第32話 空城之計《くうじょうのけい》… 敵を敢えて招き入れ、警戒心を誘います(前)
ターニアが現れなかったので、僕は城まで歩いて帰るしかなかった。
もっとも、途中で力尽きて道端に座り込んだところで、カストが頼んだらしい荷馬車が僕を拾い上げてくれたのだが。
そんなわけで、リカルドの悪事の片棒をさんざん担いではきたカストも、根はいい奴なのではないかという気がしてきた。
ディリアの身代わりとして、自ら闇エルフのエドマに付き従うことを選んだからだろう。
城に戻って自分の部屋でベッドに横になると、まどろみの中で思い出されたのは、あのしなやかで柔らかい身体の感触や、甘い香りだった。
……おい!
下半身が妙な反応をしそうになって、僕はベッドから跳ね起きた。
〔カリヤ マコト レベル32 16歳 筋力66 知力96 器用度84 耐久度80 精神力81 魅力75〕
新たなステータスが瞼の裏に浮かんで、ふと目を覚ませばもう、夕方だった。
部屋の扉を軽く叩く音がする。
開けてみれば、そこにはいつもどおりの冷たい目をしたカストがいた。
「な……ななななんだ、何か用か?」
何がやましいのか、自分でもよく分からない。
ただうろたえる僕に、カストは冷ややかに言った。
「用もないのに、こんなところには来ない。入るよ」
部屋の中にずかずか踏み込んでくるカストの先回りをしながら、僕は狭い部屋の中を、どうにか申し訳程度に片付ける。
カストは図々しくも、僕のベッドの上に座り込んで言った。
「まあ、座れよ。話は長い」
なぜかものすごい背徳感を覚えながら、僕は美しい少年の傍らに腰掛けた。
カストは語る。
「あの闇エルフは、もう、あんなデカブツを地上に送りだす気はないらしい」
何でも、エドマはサイクロプスを操れなかったことに危険を感じて、あの鈍い光の扉を自ら封じたというのだ。
にわかには信じがたい話だったが、カストの表情は真剣だった。
「これからは、再びモンスターの大軍がダンジョンを上ってくるだろう」
つまり、ダンジョン制圧に人員を割いたほうがいいということだ。
だが、カストがいつになく熱く語れば語るほど、僕は自分が冷めていくのを感じていた。
何かがおかしい。
カストらしくないのだ。
どうしてもカストが嫌いにはなれそうにないのに、疑わないではいられないもうひとりの自分が忌々しかった。
気が付くと、もう夜中だった。
音もなく部屋を出て行ったカストの残り香が気になって、眠れなかった。
そんなわけで、 やましいことは何もないのに、僕はカストから聞いた話をディリアの朝礼で報告する気にはなれなかった。
そこで、廷臣たちや貴族たちが集う大広間の隅に控えていたわけだが、アンガが現れたことで事情は変わった。
「リカルドが、国境の兵士に帰還命令を出しました」
その報告で、僕はようやく口を開くことができた。
「巨人たちが、ダンジョンへ帰っていったのでしょう。もう、兵を駆り出す必要がなくなったのです」
もう、カストを疑う気持ちはなくなっていた。
もしかすると、リカルドのもとを離れて味方になってくれるかもしれない。
だが、そんな期待は、息せき切って駆け込んできた騎士の報告で吹き飛んだ。
「押し返されていた南の国の軍勢が、兵の退いた土地へなだれ込んでまいりました」
僕は慌ててカストの顔に目を遣った。
主であるリカルドの大失態なのだが、動じた様子もない。
ディリアはと見れば、あまりのことに言葉を失っている。
出過ぎた真似だとは思ったが、僕は騎士に尋ねた。
「逃げてくる人たちはいますか?」
騎士は、今にも取りすがらんばかりに身を乗り出して訴えた。
「押し寄せてまいります」
ただし、見つめる先にいるのは、僕ではない。
そのまなざしを受け止めたディリアはようやくのことで口を開いた。
「全ての騎士を、南へ。ダンジョンを守る者は、そのまま残しなさい」
妥当な判断を下せるだけの冷静さに安心しながらも、僕は別のことを考えていた。
……外敵の侵入を前に、そんな内輪もめをしていていいのだろうか?
僕の心配をよそに、ディリアはいつにない勢いでリカルドへの反撃に転じた。
すぐに大広間へ呼びつけるなり、満座の中で叱り飛ばしたのだ。
「兵を引くのが早すぎたのではありませんか? 押し返された南の軍勢がすぐに戻ってくることなど、子どもでも分かることではありませんか!」
その通りだ。
しかし。
……リカルドはなぜ、そんな失態を敢えてやらかしたのだろうか?
リカルドは、おもむろに答えた。
「かようなときこそ、全ての騎士団に何もかも、お任せするべきではないかと思いまして」
その慇懃無礼はいつものことだ。
だが、騎士団をリカルドがないがしろにしていたのも、やはりいつものことだった。
南の国境で騎士たちを率いて戦っている口下手なオズワルの代わりに、ディリアが激昂する。
「ダンジョンのモンスターを放っておけというのですか!」
そこで、僕の頭に閃いたことがあった。
三十六枚のカードの1枚が、くるりと回るイメージが浮かぶ。
急いで廷臣たちや貴族たちの群れをかきわけて、ディリアの前に膝を突いた。
「リカルド殿が申し上げたいのは、そういうことではありません」
ディリアの声が震えながら僕に告げた。
「……見損ないました、カリヤ。しばらく顔を会わせないようにしましょう」
早合点にもほどがある。
僕の話は、まだ終わっていないのに。
三十六計、その三十二。
その策を口にしようとしたところで、リカルドが僕の耳元で囁いた。
「昔から言うだろう……謀は密なるを尊ぶ、と」
驚いた。
そんな中国の格言を、何故?
そんなことを考えている間に、廷臣たちがスクラムを組んで、リカルドと僕を大広間から押し出しにかかった。
その先の廊下には、アンガが待っている。
……まさか!
悪いことに、僕の直感は的中した。
僕とアンガの間にカストが飛び込んできたかと思うと、鋭く冷たい音が辺りに響き渡ったのだ。
それが互いの暗器と暗器のぶつかり合いだと分かったとき、背筋が凍りついた。
……どさくさ紛れに僕を殺すつもりだったんだ、アンガは!
まずはカストのおかげで命拾いしたわけだが、恐れていた暗殺の第二撃はなかった。
新たにやってきた伝令役の騎士が、吉報をもたらしたからだ。
「南からの軍勢が退却を初めました!」
ディリアが満面の笑顔で賞賛する。
「よくやりました。リントス王国を継ぐ者として、あなた方の勇戦を深く
だが、その騎士は謙虚にも、事実をそのまま告げた。
「南からの軍勢の側面に、リカルド殿の伏兵が現れましてございます!」
ディリアは、素直には喜ばなかった。
「リカルド、あなたと示し合わせてのことではありませんか?」
返事はなかったが、僕には事情が分かっていた。
最初から伏兵を警戒していた南からの軍勢は、袋叩きにされるのを避けたに過ぎない。
だが、ディリアは命じた。
「西北の国に使者を! 騎士団が追撃して殲滅できるよう、退路を断つのです!」
それはいけない。
僕はディリアに嫌われるのを覚悟しながら、敢えて止めた。
「追い詰められた者の反撃を侮ってはなりません! リントス王国の騎士だけでなく、西北の国の兵も傷つけることになります!」
案の定、そっぽを向かれたが、そこへ都合よくやってきたのは、西北の国からリンドが送ってきた使者だった。
その口上が、高らかに述べられる。
……戦わんとする者にあらずば、逃ぐる道を断つべくもあらず。風の知らせに応えて申し上ぐるものなり。
戦意を喪失した者の逃げ道を断つものではない、という戒めが、絶妙のタイミングでもたらされたわけだ。
このカラクリの種は、エルフのターニアだということは察しがついた。
ダンジョンから歩いて帰るしかない僕を放っておいたのは、こうなることを先読みして、西北の国へと馬を走らせていたからなのだろう。
勝ち戦にも関わらず、面子を潰されたディリアは、ただ立ち尽くすしかない。
その悔しげな顔を、僕はただ、黙って見ていることしかできなかった。
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