第16話  欲擒姑縦《よくきんこしょう》… わざと逃がして、気が緩んだ敵を捕らえます

 ダンジョンから帰った晩、部屋のベッドで横になって閉じた瞼の奥に浮かんだのは、このステータスだ。 

 

 〔カリヤ マコト レベル16 16歳 筋力26 知力29 器用度29 耐久度26 精神力27 魅力27〕 


 力押しよりも、知恵と技で切り抜けろということだろう。


 何にせよ、寝るのは夜で、起きるのは朝。

こんな当たり前のことがどれほど幸せかということを、僕はしばらくの間、満喫することができた。

 だが、ある朝のことだ。

 いつものように部屋のドアを叩いて僕を起こしたのは、騎士団長のオズワルだった。

 だが、今朝ばかりはいつになく血相を変えている。

「急げ! アンガがやられた!」

 暗殺者が手傷を負うというのは、尋常なことではない。

 城をこっそりと抜け出して、街の狭い路地をあっちへこっちへと曲がって連れていかれたのは、目立たない小屋だった。

 出迎えたのは、僧侶のロレンだ。

「信仰厚い者が、手当のために空けてくれたものです。他所に漏れる心配はありません」

 そう言いながら見やった部屋の隅のベッドでは、アンガが寝かされていた。

 オズワルが駆け寄って尋ねる。

「お前にしては深手だな……誰にやられた?」

 それを押しとどめたのは、僧侶のロレンだった。

「傷が深いと分かっているなら、話しかけないでください。治癒キュア・ウーンズの祈りで傷は塞いだといっても、無理をさせれば元通りの隠密行動はできなくなります」

 そこで、アンガはいつにない自嘲の笑いを浮かべた。

「女の匂いだよ……何者だ? あのカストという優男は」


 僕たちが先王の遺言状を探しているのを宰相リカルドが察知するのに、それほど時間はかからなかったらしい。

 しかも、その腹心のクソ美形、カストは敵ながらさすがというのか何というのか、そのありかを城中であっさりと見つけてしまったというのだ。

 アンガはといえば国中を探して回っていたために、ディリアが起こした街中での騒動にも気づけなかったのだった。

 オズワルが悔しげな顔で、ロレンに尋ねた。

「……いったい、どこに?」

 ロレンは苦笑しながら答えた。

「大広間の真ん中の天井に、これ見よがしに貼ってあったそうです。飾り模様のひとつだと思って、誰ひとり、気にも留めてこなかったのですよ」

 私が城に残ってさえいれば、とため息交じりにつぶやくのを、アンガのかすれ声が遮った。

「見慣れたものほど、気づきにくいものだ。大広間でのディリア様の朝礼に出てこなかったリカルドどもが先に気付いてもおかしくはない。皮肉なものだがな」

 実際、無人の大広間に忍び込んだカストに気付いて現場を押さえるまで、アンガにも分からなかったという。

 先王の遺言状を奪い取ろうと図ったが、カストがそう簡単にそれを許すはずがない。

 城中では禁じられていると分かっているはずなのに、懐の短剣を抜き放つことさえ厭わなかった。

 もちろんアンガは刃物を抜かなかったが、そのせいで返り討ちに遭ったとは絶対に認めようとしなかった。

「女の匂いがしたのだ、あいつからは」

 わけのわからない言い訳に首を傾げていると、オズワルが耳元で囁いた。

「女が苦手でな、こいつは」

 それがアンガに聞こえたかどうかは分からない。

 

 こっそり城に戻ったところで、ダンジョンから、報告の騎士が馬を飛ばしてきた。

「カストが……ダンジョンに!」

 報告によれば、カストは胸や肘に革製の防具を当てただけの軽装に、パックパックを背負ってダンジョンに現れたらしい。

 追い返そうとしたが、カストの腕の立つことときたら、屈強な騎士たちは片端から薙ぎ倒され、ダンジョンの底へと消えたのだという。

 報告を聞いたオズワルの顔は、一瞬で朱に染まった。

「すぐに行く」

 頭の中で、三十六枚のカードのうち、1枚がくるりと回る。

 僕はオズワルを押しとどめた。

「カストがそんなに強いんなら、追い詰めると余計な反撃を食らうよ。それよりは……」


 三十六計、「その十六」。

 欲擒姑縦よくきんこしょう… わざと逃がして気が緩んだ敵を捕らえる。


「放っておけば、カストはどこまでもダンジョンを潜っていくはずだ。もしかすると、代わりに制圧してくれるかもしれない。でも、その力はいつか尽きる」

 そこでオズワルは怪訝そうに、訥々と尋ねた。

「分からんでもない。だが、そこまでせねばならんのは? その、カストが、だ」

 難しい話ではなかったので、さらりと答えることができた。

「遺言状を捨てに行ったんだ」

 横着な生徒が教科書を持って帰らずに、学校の便所に隠すようなものだ。


 アンガの負傷をディリアに伝えたが、自分で見舞いに行くとは、もう言わなかった。

 その代わりに、信頼できる密偵が必要だと言い出したので、僕は盗賊のギルを推した。

 人に顔を覚えられずに城の内外を自由自在に出入りできるほどの技はないが、連絡手段さえ保証してやれば、きっと役に立つはずだ。

 ただし、ギルがいないとダンジョンでトラップを発見するのは難しくなる。

 それは「感知」系の魔法でカバーできるだろうと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。

 悪党のロズに連絡を取ってもらって酒場に呼び出した魔法使いのレシアスには、ダンジョン行きをあっさり断られた。

「先にギルから頼まれていたのでな、魔法を売ってくれと」

 そこで現れたのは、当の本人だった。

「密偵として足りないものは、魔法で補えばいいだろ?」

 魔法を買うだけの可処分所得のない者では、思いつかないことだ。

 だが、ギルは別の意味でも懐が深かった。

 僕の傍で、こうささやいたのだ。

「日の高いうちだけ、時間をくれないか?」

 

 

 暗くなってから、僕はひとりでとぼとぼ城へと戻った。

 部屋のベッドに横たわって考える。

 ギルが僕に半日かかって教えたのは、盗賊がトラップを解除するときの初歩的な技術だった。

 そんなことでダンジョンのトラップが突破できるとも思えないが、たぶん、工芸家クラフトマンでもあるドワーフのドウニでも看破できるだろう。

 問題は、人数だ。

 リスクを冒して「願いの指輪ウィッシュ・リング」を使うのは、たぶん、最後の手段になる。

 それまでは、安全を確保したい。

 アンガがいない今、オズワルを城から出すわけにはいかない。

 一緒に連れて行けるのが悪党のロズだけということになるが、少し心細かい。

 考えすぎて疲れたせいで、ついうとうととしてしまったが、頬に当たる柔らかいものに気付いて目が覚めた。

 いきなり見えたのは、すらりとした、華奢な裸身だ。

 慌てて跳ね起きると、目の前に浮かんだフェアリーのポーシャが笑い転げていた。

 天井の隅では、レプラホーンのハクウがにやにやしながらこっちを見ている。

 ポーシャは僕の周りを飛び回りながら、囁いた。

「困ってるよね? カリヤ」

 これで、トラップ解除要員は確保できた。

 あとは、レシアスがいない分、魔法使いをどうするかだ。

 真夜中の中庭に出て考えていると、ごおっという風の音がして、僕の傍らに立つものがあった。

「困ってるでしょ? カリヤ」

 豊かな胸を持つ、エルフのターニアがそこにいた。

 しめた、と内心では思ったが、努めてさりげなく、僕は答えた。

「別に……。で、何かあったの?」

 ターニアもまた、白々しく答えた。

「この間、エドマが街の中に空飛ぶ虎フライング・タイガーを放ったでしょ? 見過ごすわけにはいかないわ」

 闇エルフの追跡など、口実だと思いたかった。


 次の日の朝、ポーシャにハクウ、ターニアに悪党のロズを伴ってダンジョンの第15層まで潜ると、ドワーフのドウニが待っていた。

「昨日、割と腕の立つ若いのが下りていったぞ。まだ帰っては来んがな」

 カストには、ぜひ生きたままで下の層を次々と制圧していてほしかったが、その期待は半分だけ、皮肉な形で叶えられた。

 カンテラ片手にダンジョンの第16層へと降りたところで、僕は足元に違和感を覚えて立ち止まることになったのだ。

 盗賊のギルから授かった知恵だ。

「ポーシャ! ハクウ! 頼む!」

 フェアリーとレプラホーンが、狭い洞窟の奥を満たす闇の中へと消えていく。

 やがて戻ってきた妖精たちは、僕の周りを飛び回って、やったやったとはしゃいだ。

 ポーシャが報告する。

隠し矢の罠アロー・トラップだったよ」

 ハクウが自慢した。

「足元の紐は全部、切っておいてやったぜ」

 カストのバックパックには、この手のものが入っていたのだ。

 そこまでして、僕たちを近づけたくないらしい。

 さらに先へと進んでいくと、洞窟の中に響く僕たちの足音が、わずかに変わったのが分かった。

 僕の後ろについていたロズに、肩を掴んで引き留められる。

「止まれ……俺がやる」

 闇の中へと消えていくロズも、同じことを感じたのだろう。ドウニも、その後からついていった。

 やがて何やら、ダンジョンの奥からはガランガランと材木を放り出すような音が聞こえてきた。

 手前にはぼんやりとロズの姿が見える。

 もういいぞ、と人間の悪党やドワーフが異口同音に言うのが聞こえたところで、カンテラ片手に闇の中へと踏み込んでいく。

 そこに照らし出されたのは、小さな無数の杭だった。

 カンテラの灯が届かない辺りから突き出しているのに手足が当たったら、怪我をしたかもしれない。

 いわゆる乱杭らんぐいだ。

 手前のほうにロズ、奥のほうにドウニが立っているのは、それを引き抜くのに暗視インフラビジョンが使えたかどうかの違いだろう。

 それにしても、これだけのものをバックパックにどうやって背負ったんだろうか。


 トラップは、カストの仕掛けたものに限らなかった。

 カンテラに照らし出されてきたものを見て、僕は呻いた。

「お約束のこれかよ……」

 目の前では、洞窟が3つに分かれていた。

 その手前には砂がまき散らされていて、左側の穴に向かう足跡がついている。

 ハクウが呆れて笑った。

「見え透いた罠だね」

 そう言うなり、様子を見てくると言って、ポーシャを真ん中の穴に向かわせると、自分は右端の穴に入っていった。

 やがて、飛び出してきたのはハクウのほうだった。

「何かいる! 何かいる! 何かいる!」

 暗視インフラビジョンが使えるエルフのターニアが、右端の穴を覗き込んだ。

「毒蛇ね……何匹かいるけど」

 そこで何かひと言ふた言つぶやくと、けばけばしい色をした2匹の蛇が、穴から這い出してきた。

「こちらから危害を加えなければ、彼等だって何もしないわ」

 そう言ったターニアの囁きを、鎌首をもたげてじっと聞いたのち、毒蛇たちは洞窟のどこかへ姿を消した。

 たぶん、「動物制御アニマルコントロール」の魔法だろう。

 残るは真ん中の穴だが、そっちへ行ったポーシャは、後ろから戻ってきた。

 ロズがつぶやく。

「すると、やっぱりこっちか……?」

 左側の穴に向かって歩き出そうとするのを、僕は止めた。

「こっちだよ」

  

 毒蛇が出てきた穴を選んだのも、盗賊ギルの教えがあったからだ。

「罠は、モノとは限らない。毒蛇などの生き物も、罠として使われることがある」

「人に対する罠は、近寄る者を遠ざけるために仕掛けられる」

 つまり、毒蛇が待ち構えていた向こうにこそ、それを放ったカストがいるということになる。

 その読みは当たったが、僕たちは呆然と立ち尽くすしかなかった。

 ようやくのことで口を開いたのは、見ず知らずのロズだった。

「……何やってんだ、お前」

 洞窟の壁にはナイフが何本も突き立てられ、その天井と床に突っ張った長い棒には、カストがしがみついていた。

 不敵に笑って、おかしな取引を持ちかけてきた。

「代わってくれたら、先王の遺言状をやる」

 これも罠だ、と直感したところで、ターニアが僕の耳元で囁いた。

「この洞窟……生き物の気配がする」  

 そういえば、カストが支えている長い棒は今にも折れそうなくらいに震えている。

 僕の頭の中で、すべてがつながった気がした。

 突っ張り棒が折れる音が聞こえる。

 僕はひと声叫んで、カストに向かって駆けだした。


 第17層へのものと思しき鉄の扉は、砂地の足跡をたどっていったほうにあった。

 ターニアは、残念そうにつぶやく。

「あれは、エドマの足跡だったのね。捕まえてみせろって言いたかったのかな」

 カストはというと、僕に一通の封書を差し出した。

「借りは作りたくないからな」

 中を開けてみると、そこには異世界の言葉で、何か書いてあった。

 もちろん僕には読めなかったが、カストは教えてくれた。

「言っとくけど、最初から偽物だったんだ、それ」

 てめえとロズが目を剥いたが、カストの姿は、もうない。

 ただ、確かにそこには、女の子の甘い匂いだけが微かに漂っていた。

 ターニアが言った。

「本当に、よかったの? あれ使っちゃって」

 僕の手の中には、先王の友人が遺した、あの指輪がある。

 危険と引き換えに、3つの望みをかなえてくれる「願いの指輪ウィッシュ・リング」だ。

 

 カストが遺言状を捨てに入ったところは、洞窟そのものがミミック擬態獣だったのだ。

 それに気づいたカストは、ありったけのナイフを突き刺したが、全く歯が立たなかった。

 どこにしまっていたのか、あの長い棒を上下に突っ張って、食われまいとしていたところに僕たちが現れたのだった。 

 その身代わりにされかかったのに気付きながらも、僕はミミックに食われる危険を冒して、カストが救出できるよう、指輪に祈ったのだった。

「最初から、当てにはしてなかったからね」

 そうは言うものの、しまったとは思っている。

 ディリアにどう言い訳しようかと、僕はそればかり考えていた。

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