擒賊擒王《きんぞくきんおう》… 中心人物を捕らえることで、敵を弱体化します(後の1))
「ドウニ!」
第17層にたどりついた僕の叫びは、洞窟の中に空しく響いた。
剣を抜いて警戒しながら、僕はランタンを手に先へと進む。
何も出ないといいな、という願いは、その光の奥に現れた人影によって打ち砕かれた。
「……誰だ?」
ヒューマノイドで、小さくはないのを見ると、オークだろうか?
すると、とうとう生身の相手と戦わなくてはならなくなったということだ。
頼りになるのは、オズワルに教わった剣術だけだ。
使いこなせるだろうか……いや、使いこなさなくてはならない。
上の層で、巨大な魔犬と闘ってくれている騎士団長に応えるためにも。
僕はランタンを足元に置くと、恐る恐るロングソードを抜いた。
刃がぼんやりと光っているのは、レシアスがかけてくれた強化魔法が効いているからだ。
レッサーデーモンは、倒せただろうか?
そんなことがちらりと気になったところで、闇の向こうでもロングソードを抜いたのが分かった。
怖い……でも、あのレヴァナントたちと言葉だけで向き合っているロレンは、もっと怖いはずだ。
さあ、相手はどんな奴だ?
腹を括って剣を構えると、まるで鏡に映したように同じ仕草で応じてくる。
少しでも隙を伺おうとして、少しずつ間合いを詰めていくと、向こうも、同じ歩調で迫ってきた。
あとちょっとで剣先が触れ合うが、それは、戦闘が始まるときだ。
キン、という音がする。
僕は歯を食いしばって剣を振り上げると、叫んだ。
「どけええええええ!」
全く同じ言葉が、洞窟の中にハモって共鳴する。
思わず剣が止まって、しまったと思ったが、相手も同じ姿勢で、身動きひとつしなかった。
……え?
もしかすると、向こうも同じことを考えたかもしれなかったが、それを確かめる術はなかった。
いきなりランタンの前に倒れて照らし出されたそいつの顔に、僕は愕然としたからだ。
「ええええええ!」
それは、僕の顔だった。
ぴくりとも動かないのを見ると、死んでいるのかもしれない。
死んだのが僕だとすると、ここでこうしているのは、いったい誰なんだろう?
そんな落語の『粗忽長屋』みたいなことを考えてうろたえていると、闇の中からもうひとり、現れた者があった。
「来るなああああ!」
我に返った僕は慌てて剣を降り下ろしたが、ハンマーのひと振りで軽く弾き飛ばされてしまった。
「俺だよ」
ハンマーを手にしたドワーフは、不敵な笑いを見せる。
ドウニだった。
それでひと安心した僕は、足もとに倒れている僕自身が何者なのか、察しがついた。
「……
ダンジョンに入り込んだ者の姿を写し取り、その仲間を欺くモンスターだ。
ドウニを呼んだ僕を殺して入れ替わろうとしたのだろう。
そのうえで、ドウニを騙して油断させ、始末するつもりだったに違いない。
エドマは、いちばん性質の悪いモンスターを最後の最後に仕掛けておいたのだ。
「だから、えらく苦戦したぞ」
そういうドウニに、失礼かとは思いながら、僕は聞いてみた。
「本物……だよね」
ドウニは怒りもしない。
「先を急げ」
言われた通りに洞窟の奥へ向かおうとしたが、足が勝手に止まった。
振り向いて、聞いてみる。
「できれば……」
ついてきてほしい、と言おうとしたところで、目の前に現れたもうひとりのドウニが、ハンマーで吹き飛ばされた。
「そうはいかん!」
自分のドッペルゲンガーと闘いはじめたドウニの声は、背中で聞いてもどこか楽しそうだった。
ようやくのことで第18層にたどりついた僕は、ランタンの光の中でぽつりとつぶやいた。
「ひとり……か」
ひとりじゃないわ、という声が聞こえて振り向くと、そこにはエルフのターニアがいた。
「みんな無事よ」
聞けば、ダンジョンの外に退却した騎士団と、ハクウが運んできたポーシャは、命を取り留めたという。
ロレンは長い長い問答の末、レヴァナントたちを説得し、その怨念を浄めることができた。
レシアスは魔力戦の末、レッサー・デーモンを別次元へ追い払うことに成功した。
オズワルも死闘の果てに、炎の魔犬を倒したという。
「これで100年かけて作った分の霊薬、きれいになくなっちゃったけどね」
たいへんなことをすっきりとした声で告げたターニアは、インフラビジョンにものを言わせて、軽やかな足取りで闇の中へと歩きだす。
ランタンを片手に後を追う僕が、洞窟の奥へとたどりつくのにそれほど時間はかからなかった。
案の定、そこには闇エルフのエドマが待っていた。
「まるで物見遊山だな、ターニア」
その姿がはっきりと見えるのは、背にした扉が魔法の光を放っているからだ。
禍々しい形をした、ふたつ目の地獄門……。
ターニアは、呆れたように答えた。
「もう少し気楽に生きればいいのよ、エドマも。エルフの時間に限りはないんだから」
苛立たしげな返事が、冷たく応じた。
「その無限の時間を無駄に使う、お前たちの生き方が気に食わんのだ」
ん~、とターニアはわざとらしく首を傾げた。
「朝起きて、森を歩いて木の実とか野草採って、そりゃ、ときどき獣や鳥も狩るけど……夜は月の光を浴びて、すっきりしたら寝て……他にすることある?」
羨ましい限りのスローライフだった。
エドマは大真面目な顔で、ターニアに問いかける。
「我々エルフは、技も知能も世界の秘密も、あらゆることに長け、あらゆることを知りつくしている。それなのに、なぜ、世界の主になろうとしないのか?」
深々とため息をついたターニアは、事もなげに答えてみせる。
「当たり前じゃない。主にふさわしいのは、不完全なものなんだから」
そのひと言で、胸の奥にあったわだかまりが、すっと流れ去っていくような気がした。
真っ先に考えたのは、ディリアのことだ。
もう、充分なのだ。誰に何を言われようと、恥じることはない。
先王に託された地位を、堂々と継げばいいのだ。
それは、僕にしても同じことだったのかもしれない。
生徒の前で、意地も見栄も張ることはなかったのだ。
ありのままの姿で、教壇に立っていれば……。
だが、そんなことを考えている場合ではなかった。
ダンジョンの地面から、突如として現れたものがあった。
人の形をした、巨大な土の塊に、ターニアは呻いた。
「
そこで高々と指を掲げると、洞窟の中に凄まじい風が吹き荒れる。
だが、土の元素そのものを打ち破るには足りなかった。
その剛腕は平然と、ターニアへと襲いかかる。
立ちはだかろうとした僕の身体は弾き飛ばされ、風にあおられて洞窟の壁へと叩きつけられた。
「カリヤ!」
自ら風を封じたターニアが、落ちてきた僕の身体を抱き留める。
エドマは高らかに笑って、土の元素に指図した。
「やれ!」
だが、巨大な土の人形は、それを拒むように崩れ落ちた。
ターニアが、エドマをたしなめる。
「四大元素は、呼び出してもそうそう操れるものじゃないわ。インビジブル・ストーカーを忘れたの?」
風の元素界の住人を召喚したエドマは、その扱いにしくじっている。
痛いところを突かれて逆上したのか、エドマは何か呪文を唱えながら、指を高々と掲げた。
だが、何も起こりはしなかった。
暗い色の顔に、噛みしめた白い歯が映える。
「
問答が続いている隙に、こっそりかけておいたのだ。
ターニアが、僕に微笑みかける。
「ありがとう……」
それっきり、美しいエルフ娘は目を閉じて、僕の上に倒れ込んだ。
微かな甘い息が、頬の上に感じられる。
たぶん、力を使い果たしたのだ。
レイピアを抜いたエドマが、僕に告げた。
「すると、お前が相手になるしかないが……どうする?」
僕は無言でロングソードを構えた。
エドマは自信たっぷりに笑って、レイピアを片手に地面を蹴る。
……速い!
攻撃のたびに生まれる隙を、ターニアのアミュレットは正確に教えてくれる。
だが、僕の剣が間に合わないのだ。
あっという間に、僕を壁際に追い詰めたエドマがつぶやいた。
「もう少し、楽しませてくれるかと思ったが……」
その先は、聞えなかった。
何者かの力で空中に高々と持ち上げられたエドマに、
だが、そこは闇エルフだった。
間一髪、姿を消したのは、次元の狭間に身を隠したからだろう。
風の元素界から来たインビジブル・ストーカーでも、それは捉えられなかったらしい。
禍々しい光を失った地獄門が微かに開いて閉じるのは、ランタンの光の中でも、どうにか見て取ることはできた。
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