第25話  偸梁換柱《ちゅうりょうかんちゅう》…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にします(前)

 久々にダンジョンでの戦闘で徹夜して、城に帰ってみればもう、明け方だった。

 疲労と眠気は限界に達していたから、自分の部屋に戻ってベッドに横たわると、夢も見ないで爆睡するしかない。

 それでも僕の瞼には、あのステータスが容赦なく浮かんだ。


 〔カリヤ マコト レベル25 16歳 筋力39 知力64 器用度56 耐久度54 精神力53 魅力51〕

 

 筋力を除いた5つのパラメータが5ずつ上がっていたが、異世界に召喚された直後に比べると、あんまり嬉しくない。

 元の世界で学校勤めをしていた頃よりは、遥かに人から信頼されているし、必要ともされている。

 僕は、このリントス王国に災いをもたらす「この世の者には突破できないダンジョン」を制覇できる、ただひとりの存在なのだ。 

 これ以上、ダンジョンで何も起こってほしくはないし、たとえ何かが起こっても、僕が潜りさえすればすべてが解決する。

 それなら、パラメータが上がってもあまり意味がないんじゃないかという気がしていた。

 RPGでレベルが上がって嬉しいのは、クリアに必要な分までだ。

 そこから先は、謎解きのためのアイテム探しが中心になる。

 でも、これがゲームだとしたら、それなりの居場所を見つけた僕は、もう目的を達したようなものだった。

 もちろん、ディリアは守らなくちゃいけない。

 でも、リカルドはもう恐れるに足りないという気がしていた。


 そんなことを考えながら昼近くまでベッドの中でのまどろみを楽しんでいると、例によって部屋のドアを乱暴に叩く音がした。

 もちろん、騎士団長のオズワルだ。

 お決まりのパターンにうんざりしながら、まだ眠い目をこすりこすり出迎える。

 オズワルはものも言わず、着替える間も与えずに、シャツに下着一枚の僕を部屋から引きずりだした。

「呼ばれておる」

 貫禄のある大きな背中を見せて前を歩くオズワルの言葉は相変わらず、年や背格好の割には拙い。

 そのひと言ひと言の断片を継ぎ合わせてみると、昼から大広間に緊急招集が掛かった事情はだいたい、こんなところだった。

 

 騎士団に私邸を包囲されたリカルドの権威は、大いに失墜した。

 ディリアの朝礼でも、廷臣たちや貴族たちの間には、宰相恐るるに足らず、という空気が広がっていたらしい。

 不断から鬱憤の溜まっている人間が一旦、勢いづくと恐ろしいもので、リカルドを処罰せよという声が次々に上がったというのだ。

 その熱狂ぶりといったら、普段はリカルドの横柄さに辟易しているディリアのほうがたじろぐくらいだった。

 もちろん、それに押されたり流されたりするディリアではない。

 その場は廷臣たちや貴族たちをなだめて解散させたが、こういう話がリカルドに漏れるのは早い。

 最近姿を見せなくなった宰相の腹心、あの頭に来るほどの美少年カストがまたぞろ動き出したのだろう。

 今度はリカルドがディリアに迫って、廷臣や貴族たちを集めさせたのだった。


「お連れ申した……異世界召喚者殿だ」

 大広間の扉を開けたオズワルが、その中へたどたどしく告げる。

 その大きな手に押し込まれた大広間では、仰々しいガウンをまとったリカルドが、ディリアを背にして立っているところだった。

 不遜な、とオズワルが怒りに震える声でつぶやく。

 臣下の身で君主の前に立ったり座ったりすることが許されないというのは、マーク・トウェイン『王子と乞食』でも描かれているが、この世界でも同じことらしい。

 リカルドはディリアの威光を笠に着るかのように、不敵な笑いを浮かべている。

 たったひとりで。

 いや、もうひとり、大広間の隅にいる。

 並み居る廷臣や貴族たちの中でもひときわ目立つ美少年……カストだ。

 多勢に無勢という形で政敵たちに立ち向かっているかに見せかけているリカルドの周りに目を配っている。

 ダンジョンでの戦闘で見せた俊敏さからすれば、誰かが不穏な動きを見せた途端、瞬く間に背後へと駆け寄って喉元に短剣を突きつけるぐらいのことはするだろう。

 それが分かっているのか、リカルドは悠然とした口調で弁明を始めた。

 


「諸君のおっしゃりよう、確かに承った。ディリア様を支え、またその政に至らぬところがあれば、差し出がましいこともして参ったが、それを専横と仰せであれば、何も言うまい」

 大広間のあちこちから、非難の声が上がる。

「罪を認めるのだな!」

「ならば、刑に服せ!」

「国を去れ!」

 罵詈雑言の嵐の中、リカルドは動じる様子もない。

「お怒りはごもっともである。しかし……」

 その言葉を遮る声がある。

「この期に及んで、まだ申し開きがあるか!」

 リカルドは、ゆったりと頷いた。

 しばしの沈黙の後、おもむろに口を開く。

「では、誰の名において?」

 それはもちろん、王位継承者たるディリアだ。

だが、ここで意外なことが起こった。

 その場にいる一同が、一斉に顔を見合わせたのだ。

 隣に誰もいないオズワルは、代わりにリカルドを睨みつけるしかない。

 もっとも、その眼差しは届かない。

 リカルドは、腹心カストが嘲笑を浮かべて眺める廷臣や貴族たちを見渡して、やんわりと告げた。

「まず、ディリア様は、独身であらせられる」

 リントスの王であるためには、世継ぎを残せる配偶者が必要だ。

 だから、先王の指名だけでは女王を名乗れない。

 更に、リカルドは僕の知らなかったルールを告げた。

「それ故、人を罪に問うのは宰相の役目にてございます。」

 誰が口にしているかはともかくとして、割と筋道の通ったルールだった。

 民の命や自由を奪えるのは君主のみ。

 その君主に国権の全てが委ねられないうちは、臣下のトップが刑の執行にチェックを入れるというわけだ。

 だが、それでは、宰相が犯した罪を裁く者がいない。

 国連安保理の常任理事国が戦争を起こしたら、拒否権を発動されて制裁ができないのと同じだ。


 そこで僕は、慇懃に一礼して口を挟んだ。

「騎士団長殿のご紹介にあずかりました異世界召喚者にてございます」

 カストが面白そうに僕と目を合わせた。

 振り向いたリカルドが不敵に笑う。

 廷臣たちと貴族たちが、一斉に期待の眼差しを向けた。

 僕はおもむろに尋ねる。

「宰相殿がディリア様の臣下を罪に問うたことがございましたな?」

 リカルドが謀反の罪をでっち上げたときのことだ。

 あれで僧侶のロレンや暗殺者のアンガ、魔法使いのレシアスが味方についたのだった。

 そのときのことについて、リカルドはさらりと言い抜ける」

「ディリア様が新たに、ダンジョン送りという刑を設けられたときのことでしたな」

 引っかかった。

 そこで僕は文字通り、一歩踏み込んで尋ねた。

「順序が逆ではございませぬか?」

 リカルドは事もなげに答える。

「ディリア様の仰せを、宰相たるリカルドが確かなお触れとしてお認め申し上げたのでございます」

 だが、そんなことは想定内だ。

 僕は、思い切って啖呵を切った。

「その正統性とは、いわば力で人を抑えつけても許されることの証……それをお認めになる宰相殿が知らぬとおっしゃれば、罪を問うことはできぬということでございますか?」

 さあ、どう答えるか。

 できない、とは答えられまい……腹の中で思ってはいても、口にしたら、それこそ謀反だ。

 この大広間を血に染めてでも、オズワルが大剣でリカルドの首を吹き飛ばすことだろう。

 だが、返事はあっけないものだった。

「その証たる、遠い昔に何処かへ隠された王笏がございます」

 ちょっと待て。

 そんなアイテムがあるなんて聞いてない。 

 ご都合主義の後出しジャンケンもいいところだ。

 だが、その抗議は僕の胸の奥に留められた。

 ディリアを初めとして、大広間の中に反論する者は誰もいなかったのだ。

 リカルドは、勿体ぶって言い放った。

「その正統性を振りかざせぬようにという、王家の先祖の知恵でございますが……その証をディリア様が手にされていらっしゃれば」

 知っていたのは自分だけでないことを確かめたリカルドは、ただ見送るしかない僕たちを尻目に、悠々と大広間を出ていく。

 その後に音もなく追いすがってきたカストが、僕の耳元で囁いた。

「なかなかやるね。面白かったよ……」

 頭の中で、三十六枚のカードのうちの1枚が、くるりと回る。

 でも、あんまり面白くないイメージだった。


 やられたのは、僕のほうだからだ。


 三十六計、その二十五。

 偸梁換柱ちゅうりょうかんちゅう…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にする。


 ディリアは先祖の知恵に背いてまで、正統性の証レガリアを探さなくてはならなくなったのだ。

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