第18話 擒賊擒王《きんぞくきんおう》… 中心人物を捕らえることで、敵を弱体化します(前編)

 ディリアの朝礼の後、部屋に戻った僕はベッドに倒れ込む。

 重い瞼は自然に閉じたが、次のステータスは浮かんでこなかった。

 仕方なく目を開けると、シーツにくるまって横たわるカストが、まるでコトが済んだ直後のように剥き出しの背中を晒していた。

「……え?」

 あまりの不条理に愕然としていると、カストは眠そうな目をこすりこすり身体を起こした。

 前を隠していたシーツがはらりと落ちる。

 そのとき、僕の目に飛び込んできたものがあった。

 大きくはないが、確かにある胸のふくらみ……。

 だが、飛び込んでこなかったものもある。

 男なら、臍下三寸に当然あるべきもの……。

「うわああああああ!」

 そこで跳ね起きて初めて、夢だと分かって安心した。

 もうひと寝入りしようとしたところで、ドアをけたたましく叩く音がする。

 オズワルが呼んでいた。

「起きてるな? ちょうどいい」

 冗談じゃない。

 僕は夢の中のカストとのように、シーツにくるまって横になった。

 次のステータスが、ようやくのことで瞼の裏に浮かぶ。


 〔カリヤ マコト レベル18 16歳 筋力34 知力37 器用度37 耐久度31 精神力35 魅力35〕 

 

 各パラメータが40に達しないよう、きれいに3ずつが割り振られていた。

 

 しばらく経ってから戻ってきたオズワルの激怒に逆らうこともできず、僕はしぶしぶ起き上がった。

 腹立ち紛れの要領を得ない話を聞くと、何でも街の酒場で魔法使いのレシアスと、僧侶のロレンが呼んでいるらしい。

 行ってみると、ふたりとも朝から辛抱強く待っていたということだった。

「悪かったよ」

 さすがにすまないと思って謝ると、ロレンは気にもしていない様子で、アンガの容態を報告した。

「もう、起きて歩けるようになっていますよ。これを機に、暗殺なんて血なまぐさい仕事からも足を洗ってはどうかと思いますが」

 それは困る、とクギを刺したレシアスは、真顔で尋ねる。

幽霊スペクターと闇エルフを撃退したそうだな?」

 自分のいないところで、という悔しげなニュアンスたっぷりだったので、僕はカストに助けてもらうまでの経緯を、先王のニセ遺言状の件から正直に話した。

 すると、ロレンが首を傾げる。

「なぜ、ニセモノが必要だったのでしょうか? いや、そもそも、それがニセモノだとカストが言う根拠は何なのでしょうか? いや、そもそも、ホンモノが存在するのでしょうか?」

 そのどれにも、僕は答えられなかった。

 さらに、レシアスがたたみかける。

「指輪を見せてみろ」

 願いの指輪を預けると、なにやらぶつぶつと唱える。たぶん、魔力感知センス・マジックの呪文だ。

 やがてレシアスも、眉を寄せて考えはじめた。

「これに魔力がないのが、闇エルフに分からないはずがない。なぜ、これを手に入れようとした?」

 レシアスに分からない魔法のことが、僕に分かるわけがない。


 レシアスとロレンの用件はそれだけだったので、昼食を共にする金のない僕は、城に戻った。

 例の門番のすぐそばで待ち構えていたオズワルは、再び怒りで顔を真っ赤にしていた。

「遅い! 何をしていた!」

 自分で僕を追い立てておいて何を言うかと思ったが、こういう相手に逆らっても意味がない。

 今朝同様に急かされるまま、僕は後についていった。

 着いた先は城の大広間だったが、その光景には既視感があった。

 廷臣や貴族たちを従えた宰相のリカルドが、ディリアに詰め寄っていたのだった。

 オズワルが囁く。

「……遺言状だ、先王の」

 口下手なオズワルの説明を聞くまでもなかった。

 リカルドは理路整然かつ滔々と、城内に広まる噂について、ディリアに問いただしはじめる。

「まず、先王の書き付けなるものを見せていただきたいところではございますが、それはおそらく、ディリア様の望むところではございますまいから、臣下の身分では無理強いいたしかねます」

 空中庭園で束の間のくつろぎを楽しんでいたディリアを呼びつけたこともあるくせに、よく言う。 

 しかも、いつものことだが慇懃無礼で話が回りくどい。

 ディリアが遺言状を見せるとも見せないとも言わないうちに、リカルドはさらにまくし立てた。

「古くからの倣いとして、女王が立つときは世継ぎを間違いなく得るため、伴侶を設けることになっております。国王であれば側室を抱えることもできましょうが、女王の身ではそれが叶わないからです。先王がそれをご存じなかったとは考えられません」

 僕たちの世界で代議士や大臣がこれを口にすれば、政治生命が終わるところだ。

 だが、ここは異世界だった。

 リカルドの口車に乗った連中は大げさに頷き、そうでない者たちはそわそわと顔を見合わせたり、うつむいたり、ディリアの顔色をうかがったりしている。

 当のディリア姫はどうしているかというと、口元を固く引き結んで宰相リカルドの追及に耳を傾けている。

「敢えて伴侶を定めるお考えが先王になかったとおっしゃりたいのなら、それは許されません。いかに先王といえども、古くから守られてきた掟を覆すことはできない」

 相手の考えていることを先にでっち上げて、袋叩きにする。

 ネトウヨやカルト教団のよく使う手だ。

 さすがにディリアも、この決めつけには堪忍袋の緒が切れたようだった。

 一同の耳目が、そのひと言に集中する。

「それだけ言えばもう、充分でしょう。あなたを扇動の罪に……」 

 だが、その相手はもう、隠形の魔法でも使ったかのように大広間から消えていた。

 カストのしわざだ。

 大広間を埋め尽くした廷臣や貴族の中から、微かな声が上がる。

「……専横にもほどがある」

 そうだそうだ、というひそひそ声が、次第に大きなうねりとなって広がっていった。

 僕たちの世界で言えば、これが「サイレントマジョリティ」なのだというところだろう。

 ディリアは苦々しげに言い渡した。

「下がりなさい……これ以上、話すことはありません」

 これを私学の職員会議で校長が口にすれば、後には労働組合からの吊るし上げが待っている。

 そんな一種の敗北宣言を慰めるように、ディリアが胸に抱くフェレットのマイオが、もふもふした身体をすり寄せた。


 それと機を同じくして、城中や市中にも異変が起こり始めた。

 次の日の朝礼では、大広間は元通り、がらんと静まり返っていた。

 部屋の隅では、数少ない廷臣や貴族たちが集まって、何やらひそひそやっている。

 その中でのオズワルの報告に、ディリアは唇を噛みしめた。

「ダンジョンが?」

 統率の取れたモンスター集団が第18層から現れ、騎士たちの守る層の奪回を図りはじめたというのだ。

 オズワルは、苦々しげに事情を語る。

「騎士たちに負傷者が出ておりますが、新手を送り込んで……」

「なりません」

 ディリアは報告を遮ったが、オズワルは聞かなかった。

「命を捧げておりますれば……この国と王家に」

 部屋の隅の密談が、ぴたりと止んだ。

 徹底抗戦しない君主に、部下に犠牲を強いる現場の長。

 スタッフがやる気をなくす職場の典型だ。

 ディリアが、力ない声で告げる。

「今日の朝礼はここまで」

 更なるの敗北宣言に、廷臣たちや貴族たちは、そそくさと退出する。

 僕はため息をついた。

 どうしてリカルドが何か仕掛けるたびに、ダンジョンではゴタゴタが起こるのだろうか。  


 いずれにせよ、闇エルフのエドマが動いているのは間違いない。

 僕は早速、第18層に向かうことにした。

 他の誰にも、「この世の者では突破できない」ダンジョンの最下層で起こっていることを止められはしないのだ。

 僕は昼食を待たずに街へ出て、酒場で仲間たちと連絡を取ることにした。

 すぐ目に付いたのは、盗賊のギルだった。 

 まだ仕事に復帰できない暗殺者のアンガの代わりに、ディリアの連絡役を引き受けている。

 店の隅っこの席にいるところに声をかけると、斜向かいの隅を無言で指差した。

「ちょうどいい……手を貸してくれ」

フードつきのコートを羽織った影と、目で牽制しあっていたらしい。

 何度となくダンジョンに潜ってきたおかげか、僕にもそいつが何者だか察するだけの勘は備わってきていた。

「……たぶん、ホブゴブリンだ」

 ダンジョンに巣食うゴブリンの亜種だ。小さい割に狂暴なゴブリンと違ってあまり戦闘を好まないが、腕力は強い。

 下手に刺激しないほうがいいのだが、ギルの傍に僕が現れて微妙なパワーバランスを崩したのがよくなかった。

 怯えて立ち上がったところで、コートがはらりと落ちる。

 明らかに人間のものではない醜さに、店中の客が悲鳴を上げた。

 たいていの客は逃げ出したが、女連れの若いヤツの中には、いいところを見せようとして椅子をぶつける者もある。

 投げたものは数倍の力で弾き返され、敵意のない者への先制攻撃がどんな報いを伴うかを店中に知らしめることとなった。

「ギル!」

 丸腰の僕は、エルフのアミュレットが教えてくれた弱点を耳打ちする。

 すぐさま壁と天井を蹴ったギルは、軽い一撃でホブゴブリンを腰砕けにした。

 それがほうほうの体で店の外へと逃げ出すと、街の人々は半狂乱になって逃げ惑う。

 やがて、ギルの報告で駆け付けた騎士団が哀れなホブゴブリンを仕留めたが、同じようなことは街のあちこちで起こっていたらしい。

 さらに、ダンジョンに向かった騎士たちと交代した負傷者が戻ってきたことで、ディリアの権威は一気に失墜した。

 夕方には、ディリアを責める者たちが大挙して、城の門まで押し寄せてきていた。

 ディリアを放っておくこともできずに城へ戻った僕は、街での騒動が城中にまで広がっているのを知ることになる。


 頭の中にイメージとして浮かぶ三十六枚のカード。

 その中の1枚が、また、くるりと回った。


 僕はディリアとオズワル、そして味方になってくれる廷臣たちと貴族たちを大広間に集めると、起死回生の策を献じた。


 三十六計、「その十八」。

 擒賊擒王きんぞくきんおう… 中心人物を捕らえることで、敵を弱体化する。


「僕のいた世界には、ミヤモトムサシというソードマスターがいました」

 剣豪宮本武蔵の逸話に、傍にいた騎士団長のオズワルも耳をそばだてる。

 そこで僕が語ったのは、有名な「一条寺下がり松の決闘」の顛末だった。

 100人を超す吉岡一門を相手に戦った宮本武蔵は、名目上のリーダーとして担ぎ出された6歳の子供を斬り殺したという。

 顔を背けるディリアに、僕はきっぱりと告げた。

「そのくらいの覚悟で臨まなければ、もう、誰もディリア様にはついてこないでしょう」

 もちろん、カストはどこかで、この話を聞いているはずだ。

 姿を消したリカルドがこれを聞けば、より警戒を強めるだろう。

 だが、その分、余計なことはできなくなる。

 

 すぐさま、騎士団長のオズワルが率いるダンジョン攻略隊が編成された。

 戦える騎士は全て投入され、アンデッド対策に、ありったけのエルヴン・シルバーの武器ととドワーヴス・アイアンの防具が装備された。

 だが、王家伝来の「破邪の剣」を持ちだすと、そこを宰相リカルドにつけこまれるおそれがある。

 僕は、ようやく使い慣れ始めたロングソードを頼りに戦うことになった。

 城門が開くと、押しかけていた街の人々は現金なもので、歓声を上げて騎士団を見送る。

 街へ出ると、悪党のロズと盗賊のギル、魔法使いのレシアスと僧侶のロレンも合流した。

 アンガはどうしているかとロレンに尋ねると、強力な「金縛りホールド・パーソン」をかけてきたという。

「これも命を守るため……神もお許しになりましょう」

 言い訳も、坊主独特の悟り済ました口調だった。

 そこで、荷物の中から顔を出したものがある。

 フェアリーのポーシャと、レプラホーンのハクウだ。

 異口同音に、生意気なことを言う。

「妖精がふたりも力を貸すんだからね。そこらの暗殺者よりは役に立つよ」


 その言葉通りだった。 

 ダンジョンに着くと、撤退を指示するオズワルの命令を騎士たちに伝えるために、ポーシャとハクウは中へ飛び込んでいく。

 傷ついた騎士たちは次々に戻ってきたが、その心は異形の怪物たちとの戦いで、すっかりささくれだっていた。

「団長……我々はまだ動けます! 死ぬまで戦わせてください……ディリア様のために!」

 オズワルは涙にむせびながら、部下たちを叱り飛ばした。

「バカ者! そのディリア様が、お前たちに死ぬなと仰せなのだ!」

 そこで、風と共に現れた者がある。

 エルフのターニアだった。

「お帰りなさい」

 豊かな胸と、穏やかに響く声を持つ美しいエルフ娘のひと言は、百万の軍勢にも勝るらしい。

 男泣きに泣く暑苦しい騎士たちをあっさりと陥落させ、エルフの霊薬で傷を癒すのを納得させた。

 もちろん、超レアものの薬は魔法使いのレシアスにとって垂涎のアイテムだったろうが、それを分けてくれとはとても言えなかったようだ。

「急ごう……最下層で戦っている者がいるだろう」

 ドワーフのドウニのことなど気にもしていないくせに、自分から僕を急かす。

 だが、ドウニが血みどろで戦っている姿を想像すると、放ってもおけなかった。

「行こう、オズワル」

 僕は騎士団長と並んで、ダンジョンの奥へと向かった。 

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