第17話 抛磚引玉 《ほうせんいんぎょく》…必要のないものを餌に、敵をおびき寄せます
結局、僕は指輪の願いを3つとも使い切ってしまったのはディリアに黙っていることにした。
先王の遺言がニセモノだと分かった以上、それは致命的な弱点となるからだ。
城に帰ってきたときは夜になったばかりだったけど、僕は大広間で探索終了の報告をしただけだった。
これ見世が死に指輪をはめた手で先王の遺言状をディリアに渡すと、自分の部屋に帰って寝てしまったのだ。
目の前に浮かんだステータスは、これだった。
〔カリヤ マコト レベル17 16歳 筋力31 知力34 器用度34 耐久度28 精神力32 魅力32〕
耐久度を除いて、パラメータは小刻みに30台まで上がっていた。
6面ダイス5つでセービングスローをしても、ほとんど成功する数値だ。
だが、そんな数値は、次の日に起こったことの前には何の意味もなかった。
オズワルに朝早く叩き起こされた僕は、妙に雰囲気の険悪な、朝礼前の大広間に連れて行かれた、というか引き出された。
ディリアは、ひざまずく僕をまっすぐに見つめるなり、真顔で尋ねたものだ。
「何か、隠していませんか?」
僕がその場で立ちすくんだのを、ディリアは見逃さなかった。
冷たい笑顔を満面に浮かべる。
「そう、ニセモノなんですね、この遺言状は」
残念そうに読み上げたのは、その文面だ。
たったひとりの我が王女ディリアに、この国と王家に関するすべての権利と責任を委ねる。
だが、かえって僕は安心した。
そっちだったか。
恥も外聞もなくひざまずいた僕は、指輪の願いやターニアとのやりとりは伏せた上で、カストとのやりとりをぺらぺらとまくし立てた。
真っ先に頭を抱えたのは、騎士団長のオズワルだった。
「まずい……これが城中や街にバレたら」
紙切れひとつで、ディリアのディリアの権威は失墜するのだ。
まずいのは、リカルドの側近であるカストが、その秘密を知っていることだ。
僕は、恐る恐る尋ねてみた。
「リカルドは、何か言ってきましたか?」
その気になれば、先王の遺言状はいつでも公表できる。
ディリアは、まだ不機嫌そうな顔で短く答えた。
「何も」
ターニアのことは知らないはずだ。ましてや、カストから女の子の匂いを感じたことなど、僕本人でもないのに分かるはずがない。
そこで気になったのは、なぜ遺言状がニセモノだと分かったのかということだ。
事情を聞いてみて、そっちのほうがぞっとした。
僕の様子が何だかおかしいと思ったディリアは、オズワルを街にやって、レシアスやロレンに鑑定させたらしい。
確かに、「
僕はいかにも深刻そうな顔をして、その場を取り繕った。
「何で……」
その答えが、オズワルのひと言で済んだ。
「カストの行方が知れんのだ」
そこで、閃いたことがあった。
この遺言状がニセモノであることを証明できる者は、今のところ誰もいない。
後で文句が出ても聞き流してしまえるくらい強力な支持者が得られれば、とりあえず、心配はいらなくなる。
「それは、四方の大貴族だな」
僕の案に、オズワルは渋い顔をした。
確かに、
そいつらに王位継承権を疑われたディリアはというと、呻くようにつぶやいた。
「私の味方をして、得るものがどれほどありましょうか……」
王様というものは、ひとりでやっていられるものではない。
有無を言わせぬ財力と暴力を持っている実力者が忠誠を誓ってこそ、人を従わせることができるのだ。
教室を牛耳るワルを、腕相撲で瞬殺してみせるような真似ができれば、僕の仕事は楽なものだったのだが。
それができないなら、方法はひとつしかない。
僕はいつになく、邪悪な何かが身体の中を満たすのを感じた。
頭の中に浮かんだイメージの中で、三十六枚のカードのうちの1枚がくるりと回る。
「先王の遺言状が見つかった。それだけで充分じゃないか?」
本物か否か、確かめる方法はない。せいぜい疑わせてやればいいのだ。
三十六計、「その十七」。
抛磚引玉 《ほうせんいんぎょく》…必要のないものを餌に、敵をおびき寄せる。
先王の遺言状は、ディリアの王位継承権を明かす唯一の拠り所だ。
これを手にしていれば、生殺与奪の権を握ることができる。
かつてリカルドの口車に乗ってディリアの地位を揺さぶりにかかった連中が、これを欲しがらないわけがない。
麻雀四家に使いをやると、案の定、その主たちは雁首揃えてやってきた。
厳めしい顔つきをした東西南北の大貴族たちが通されたのは、ディリアが廷臣や貴族たちと待ち構える、夕暮れの大広間だった。
ひざまずきもしない大貴族たちを見渡して、ディリアは鷹揚に告げた。
「あなた方が守る国の四方を出るのは、ずいぶんと朝早かったことと思います。まもなく晩餐会を開きますが、ねぎらいの酒が入る前に、確かめてもらいたいものがあります」
一国の君主が検分を求めるニセモノの遺言状というヤバいものを、お小姓のように恭しく差し出すのは、言い出しっぺの僕だった。
蝋燭の灯の下、ニセモノの遺言状は、その手から手へ矯めつ眇めつされながら順繰りに渡る。
ちょっとでも見づらい環境で確かめさせようという、僕のせこい策略だった。
やがて主たちはひそひそと密談を始めたが、ここでバレれば、晩餐会どころではなくなる。
だが、歓迎の宴は別の理由でお預けとなった。
大貴族のひとりが悲鳴を上げて腰を抜かしたのは、遺言状を肩越しに覗き込む、青白い影に気付いたからだ。
恰幅のいい大貴族たちが、ひとり、またひとりと床に転がったり屈んだりしては、何か喚いたり、哀願したりしている。
王国の端っこで自分の地位と領地を守ってきた過程には、幽霊というものに対して、よほどやましいことがあるのだろう。
だが、幽霊たちが取りついているのは、大貴族たちだけではなかった。
廷臣たちも貴族たちも、己を失って泣きわめいている。
僕の他に正気を保っているのは、その狂乱を黙って見渡しているディリアと、大広間の外に待機している騎士たちを呼ぶオズワルだけだ。
「全員、エルヴン・シルバーの武器を持ってこい!」
だが、幽霊たちは増え続ける。
これを収めれば、大貴族たちはディリアに一目置くだろう。
僕は大広間から掛けだそうとするところで、オズワルに囁いた。
「たぶん、原因はダンジョンです。僕が行きますから、騎士の皆さんと一緒に、ここをお願いします」
何のつもりか知らないが、こんな真似をするのは、闇エルフのエドマしかいない。
城をひとりで抜け出そうとする僕を、誰かがじっと見ているような気がする。
振り向くと、ディリアが全てを任せると言わんばかりに僕を見つめていた。
城の門を開けてくれたのは、例の門番だった。
朝までは戻れません、と声をかけられて、僕はただ頷いてみせる。
どっちみち、徹夜の戦いになるのだ。
中間とパーティを組んでいる暇はなかったが、当てはあった。
ダンジョンには、常にドワーフのドウニが待機している。
そして、エドマが動いているのなら、エルフのターニアが必ず現れるはずだった。
「お待たせ……『幻の森』から呼んだ、私の馬よ。しっかり掴まって」
どこから調達してきたのか、夜目にも白い馬に乗ったターニアが、僕を引っ張り上げた。
くびれた腰にしがみつくと、その手の上で豊かな胸がバウンドしているのが感じられる。
そのくらいの勢いで疾走できるのは、エルフの飼う馬だからなのだろう。
ダンジョンについたときは、予想からは信じられないくらい早かった。
各層を守る騎士たちには、敢えて城のことは告げないよう、オズワルから頼まれている。
最下層でハンマーをかついで待っていたドウニは、第17層へ降りようとする僕たちを見ると、何も言わずに
だが、曲がりくねった細い洞窟を進んでいくうちに、横からいきなり現れたナイフが、僕の目の前を横切った。
なんとかのけぞってかわしたが、カンテラを落として壊してしまった。
振り向きざまにターニアがレイピアを振るったらしく、鼻先で細身の剣が唸る。
弾かれたナイフから散る火花で見えたのは、闘うターニアの鋭い目つきだけだった。
聞こえたその声に感じられたのは、美しい顔には似合わない険しさだった。
「次元の狭間に潜まれた……かなり深い」
別次元から来たインビジブル・ストーカーが見えないのと同じ理屈だ。
エドマの使う隠形の魔法は、この類らしい。
すると、潜む次元をドンピシャで合わせなければ、捕まえられないことになる。
そう考えている間にも、エドマは動いていた。
「この層に潜む、人間どもの恨みつらみ、闇の通い路を通して全て地上へ解き放ってやったぞ。どいつもこいつも大喜びでな」
リントス国で心にやましいことのある者は残らず、今ごろ、恐怖に震えていることだろう。
そこで何か違和感を覚えて引っ込めた手には、効力を失った「願いの指輪」がはめられている。
これを奪われそうだったのだとしたら、TRPGでいう、セービングスロー成功といったところだ。
だが、僕が思いついたのは別のことだった。
ターニアの滑らかな肌を手探りで押しのけて叫ぶ。
「エドマ! 『願いの指輪』が欲しければ、僕と闘え!」
指輪をはめた指を固く握り込んだ拳を、闇の中へと突き出す。
抛磚引玉 《ほうせんいんぎょく》…必要のないものを餌に、敵をおびき寄せる。
ほう、とドウニは僕の後ろで笑ったが、ターニアは怖いくらいにかすれた低い声で止めた。
「ダメよ。アミュレットが弱点を教えてくれても、その場所が見えなかったら意味がないわ」
確かに、暗殺者のアンガならともかく、僕には見えない。
でも、セービングスロー成功の確率は上がっている。
それに賭けるしかなかった。
「僕があいつと刺し違えても、エルフなら助けられるよね?」
確かエルフは、薬草や医術にも優れているはずだ。
僕をかばうように豊かな胸へと抱き込んだターニアが泣いているのは、涙声で分かった。
ドウニが、面倒臭そうにつぶやく。
「どうでもいいが……来るぞ」
僕はターニアの腕を振りほどいたが、胸の谷間から顔を引き抜こうとする分、反応が遅れた。
やれやれ、とドウニがハンマーを構えるのが気配で分かった。
だが、助太刀というか、助
闇の中で、エドマが呻く声が聞こえる。
「卑怯な……!」
何が起こったのか分からないが、こいつに言われたくない。
いつの間にか、闇エルフは闇の中に消え、そこには別の何者かが残った。
光の中の草花の香りがするエルフとは違う、生身の肉体を持った女の匂い……。
誰かと思えば、それはリカルドの側近を務める、女のような姿のカストだった。
なぜ、こいつがここにいるのか、あれこれ考えている暇はなかった。
城に残してきたディリアが心配だった。
ドウニをダンジョンに残して、地上へと駆け上がるとターニアは言った。
「この子は、ひとりで帰してね」
カストのことではない。
ターニアは、白馬の耳元で何か吹き込むと、それを僕に預けて、風と共に消えた。
白馬は聞き分けよく僕を鞍に乗せてくれたが、カストは予定外だったらしく無視する。
カストはというと、僕が自分から手を差し伸べると、おとなしく後ろに座った。
城へ戻ると、もう夜が明けていた。
門はもう開いていて、東西南北の大貴族たちが出てくるところだった。
駆け去るターニアの白馬を後に、急いで大広間に駆け戻る。
薄暗く、だだっ広い部屋の中で呆然としていると、耳元でカストが囁いた。
「これで、貸し借りはなしだ」
振り向くと、そこには今にも朝礼に出ようという姿のディリアが、廊下でオズワルを従えて立っていた。
晩餐会のときの衣装ではない。
寝起きらしいオズワルが、不愛想な顔で言った。
「幽霊どもは消えた……エルフの武器で斬ったらな」
気になったのは、遺言状の扱いだ。
「大貴族たちは?」
オズワルは、不機嫌に答える。
「寝てしまいおった……礼も言わずに」
そこで、何事もなかったのだと察しがついた。
迷信深く、後ろ暗い所の多い大貴族たちは、幽霊たちから解放されたところで、遺言状の真贋を問うのをやめたのだ。
そう思うと、何だか無性に腹が立ってきた。
「で、ディリア……様も?」
僕のことは心配じゃなかったのだろうか。
ディリアは、大貴族のもとから戻ってきたニセモノの遺言状を、僕の前に差し出して無邪気に微笑んだ。
「信じてましたから。生きて帰ってくると」
そう言われると、指輪の願いを使い切ったのを隠しているのがうしろめたかった。
ディリアの言葉をつい聞き流してしまったところで、思い当たったことがある。
この大広間を出るときに僕を見つめていたのは、もしかすると、カストだったかもしれなかった。
あの女の匂いのする美少年は、命の借りを返すときをうかがっていたのだろう。
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