美人計《びじんけい》…美女を与えて敵の力を挫きます(後)

 ダンジョンから出たところで、馬を飛ばしてきた伝令にして暗殺者のアンガが、オズワルの前に鞍からふわりと舞い降りて膝をついた。

「東西と南から、軍勢が侵入してきます。その兆しは、昨日のうちに掴んでおりました」

 アンガの姿が見えなかったのは、そういうわけだったのだ。

 それにしても、現れたのがモンスターではないのは、どういうわけなのか?


 ……知っていたのだ。外国軍の侵入を。


 サイクロプスを国のあちこちへ出没させていたエドマなら、不思議なことではない。

 すぐさま、オズワルは命じた。

「続け」

 凄まじい勢いで馬を駆けさせると、騎士たちが後を追う。兵士たちも残らず、駆け足を始めた。

 あの新兵たちも例外ではない。

「すんません!」

「こういうことになってますんで!」

「あとヨロシク!」

 確かに、オズワルは命令する相手を指定していない。

 それは、こういう意味だ。


 ……空気読んでついてこい。


 正直、ついていけない体育会系のノリだった。

 気が付くと、僕はひとりで美女たちに取り囲まれていた。

 年齢もスタイルも様々だが、ただひとつ、共通点がある。

 僕をうっとりと見つめる、色気たっぷりの群れの向こうから、完全無視されていたアンガが冷ややかな眼差しで告げる。

「何とかするしかあるまい……私は知らんぞ」


 アンガによれば、他のみんなが姿をくらましたのも、似たような理由からだったらしい。

 日ごろから修行に励む魔法使いのレシアスと僧侶のロレンにしてみれば、美女たちは邪魔になる。

 裏社会に生きる悪党のロズと盗賊のギルは、「痛くもない腹を探られたくない」と思ったらしい。

 いちばんこたえたのが、エルフのターニアの態度だ。

 眩しいくらいの笑顔だけを残して、風の中に無言で消えていったらしい。


 早馬の後からは、宰相リカルドの仕切る近衛兵団が幌付きの荷馬車で迎えに来てくれた。

 最初の「ダンジョン送り」で死んだことになっているアンガは、すでに姿をくらましている。

 城に着いてみると、未だに彼らを仕切っている宰相リカルドが、自ら門の前で待っていた。

「先に声をかけてくだされば、嫌とは申しませんでしたのに」

 気前のいいことに、女たちはしばらくの間、城内に住む部屋までも与えられたのだった。

 ただし、美味しい話には必ず、裏があるものだ。


 ディリアへの挨拶のために朝礼の大広間に呼び集められた美女たちは、何を勘違いしたのか、そろって僕の前にひざまずいてくれたものだ。

「異世界召喚者様、身の回りのお世話をさせてくださいませ」

 これが、罠だった。

頭の中で、三十六枚のカードの中の1枚がくるりと回る……こともない。


 三十六計、「その三十一」。

 美人計びじんけい…美女を与えて敵の力を挫く。


 案の定、城の中で、僕は周囲からの冷たい視線を浴びる羽目になった。

 どこへ行くにも、個性的な美女たちが媚薬でも盛られたか、「魅了チャーム」の魔法にでもかかったかのようにぞろぞろ付き従ってくるのだ。

 仕方なく中庭に出ると、しどけなく草の上に足を崩して僕を囲む。

 その姿はまるで、ハーレムの王様に侍る後宮の女性たちのようだった。


 ……〔魅力75〕のバカ。


 困り果てていると、いきなり僕の腕の中に、ディリアが飼っている、白いフェレットのマイオが飛び込んできた。

 実をいうと、この小動物、エルフのターニアの分身なのだった。

 僕の耳元を撫でていく微かな風の囁きが、言葉となって聞こえてくる。


 ……困ったお姫様ね。今、ダンジョンに潜ったところよ、ひとりで。


 ターニアも含めて、女性と僕が親密になると、いつもこうだ。 

 だが、ひとりでダンジョンなど、へそを曲げるにもほどがある。

「何やってんだ……!」

 駆け去ったマイオを追うふりをして、身支度を整えに部屋へ戻ろうとすると、美女たちは色っぽい仕草で我勝ちにと僕に迫ってくる。

 だが、そこで凛と張り詰めた声が響き渡ったおかげで、安物のAVまがいの乱行を働くのだけは避けられた。

「目を覚ませ!」

 美女の群れが残らず青ざめて、草の上に突き刺さった短剣を前に立ち尽くしていた。

「おい、何もそこまで!」

 慌てて短剣を地面から引き抜いた僕からさえも、、美女たちはそろって後ずさる。

 たぶん、これが〔魅力75〕の効果と、媚薬や「魅了チャーム」の魔法の違うところなのだろう。

「行くぞ。こっちも、今はディリア殿を放っておくなとの仰せだ」

 そう言うカストの後についてダンジョンに向かうのは楽だったが、僕は丸腰のままになった。


 ダンジョンの前につながれた馬が疲れ切っていたのをみると、ディリアは怒りに任せて相当、駆けたのだろう。

 しがみつく僕を後ろに乗せたカストがどれだけ馬を飛ばしても、追いつけなかったわけだ。

 カストの身体は、性格の割に感触がふうわりとして、甘い香りがした。

 それに戸惑いながら、後についてダンジョンに潜ろうとすると、いきなり振り向きざまに睨みつけられた。

 訳が分からない。

 ダンジョン警備の騎士の剣は今の僕なら降り回せそうだったが、彼らの魂を借りていくわけにもいかなかった。

 第30層を守っていたドワーフのドウニは、カストを一瞥するなり、座り込んでしまった。

 見送りの言葉は、短かった。

「お手並み拝見」

 ディリアの危機を知らせてくれたターニアが手を貸してくれないのも、やはりカストの秘めた邪悪さのせいなのだろう。


 だが、その俊敏さと神速の短剣は、頼りになった。

 第31層に控えていたニセドラゴンを、襲い来るそばから切り裂き、撃ち落としていったからだ。

 そのせいか、しばらくの間は攻撃を受けることもなく、ダンジョンの中を静かに進むことができた。

 もっとも、カストはひと言だけ、僕に告げた。

「安心しろ。おまえごときに貸しは作らない」

 ほっとしていいのか悔しがっていいのか、考える余裕はなかった。


 なぜなら、狭い洞窟を抜けたところに現れたのは、巨大なモンスターだったからだ。

 カンテラの光が照らし出したのは、闇の中に浮かぶひとつの大きな眼……。

 サイクロプスだ。

 だが、僕が目を奪われたのは、その巨体は、とても丸腰では倒せない巨体ではなかった。

 サイクロプスの手から鎖で吊り下げられていたのは、リントス王国の姫君の姿だったのだ。

 だが、僕の口をついて出た名前に、「様」とか「姫」とかいう尊称はなかった。

「ディリア!」

 初めて会ったときに着ていた、ほっそりした革鎧レザーアーマーは無残に切り裂かれ、華奢な手足が大の字に開かされている。

 その真下で不敵な笑みを浮かべているのは……闇エルフだった。

「エドマ!」

 柔道も空手も使えないのに、徒手空拳のままで駆け出した僕と同時に叫んだ者があった。

「これをどうぞ」

 すぐ隣に追いついて、手の中に騎士の大剣の柄を握らせたのは、エルフのターニアだった。

 自らはレイピアを引き抜いて、エドマに襲いかかる。

 だが、エドマは風のように繰り出される刃を面倒臭そうにかいくぐりながら、ひと言だけ告げた。

「それ以上、私に刃を向ければ返さんぞ、その女」

 僕の手から、怒りに任せてサイクロプスに叩きつけようとしていた大剣が落ちる。

 ターニアも、忌々しげにレイピアを鞘に納めた。

 確かに、サイクロプスがひと暴れすればディリアの身体などひとたまりもない。

 万事休すだ。

 ただしひとつだけの方法を除いては……。

 頭の中で、三十六枚のカードの1枚がくるりと回って示したのは、この策だった。


 三十六計、「その三十一」。

 美人計びじんけい…美女を与えて敵の力を挫く。


 そこで、ちらと見やった先にいたカストがエドマに尋ねた。

「あの取引を覚えているか?」

 カストがホムンクルスを倒したとき、味方になるよう誘われていたのだ。

 エドマは苦笑した。

「応じるのが遅くはないか?」

 すると、カストはエドマに背を向けた。

「では、姫君は任せる。私と主にとっては、何者でもない」

 エドマは頷いた。

「……いいだろう」

 サイクロプスに向けて顎をしゃくると、ディリアは僕の腕の中へと返された。

 地獄門が、ゆっくりと開いていく。

 その向こうに満たされた禍々しい光の向こうへと、エドマとカストの影が消えていく。

 サイクロプスも後に続くかと思ったが、その巨体は僕たちに向かって屈められた。

 地獄門の向こうから、エドマの声が聞こえる。

「娘は返したが、お前たちの命までは保証しない」

 ひとつ目が、手の届きそうなところにまで迫ってくるのを避けて、ディリアの身体を抱えたまま後ずさる。

 だが、その華奢な足が、地面に転がる何かに引っかかった。

 しまった、と思ったときだった。

 サイクロプスの絶叫が、洞窟の中に響き渡る。

 見れば、さっき落とした大剣の刃がディリアの足に跳ね上げられて、サイクロプスの眼の真ん中に突き刺さっていた。

 それを聞きつけたのか、さらに2体が地獄門の向こうから現れる。


 ……誰だ? 誰にやられた?

 

 今度こそ、万事休すだ。

 目を刺されたほうがディリアだと答えれば、3体の分の拳が僕とターニア、ディリアを襲うだろう。

 だが、そのサイクロプスはこう答えるしかなかった。


 ……何者でもない。


 それでは仕方がないではないか、と両脇から抱えられたサイクロプスは、閉じていく地獄門の向こうへと消えた。

 

 大剣をターニアに預けた僕は、ディリアをおぶって地上まで戻ることになった。

 精霊の力は、貸してもらえなかった。

「助けを求めてきた人は、自分で守らなくちゃ」

 その言い分からすると、ターニアがぎりぎりまで助けに来てくれなかったのも無理はない。

 ダンジョンから抜け出したところで、ディリアは目を覚ました。

 朝日の中で僕の顔を見るなり、ぷいっと顔を背ける。

「反省なさい……私にこんなことをさせて」

 ターニアが姿を消していなかったら、話はもっとこじれていただろう。

 むしろ、報告しなければならないことは他にあった。

「実は、リカルドの側近のカストが……」

 敵対勢力とはいえ、ディリアの身代わりになったのだ。

 だが、その言葉を続ける必要はなかった。

「何か用か?」

 涼やかな顔立ちの美少年が、僕とディリアを見下ろしている。

 ディリアが不機嫌そうに眉をひそめたので、とりあえず、ごまかすことにした。

「……迎えに来ました」

 恭しく一礼したカストは慇懃無礼に告げる。

「恐れながらディリア様は、乗っていらした馬でお帰りください。異世界召喚者殿は、こちらで面倒を見ます」

 だが、ディリアの返事は辛辣だった。

「置いていきなさい。親切なエルフが、城まで送ってくれることでしょう」

 ふたつの騎影が駆け去っていくのを、僕はただ見送るしかなかった。 

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