が震え、辺りにビュオオオオと突風が吹き荒れる。


「シスネさまの美しさを見抜けなかったあなたたちに、発言権などありません!」


 小さな体のどこからそんな威圧感が、と思うほどの圧倒的オーラを放ちながらエマは言った。


 王者とも呼べる貫禄に呑まれた人々は、まるで氷漬けにされたように身じろぎひとつできない。その姿に、アルヴィンは一瞬雪の女王の姿を重ね見た気がした。


 エマが胸を反らし、ビシッと指を突きつけながら言う。


「よいですか! 女性は生きているだけで美しいのです! 自分の好みから外れているからと言って、けなしていい理由にはなりません! 聞いていますか!?」

「「はいっ! 聞いています!!!」」


 そう叫んだ男たちは、なぜか隊長を前にした騎士のように姿勢よく直立している。そして二人とも、頬が赤く染まっていた。


「紳士たるもの、一にも二にも女性は褒めたたえてこそでしょう!? 理解していますか!?」

「「はいっ!!! あなたさまは美しいです!!!」」

「愚か者! わたくしではない!」


 カッとエマが吠えた。その声に心臓を撫でられた男たちが、ぶるぶるっと震える。途端、瞳の中のピンク色が勢いを増した。


(おい、こいつら新しい歓びを覚えてないか? くそっ。今すぐ外に放り出してやりたい)


 アルヴィンは舌打ちしそうになった。

 なぜか彼らは、エマに罵られれば罵られるほど悦んでいるらしい。これもエマの魔法なのだろうか。


「あなたたちは今すぐ頭に叩き込みなさい! 女性はみな美しいと!」

「「はいっ! 女性はみな美しいです!!!」

「外見の悪口など愚の骨頂! 二度と言ってはいけません!」

「「はいっ! 二度と言いません!!!」


 繰り返される応酬は、もはや奇行だった。

 実際、令嬢たちだけでなく、周囲の人々もぽかんと口を開けて見ている。

 だがティムの元旧友である令息二人はエマしか目に入っていないらしい。目はどっぷりとピンク色に浸され、女王をあがめる信者のごとく顔がとろけていた。


「わかったら、すぐさまシスネに謝りに行きなさい!」

「「はいっ! 謝りに行きます!」」


 返事をして、二人はくるりときびすを返した。だが一歩踏み出す前に、片方が名残惜しそうにもう一度エマを見る。


「あの……謝ったらもう一度僕たちをののし――喝を入れてもらっても?」

「おだまりなさい!!!」


 落とされる雷に、男たちが待っていましたとばかりに身を震わせた。


 アルヴィンは今度こそ舌打ちした。

 明らかに顔が喜んでいるのだ。こいつらは二度とエマに近づけさせない、と心の中で誓う。


「わたくしに指図するなど図々しい! さっさと謝罪しにいくのです!」

「「はいっ!!!」」


 シスネの元にすっとんでいく二人の後ろ姿を見送ってから、エマがふぅと息をつく。


 その途端、先ほどまでの剣呑さは消え、いつもの彼女に戻っていた。


「前回もでしたが、悪女らしい動きと言うのは本当に難しいですね……。わたくし、ちゃんと威厳は出せていましたでしょうか?」


 緊張が溶けたのだろう。顔にうっすら汗が見えて、アルヴィンはすぐさまハンカチを取り出した。

 そのままそっとやわらかな肌に押し当ててみたが、エマは嫌がることなくされるがままになっている。


「悪女というより女王のようだったが、迫力満点だったよ。俺としては、もっと汚い言葉を使う所も見てみたかったな」

「アルヴィンさま……実はそういうご趣味をお持ちだったのですか?」


 心配そうに聞かれ、アルヴィンはぶっと噴き出した。


「いや、そういうわけではない――」


 そこでアルヴィンの顔が強張る。――物陰にいる男の視線に気づいたのだ。


 その男は、いかにも夜会にやってきた貴族を装ってその場に立っていた。実際うまく化けているが、アルヴィンの目には彼の隠し切れない魔力が見えていた。


(――エマを狙う魔法使いか)


「アルヴィンさま?」

「いや、なんでもない。お前も疲れただろう。それより鏡の破片はなかったのか?」

「そうなのです。てっきり彼らに刺さっているかと思ったのですが……」


 肩を落とすエマに気づかれないよう、アルヴィンが魔法使いに目を向ける。


(今夜もまた、シロに伝達を送らないといけないな)


――エマがアリシアの件で魔法を披露して以来、兄であるオスカーだけではなく、魔法使いたちも彼女に目をつけていた。


 彼らが隙を見てエマに近づこうとしてきたのは一度や二度ではない。そのたびにアルヴィンは裏でシロと手を組み、あの手この手で接触を妨害してきたのだ。


(エマは俺の婚約者だ。この国の揉め事には巻き込ませない)


「今日はもう戻ろう。また先ほどの男たちが戻ってきても面倒だ」


 そう言ってエマとともに歩き出してから、アルヴィンは振り向いた。魔法使いが、ひそかに後をつけてきている。


 アルヴィンは酷薄な笑みを浮かべた。

 それから魔法使いを見据えると、拳を突き出し思いきり握る。


 途端、男が胸を抑えて苦しげにひざまずいた。周りにいる人たちが何事かとざわめく。


 そこで今度はぱっと手を放すと、魔法使いは呼吸を荒くしながらもなんとか立ち上がった。

 すぐさま自分の身に起こった異変がアルヴィンのせいだと悟ったようで、慌てて逃げていく。


 アルヴィンは満足げにほくそ笑んだ。


――エマを守りたい。

 そう願うようになってから目覚めた不思議な能力は、自分でも正体を掴めていない。だが。


(エマを守れるのなら、悪魔だってなんだって喜んで契約しよう。それが俺のだ)


 また何事もなかったかのようにエマの方を向く。

 彼女にだけ見せる、とびきり甘い笑みを浮かべて。



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近々作品タイトルを少し変える予定です。

(多分「わたくし、悪女でございますので〜断罪されそうな雪の王女はなぜか腹黒王子に求婚されていますが、悪女をお望みならなりきってみせましょう~」になります)

混乱しないよう、事前告知でした。

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