走為上《にぐるをじょうとなす》… 勝ち目がなかったら、戦わずに全力で逃げて損害を避けます。(中の1)
ダンジョンは沈黙した。
大広間で騎士団に包囲されていたリカルドはというと、最後の切り札が役に立たなかったというのに、うろたえもしなかったという。
やったことは明らかな反逆で、しかも外国の要人の目の前でそれが明らかになったのだから、ごまかしようがない。
発言に何の責任もない
「我が国なら、この場で斬首です」
それでもディリアは判断を保留して、とりあえず城の地下牢に厳重な監視をつけて拘留したのだった。
ただし、いちばん適任と思われる暗殺者のアンガは、そのスキルゆえに外された。
文句を言うアンガをなだめたのは、僕だった。
「万が一の場合、真っ先に疑わなくてはならないでしょう」
納得してはもらえなかった。
「牢内で自殺するような男ですか、リカルドが」
今までならあり得ないが、今後はそうとも言い切れない。
「仮に死刑が決まったとしたら、ひとりで死ぬような男でもないでしょう」
リカルドの性分として、誰かを道連れにすることはあり得ることだった。
牢の中のリカルドは、呆れたように言った。
「それで、見張りを買って出たわけか……異世界から召喚された婿殿」
居候からの昇格に苦笑しながら答えた。
「聞きたいことがあったからです……何で偽物だと言わないんですか? 先王の遺言状が」
リカルドはくつくつ笑った。
「連中が望めば、偽物でも本物になるのではないか?」
僕が持ち帰った遺言状は、ディリアとの結婚を認める格好の口実になったというわけだ。
「これ以上、何もなさらないことを望みます」
釘を差しはしたが、リカルドが何をしようと、ディリアや仲間たちと止める自信はあった。
だが、リカルドは僕を嘲笑する。
「そんなアテは外れるものだ。止めたいなら、命まで取る覚悟を決めることだな」
そして、ディリアの判断は下された。
あの『ダンジョン送り』だ。
刑が執行された後、ディリアは僕を隠し部屋に招いた。
「ごめんなさい、目隠しなんて。結婚式を挙げるまでは……」
ディリアがベッドの上に座っても、僕は立ったままでいる。
それはケジメというよりも、僕の心の中の迷いのせいだ。
……いいのか? 30過ぎの男が17才の娘と。
もちろん、ディリアはそんなことなど知る由もない。
「あの父上の遺言状には、何と書いてあったのですか? リカルドの処分で聞きそびれていたのですが」
持ち帰ったその場で、遺言状は中身を確認されることはなかった。
ディリアの婚約者という身分を明かすものという口実で、僕に託されたのだ。
「実は、まだ見ていないんです」
懐を探りながら答えたが、嘘だった。
本当は、こう書いてあったのだ
……追い詰められたら、王位にこだわるな。愛する男がいれば、異世界への呪文を唱えて共に逃げろ。
異世界の文書がなぜ理解できたかというと、その呪文に至るまで、日本語で書いてあったからだ。
その謎が解けるまで、中身は告げないほうがいい。
だが、ディリアは納得しなかった。
「そのために、ここへ呼んだのです……他に誰も見ていませんから」
仕方なく、僕は言い繕った。
「部屋にあるんです……落とすといけないから」
王位継承者の伴侶に与えられた部屋は、居候のものとは比べ物にならないくらい豪華で、戸締まりも警備も厳重だ。
しかし、ディリアは唇を尖らせた。
「持ち歩くことになっていたでしょう? 身分を明かすものは」
言い訳はムダだった。
立ち上がったディリアに唇を塞がれて、ベッドの上に引き倒されていたからだ。
シーツの上でしがみつかれてうろたえたが、肌に寝息を感じて安心する。
リカルドの処遇をめぐる重い判断に、疲れきっていたのだろう。
そんなディリアの背中を撫でてやりながら、考えた。
……どこへ行った? 遺言状は。
肌身離さず持っていたはずなのに。
心も身体も身動きが取れないままに、いつしか眠くなってくる。
抵抗空しく瞼が落ちると、その裏には新たなステータスが浮かんでいた。
〔カリヤ マコト レベル36 16歳 筋力100 知力96 器用度95 耐久度91 精神力106 魅力93〕
レベルの半分が、魅力に加算されていた。
ディリアと結婚したら、女官たちとの不倫を疑われないよう、要注意だ。
目が覚めたディリアは、何もなかったことに照れくさそうな顔をしながら侍女を呼んだ。
再び目隠しをされた僕は、部屋から出てしばらく歩いたところで、なるべく素っ気なく囁いてみた。
「さっきの子じゃないね?」
それをどう誤解したのか、侍女はくすりと笑って答えた。
「ええ……どうぞ私も可愛がってくださいませ」
今後、ディリアに聞かれたら大変なことになる会話だが、僕には別の意味があった。
……やられた!
身に付けている遺言状を盗み取るなどという芸当ができる者は、限られている。
そして、次の日の朝に別の騒ぎが起こったのにも、不思議はなかった。
次の日、大広間での朝礼を仕切ることになったのは僕だった。
「ディリア様はお疲れですので」
事情を説明すると、下世話な邪推をした廷臣たちや貴族たちの含み笑いが聞こえる。
昨日は何もなかったのだが、怒る余裕はなかった。
ディリアが姿をくらましていたのだ。
それに気づいた侍女たちが落ち着いていたのは、いつものことだからだ。
無口なオズワルが何も言わないのは無理もない。
だが、暗殺者のアンガでさえも、気づかなかったのを悔しがっている程度だった。
「おおかたダンジョンでしょう……面目ない」
僕はディリアを迎えに行くという名目で、オズワルにダンジョンまで送ってもらった。
モンスターはもう出ないので、丸腰のまま、ひとりで潜っても差し支えない。
だが、僕には分かっていた。
たとえ破邪の剣があっても、最後の層は制圧できないのだ。
三十六計、その三十六。
とにかく、ディリアを連れて地上へ逃げることだ。
これが、異世界召喚者としての最後の戦いになるかもしれない。
闇エルフのエドマでも閉じることができなかった地獄門の前へたどりつくと、そこにはディリアがいた。
「ごめんなさい……こんな罠に引っ掛かって」
その喉元に短剣を突きつけているのは、僕が予想した通りの人物だった。
目隠しを外す隙に、遺言状を盗み取った侍女だ。
「カスト……やっぱり」
男装に戻った美少女は、不満げに言った。
「気付いてほしかったよ……隠し部屋も知ってたし、女装だってしたんだ」
この第36層にたどり着くまで、あまりにも多くの出来事に振り回されたために、思い出すこともなかった。
ディリアを襲った暗殺者と、僕を誘惑した娘の身体の匂いは、カストのものと同じだったのだ。
これで、誘拐に誰も気づかなかったことの説明がつく。
「侍女に化けて、ディリアを誘い出したんだな……ひとりで来れば、遺言状を返すと」
それは、僕をおびき出すためだったろう、
しかし、何のために?
その答えを告げたのは闇の中から現れた、あの男だった。
「ここで死んでもらうためだ……ダンジョンを破る、異世界召喚者殿に!」
リカルドだった。
ディリアが呻く。
「命だけは取らなかったというのに……」
だが、元・宰相はかつての慇懃無礼さで応じた。
「ダンジョン送りになった者が、ここにいるのは当然でございましょう」
死んだことにしてやる代わりに、別人として生きる機会を与えたのが、思わぬ形で裏目に出たのだった。
では、何のためにダンジョンの底を選んだのか。
リカルドは、含み笑いをしながら片手を軽く振った。
その手の中に現れたものに、僕は息を呑んだ。
「闇の短剣……」
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