第7話 「無中生有《むちゅうせいゆう》」…… 偽装工作をわざと露見させ、相手が油断した所を攻撃します

 その夜、僕は自分の部屋で寝ることができなかった。

 一緒にしゃがみ込んだディリアが、放してくれなかったからだ。

「怖い……そばにいて、カリヤ」

 その身体は華奢で、柔らかくて、温かくて、いい匂いがした。

 30歳をちょっと過ぎた教員の自覚を働かせて、背筋をシャンと伸ばしながら正気を保とうとする。

 だが、ディリアがますます、しなだれかかってくると共に意識は朦朧となり、いつのまにか僕はすっかり眠り込んでしまった。

 その間、目の前に浮かんでいたのはこのステータスだ。


  〔カリヤ マコト レベル7 16歳 筋力 15 知力16 器用度12 耐久度11 精神力10 魅力16〕 


 レベルの半分の端数切り捨てで、僕の魅力は3上がっていた。

 いきなり顔だちが良くなるなんてことはないだろうから、人を魅きつける力が高くなったということだろう。


 夜明けの光が隠し窓から差し込んでくる頃、僕は床の上で目を覚まして慌てた。

 ディリアのしなやかな身体が、横たわった僕の身体に密着している。

 その目がぱちりと開いたところで、僕は慌てて跳ね起きた。

「何にもなかった! ……僕たちの間には、なんにもなかった!」

 ディリアのほうは落ち着いたもので、僕が寝ていた辺りの床板を正方形に引き起こす。

 下に向かうハシゴがあるのを見ると、どうやら、そこが抜け道になっているらしい。

「人に見られずに、城の庭に出られます」

 まるっきり、逃げる間男の扱いだった。


 だが、庭に出てしまうと、掃除や洗濯、朝食の準備など、朝の早い仕事に駆り出される使用人たちが結構、行き来していた。

 その誰もが、いきなり姿を現した僕を見るなり、ひそひそと噂話を始めた。

 まるで、異世界召喚者がディリアと逢引して朝帰りしているかのような……。

 この場をごまかす方法がないかと考えたときだった。

 突然、辺りの景色が歪むほどの激しい突風が、庭の隅から隅までを押し流そうとでもするかのような勢いで吹き抜けた。

 気が付くと、僕は風のクッションに乗せられて、朝の青空の下をふわふわと浮いている。

 まさか死んだんじゃないかと思ったとき、目の前に現れた銀髪の人影が囁きかけた。

「大丈夫。あなたは今、風の精霊シルフに支えられて、別の階層世界にいるの」

 ハイファンタジー系のTRPGを知らないと、全く理解できない話だ。

 つまり、僕は精霊たちの棲む亜空間に隠れて、空に浮かんでいるのだった。

 目の前にいるのは、尖った耳とふくよかな胸の共に大きな、エルフ娘だった。

「私はターニア。ダンジョンに潜む闇エルフを倒すために、遠くの森の奥からやってきたの」

 そう名乗ると、僕の顔をドングリのような目でじっと見つめる。

「あなたが、フェアリーとレプラホーンの言ってた異世界召喚者ね。顔を見に来たのよ、街でも噂になってるから」


 僕が城の中庭に姿を現すと、それを見た人々のどよめきが、城の中からでもよく聞こえた。

 突然の出現もさることながら、僕の隣にいる美女が伝説のエルフのひとりだと知れば、城内の話題をさらって当然だ。

 やがて、城の中からディリアの使いが現れて、僕たちは大広間に招かれた。

 噂し合う声が、並み居る廷臣たちや貴族たちの間から聞こえてくる。

「異世界召喚者が?」

「姫様を暗殺者から救っただと?」

「さもありなん、神出鬼没、現れるも消えるも思いのままだとか」

 僕は一躍、城内の英雄になっていた。

 かの有名な詩人、バイロンの言葉を噛みしめる。


 一夜明けたら、有名になっていた。


 僕と共に大広間での朝礼で最前列に並んだターニアは、ディリアの前に礼儀正しくひざまずいた。

「亡き父上から国を継ぐべき仰せがありましたことをお慶び申し上げます。ダンジョンはいずれ、異世界から召喚されたカリヤ殿によって必ず治まりましょう。ディリア殿の正統が証されるのは、そのときです」

 まるで、この国の命運が僕にかかっているかのような言い方だった。

 それが伝説のエルフの祝福だっただけに、説得力は絶大だったらしい。

 朝礼が終わると、大広間に集ったディリアの味方は廷臣も貴族も、帰る前に次々と僕の前に出ては、恭しく一礼するのだった。

 この場に残っていた、女かと見まがうほどの美しい顔立ちをした若者が、僕とディリアを憎々しげに睨みつけている。

 それは宰相リカルドに仕える万能の秘書、カストだった。

「リカルド様に、ディリア様を暗殺者から守れと命令されてね」

 ふてくされた顔ではそう言っているが、頬は赤い。

 それは羞恥によるものではなく、明らかに、誰かに打たれたことによるものだった。


 どう考えても、カストはリカルドがつけたスパイなのだが、護衛だと言われると、建前上は断れない。

 ついてくるのをそのままにして、ディリアと僕が大広間を出ると、そこには揃いのマントで正装した騎士団がずらりとひざまずいている。

 先頭の騎士が、恭しく報告した。

「オズワル団長の指揮で、エルフとドワーフの武器防具、ただいま厳重な管理を施しているところでございます。私どもは、近衛兵団が動く前にとの命令を仰せつかって参りました」

 ディリアが下がるように告げても、騎士団たちは聞かなかった。

「そうは参りません。宰相殿が御自ら、身の回りのお世話をする女中を集めております」

 大真面目な顔での報告を、それまで黙って聞いていたカストが、鼻で笑った。 

「侍従どもの仕事が遅いのだ。リカルド様の手を煩わすこともあるまいに」 

 もちろん、それは嘘だ。

 問題は、僕や騎士団にも明らかにスパイと分かる者を、わざわざ護衛や女中と称して敵のもとへ送り込んでくるのはなぜかということだ。

 だが、その謎の答えは、僕の頭に閃いた「三十六計」のカードが1枚、またくるりと回って見当がついた。


 その七、「無中生有むちゅうせいゆう」。

 …… 偽装工作をわざと露見させ、相手が油断した所を攻撃する。

  

 罠を見透かしたと思っていると、痛い目に遭わされる。

 どうしたものかと思ったが、判断はディリアのほうが早かった。

 僕だけを残して、他の者は下がらせたのだ。


 そうやって、ディリアが僕だけを連れて行った場所がある。

 城の隅にある階段をどこまでも登っていった先で、僕は息を呑んだ。

「これは……」

 一面に広がる、鮮やかな色合いの花、花、花……。

 ここは、城のてっぺんに作られた空中庭園だったのだ。

「これが、私の庭です。草花の手入れは、いつも私がしています」

 精魂込めて育てたものだということは、色鮮やかな花が咲き乱れる様子を見れば分かる。

 さらに、ディリアは懐かしそうに言った。

「何かつらいことがあるたびに、父や母とここへよく来たものです。王家といっても、その力は限られています。四方の大貴族や力のある廷臣の助けがなければ、何もできない。いいえ、したくないこと、してはならないことのほうが多いのです」

 そこでいきなり、ディリアは僕を抱きしめて言った。

「どうか、私を支えて下さい。そばにいてくれるだけでよいのです、そして……教えてください、ここではない、別の世界のことを」

 咽び泣きながら泣き崩れるディリアの頭を、僕は軽く撫でてやる。

 そこで、いつのまにか、傍らに立っていたカストが低い声で告げた。

「リカルドさまがお呼びです」

 探しているとかお待ちだとか、他に口の利きようがありそうなものだ。ここにオズワルがいたら、後先考えずに斬り捨てていたかもしれない。

 ここで何を言える立場でもないので黙っているしかなかったが、ディリアは僕が思っていることを察してくれたらしい。

 カストを従えて庭園を後にしながら、感謝の笑みを浮かべているように見えた。


 僕たちを城の中庭に集めたリカルドの後ろには、数えきれないほどの若い女中たちが控えていた。 

 その眼差しを背にして、さも大変なことが起こったかのように勿体をつけて話しだす。

「ディリア様の身の回りのお世話をさせていただくこの者たちが、城下での噂を心配しております」

 相変わらずの長広舌ぶりだったが、その話をまとめると、だいたいこんなところだった。


 庶民たちの間では、カリヤが異世界召喚者ではないという噂が立っている。

 今までのは全て、騎士団や魔法使い、僧侶の力を借りて初めてできたことにすぎない、と。

 しかしディリアは、カリヤを異世界から呼んだものとして頼り切っている。

 カリヤがひとりでダンジョンを突破しない限り、ディリアの、王位継承者としての資格も問われてくる。

 

 だが、僕が気にしたのは、そんなことではない。

 女中のひとりに、先の尖った大きな耳と、豊かな胸を持ったエルフがいたのだ。

 やがてリカルドは、使用人たちをひきつれて大広間を出ていく。

 ディリアと僕の前を通り過ぎたターニアは、軽くウィンクして囁いてきた。

「助けてあげようと思ったの……あなたに興味があるから」

 そこで、全身に悪寒が走ったのは、僕の傍らにいたディリアのせいだ。

 すらりとしたターニアの背中を見送った、ものすごい目つきで僕を睨みつけていたのだ。


 女中集めに応じて潜入したつもりだろうが、見るからにエルフのターニアが、リカルドに怪しまれないはずがない。

 ここまで鈍感を装う姿は、ディリアへのメッセージなのだ。

 

 ……ダンジョンへ行かせなけば助けにはならない異世界召喚者など、あてにはするな。

 ……国政を宰相に預けて静かに暮らせば、身の安全は保障する。


 これも、「無中生有」の策と言えなくもない。

 打ち破ろうと思えば、僕もひとりでダンジョンの第7層を突破してみせなければならない。

 昼間はディリアが放してくれないので、夜中に城を出ることにした。

 城の裏にある通用口なら簡単に出られるだろうと思っていたら、その番人が僕の前に立ちはだかる。

「何人も城から出してはならぬと、宰相様からのお達しです」

 張り倒して通るわけにもいかない。

 この門番自身の意志を挫かない限り、僕ひとりでダンジョンへ向かうことはできそうになかった。

 その口実を考えていると、夜闇の中に甘い囁き声が、微かな風に乗って聞こえてきた。

「いいじゃない、そんなに意地を張らなくても」

 ふうわりとした光と薄絹をまとって現れたのは、ターニアだった。

 しなやかな指で番人の顔を撫でると、豊かな胸の間に埋める。

「いけない人ね……勝負を決めるのは、集中力なのよ」

 番人はうっとりとした顔で、ふらふらと通用口を開ける。

 エルフらしからぬやり方で、「魅了チャーム」系の精霊を操ったのだろう。

 城の外に出たところで、ターニアの声が風に乗って聞こえてきた。

「行ってらっしゃい」


 ダンジョンの各層に待機している頑固な騎士たちの力を借りたと言われないためには、事情を話したうえで、ついてこないように説得しなくてはならない。

 それなのに、誰ひとりとして僕に気付くことはなかったのを見ると、風に乗ってきたのはターニアの声だけではなかったらしい。

 手に持ったカンテラまでも精霊が隠してくれているようで、ひとりでダンジョンの第7層に下りることができた。

 風の精霊が姿を隠してくれていたおかげだが、空気の淀んだダンジョンの底にまで、その影響力は及ばない。

 洞窟を進んでいくと、やがてカンテラの灯に、いくつもの小さな光の点が闇の中で浮かぶようになった。

 狼たちだった。 

 僕に気付いたのか、群れを成して後ろについてくる。

 襲ってこないのは、もちろん見せかけで、油断したり、逆に怯えを見せたりすれば、その場で食い殺される。

 こうなれば根競べだったが、どうにか気力も体力も尽きることなく、洞窟の果てまでたどり着いた。

 そこには、地獄の門を思わせるような禍々しい造りの、両開きの扉がある。

 その前に佇んでいるのは、すらりとした姿の、暗い青褐色の肌を持つ若者だった。


「ここまでよく来たな……何者だ、人間」

 これが、ターニアの言うダークエルフなのだと直感した。

 振り向くと、狼の群れはこの若者が統率を仕込んだものらしく、おとなしく座り込んでいる。

 まともに戦って、勝てるわけがない。

 そこで僕は言った。

「この世の者では破れぬダンジョンに潜む悪を倒すために、王国より破邪の剣を託されし異世界召喚者だ。この階層を賭けて、一騎打ちを申し込む」

 どっちみちダンプカーにはねられて死んでいた身体だと思えば、腹も据わる。

 引き抜いてみせるのは、自前のロングソードだ。

 もちろん、闇エルフにそれが見抜けないわけがない。

 だが、ハッタリだと思ってくれれば、僕を異世界召喚者だと思うこともない。

 その油断で、ターニアの言う「集中力」を乱せば、千載一遇の隙が生まれないとも限らないのだ。

 これが、僕の使う「無中生有」だった。



「よかろう」

 闇エルフは鼻で笑うと、懐から青く暗く光る短剣を引き抜いた。

 足音も立てず、余裕たっぷりにロングソードの間合いへと入ってくる。

 僕の最初の一撃を待っているかのような歩みは、その自信と技量を物語っていた。

 何をやっても無駄なんじゃないかと、一瞬、弱気になったときだった。

 洞窟の闇の中に、聞き覚えのあるしわがれ声が響き渡った。

「ここだぞ!」

 エルフとドワーフの武器防具と共に鉄扉の向こうにいた、レプラホーンだった。

 その声に応じて、さっき歩いてきた洞窟の向こうから飛んできた、光の玉がある。

 燐光を放つ羽を瞬かせた、フェアリーだった。

「頑張ったごぼうびだよ! 異世界召喚者!」

 とびまわる妖精たちに、狼たちは大混乱に陥る。

 闇エルフの注意がそれるのが見て取れた、今がチャンスだった。

 短剣めがけてロングソードを振るう。

 そこでフェアリーとレプラホーンがは、闇エルフの顔の前を交差して目を眩ませる。

 闇エルフの短剣が甲高い音を立てて僕の足元に落ちると、悔しげな、低い呻き声が聞こえた。

「よかろう……ここは明け渡す」

 禍々しい門が静かに開くと、その奥には闇の奥へと続く坂道がある。

 闇エルフがそこへ足を踏み入れると、飛び回る妖精たにすっかり慌てふためいた狼たちは、雪崩を打つように後を追う。

 地獄への門ともいうべき扉が閉ざされると、フェアリーもレプラホーンもいつの間にか消えて、そこには僕ひとりだけが残されていた。

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