第10話 「笑裏蔵刀《しょうりぞうとう》」… 友好的に接して油断を誘い、攻撃をしかけます
自分では手を下さすにオーガーたちをダンジョンから一掃した僕は、城に帰ると満たされた気持ちで自室のベッドに横たわった。
まるでご褒美でも下されるかのように、瞼の裏には新しいステータスが浮かぶ。
〔カリヤ マコト レベル10 16歳 筋力 19 知力16 器用度17 耐久度15 精神力14 魅力16〕
知恵を絞るというよりも要領よくやったせいか、器用度のほうがレベルの半分だけ上がっていた。
次の朝、オズワルに起こされて出席したディリアの朝礼は、騎士団からの誇らしげな報告から始まった。
リカルドの配下による補給の妨害と、略奪したものの横流しを聞いた廷臣たちや貴族たちは、口々に非難の声を上げた。
「許すまじ!」
「即刻、処刑すべし!」
だが、ディリアは片手を上げてそれを制すると、静かな声でオズワルに尋ねた。
「奪われたものが貧しい者に渡ったというのがまことか、確かめましたか?」
オズワルは困った顔で答える。
「証言の裏を取ろうと、私兵から横流し先を聞きだそうといたしましたが、口を割りません」
ディリアは考え込んだ。
「あのリカルドが、この程度のことで罪を認めるわけがありません。どんなやり方で何をしているのか、洗いざらい調べ上げない限り」
するとオズワルは、畏まって答えた。
「我らが手ぬるかったようです。明日までお待ちください。必ずや」
それが何を意味するのかは、僕にも察しがついた。
だが、そこはディリアが止める。
「手荒なことは許しません。たとえリカルドの手のものであっても、私の民です」
僕の頭の中でに浮かんだイメージの中で、「三十六計」カードの中の1枚がまた、くるりと回る。
昼にはもう、リカルドが配下の廷臣や貴族たちと共に大広間へ呼び出されていた。
ディリア直々の審問が始まる。
「お前が城下に横流ししたものは、この国に害を為すダンジョンを騎士団が制するためのものです。なぜそんなことをしたのですか?」
もちろん、のらりくらりとリカルドは言い抜けにかかる。
「これは、貧しい者たちへの施しでございます」
自分には非がないと言わんばかりのあまりにも図々しい返答に、僕だけでなく、その場にいた者はしばし唖然とした。
いや、それは羨ましくさえあった。
この世界へ召喚される前の日、ここまで図太く立ち回れていたら、もしかすると僕は学校を去ることもなかったかもしれない。
だが、そんな妄想はリカルドの皮肉たっぷりのひと言で断ち切られた。
「それに思い及ばなかった姫様を、誰も咎めはいたしますまいが……」
ディリアに民草を思いやる気持ちがないと言っているのだ。
だが、口を開いたのは僕よりもオズワルのほうが早かった。
「無礼ではないか、リカルドよ」
この海千山千の悪徳宰相には、悪びれた様子もない。
「お気に召さなければ、お斬りなさい、騎士団長殿」
鼻で笑われたオズワルは、満面を朱にして剣の柄に手をかける。
大広間の空気は凍り付いたが、亡き父から王位を託されたディリアは、臣下のリカルドに深々と頭を下げる。
「私の不徳の致すところです」
忌々しげに、オズワルが剣の柄から手を離す。
リカルドはその場にひざまずくと、悠々と立ち上がって大広間を出て行った。
「あんなものでどうでしょうか」
城の庭でフェレットの「マイオ」を遊ばせながら、ディリアが僕に向かって微笑んだ。
もちろん、合格点だ。
オズワルが愉快そうに笑った。
「見たか、リカルドの自慢げなあの顔」
帰り際に目を伏せてはいたが、口元がいやらしく歪んでいた。
だが、もちろん、これは僕がディリアやオズワルと示し合わせて打った猿芝居だった。
三十六計、「その十」。
「
そこへやってきたのは、リカルドの腰巾着、美少年のカストだった。
「リカルド殿が、練兵場にて姫様のお目にかけたいものがあると申しております」
今度の敬語は、間違っていない。
ディリアは、ゆったりと余裕たっぷりに頷いた。
「よろしい」
もっとも、カストはそれを見てはいない。
甲高い声で悲鳴を上げると、すっかり己を失って逃げ去っていく。
「妖精だ! 城の中に現れるとは、なんと不吉な!」
僕たちがそれを面白半分で見送る目の前を、飛んだり消えたりしているものがある。
ダンジョンから、あのフェアリーとレプラホーンが飛んできたのだ。
フェアリーが名乗る。
「私はポーシャ。ダンジョンの中のエドマをずっと追ってたの」
レプラホーンも、自分の名を告げた。
「おいらはハクウ。エドマはな、第10層に邪悪な妖精を集めている」
フェアリーとレプラホーンの報告に、ディリアの腕の中のフェレットは、脚をじたばたやって暴れた。
それをなだめようとして撫でたり抱き方を変えたり、ディリアは四苦八苦する。
だが、ふと思い出したついでの用事を言いつけるかのように、僕に告げた。
「リカルドのところへ行ってください。私の代わりに」
それは、空中庭園での仕返しをしているようにも見えた。
カストに案内されてやってきた僕を出迎えたリカルドは、ぼそりと不機嫌そうに言った。
「異世界召喚者殿を代理になさるとは、姫様もお人が悪い」
30代の僕でも、半分くらいの年齢の生徒にコケにされていたわけだから、その気持ちは分かる。
だから、嫌味なしに挨拶ができた。
「見たままをお伝えいたしますので、ご心配なさいませぬよう」
それでは、とリカルドが僕に見せたのは、学校のグラウンドくらいの広さの練兵場だった。
一列に並んだ近衛兵たちが、その半分くらい離れたところにある的に向かって、クロスボウを放っていた。
ほぼ一斉に風を切るのは、クォレルと呼ばれる太くて短い矢だ。
そのよく当たることときたら、自分で射ってもいないのに、その手応えが感じられるほどだった。
「今までは故障も多かったのですが、ここまで改良できました」
それは、逆らうと痛い目を見るぞという脅しにも聞こえた。
僕も、そわそわしながら答えてやる。
「恐ろしい武器ですね」
確かに、うかつに事を構えないほうが良さそうだった。
だが、リカルドは穏やかに言った。
「ひとつ差し上げましょう、異世界召喚者殿にも」
クロスボウとクォレルを手土産に、僕は庭へと向かう。
確かに器用度は上がっているけど、こんなもの貰っても仕方がない。
もっとも、リカルドだって僕に贈り物をくれたわけではないのだ。
それはカストも分かっているのか、僕が頼んだディリアへの連絡を断りはしなかった。
庭でひとり待っていると、フェアリーのポーシャと、レプラホーンのハクウがやってきた。
クロスボウが珍しいらしく、辺りを飛び回っている。
そこへ、ディリアがオズワルと共に遅れてやってきた。
「マイオがいなくなってしまって」
そう言いながらもクロスボウとクォレルを手に取ろうとする。
「これが、リカルドの用件だったんですね……私が味方になったら、この矢を誰に向けるつもりなのでしょうか」
もちろん、その先にいる民草の胃袋は自分で掴んでおいて、矢はディリアの名のもとに向けておこうというのだろう。
どうしたわけか、それは自分の望みであるかのように分かった。
だが、その思い付きにおののいている暇はなかった。
フェアリーのポーシャが尋ねてくる。
「これ、なあに?」
レプラホーンのハクウがその弦に触って、弾き飛ばされた。
「楽器じゃないのかよ」
それを聞いたオズワルが言った。
「このクロスボウ、異世界召喚者殿に預ける。うまく使われよ」
なんだか、犯罪者になったみたいで嫌だった。
ディリアはというと、優しい声でいたわってくれた。
「ゆっくりお休みなさい、カリヤ。ダンジョンへの出発は明日にしましょう」
そこへ、いきなり戻ってきたフェレットのマイオが、僕の腕の中に飛び込んでくる。
大喜びでディリアがそれを抱き取った後には、小さな
ディリアに言われたとおり、ひと晩よく寝るつもりだった。
でも、なぜか胸騒ぎがする。
気持ちを落ち着かせようとして夜中の庭に出てみると、そこには狩人の服を着たターニアがいた。
「あのアミュレットは?」
首から下げているのを見せると、ターニアは言った。
「このアミュレットは敵の弱点を見抜くから、せめてこれを役に立てて」
すると、手を貸してはくれないということだ。
そこに気付いたとき、ターニアは寂しげに微笑んだ。
「カリヤが考えてることは分かってる。でも、リカルドに近づくと、あの邪悪なオーラが私にまで感じられるの」
使い魔のフェレットを通しても、それは同じことなのだろう。だからディリアの「マイオ」は逃げ出したのだ。
僕はふと気づいた。
「すると……」
ターニアは頷く。
気づかれていた。
30代の男として感じる、狡猾だが胆力のある男への妙な共感を。
そこで、ターニアは一陣の風と共に姿を消す。
残されたのは、風に乗ってどこからか聞こえてくる、その声だけだった。
……闇エルフのエドマが集めている邪悪な妖精は、人間の欲望を煽るの。
……つまり、妖精を操れば、人間の世界も操れるのよ。
そんなわけで、ダンジョンに潜ることになった僕が頼れるのは皮肉にも、リカルドから贈られたクロスボウしかなくなってしまった。
腰のロングソードは、まだまだ戦闘ができるほど上達してはいない。
ダンジョンの入り口ではドワーフのドウニが待っていたが、クロスボウを見ると、鼻で笑った。
「新しいオモチャを買ってもらったみたいだな」
ディリアの指示で暗殺者のアンガが走りまわってくれたのか、後から魔法使いのレシアスと僧侶のロレンもやってきた。
レシアスが不敵に笑う。
「闇エルフと戦えるとはな」
ロレンは厳かに祈る。
「……神よ、この世界を善き方に導き給え」
騎士団が守るダンジョンから一気に第10層まで潜ると、頭の奥が痺れてきた。
これが、邪悪な妖精の力なのだろう。
ロレンが
レシアスの杖から放たれる光が照らしだしたのは、どこまで続くか分からない洞窟だった。
その天井や壁を、コウモリのような翼の生えた化物が埋め尽くしている。
「これは……」
正体を量りかねた僕のつぶやきと共に、その中の1匹が飛びかかってくる。
僕は思わずクロスボウを向けたが、パン、という音がして、弓や引き金がバラバラに分解されて落ちた。
ドウニは笑ったが、振るったハンマーは軽くかわされる。
そこで思い当たったのは、1920年代にヨーロッパ人の間で噂された妖精の名前だ。
「……グレムリン?」
機械化された世界に出現する妖精だが、この異世界では違うのだろうか。
最初は威勢のいいことを言っていたレシアスが、あっさり諦めた。
「こいつは手に負えない」
そこへ現れたのは、見覚えのある姿だった。
すらりとした姿の、暗い青褐色の肌を持つ若者……闇エルフのエドマだ。
「ようこそ、異世界召喚者殿……ダンジョンの征服者」
後に引き連れているのは、奇妙に曲がったり歪んだり、異様に膨れたり小さくなったりしている怪しげな……妖精たちだった。
とっさの閃きで、僕は壊れたクロスボウを放り出す。
「負けたよ、闇エルフ……負の世界からの復讐者」
ドワーフのドウニは目を見開き、僧侶のロレンは愕然とする。
魔法使いのレシアスだけは、僕の言いたいことを察してくれた。
「ダンジョンを破る力を使わない代わりに、味方になってほしい」
すかさず、僕は言葉を継いだ。
「あのエルフはもう、我々のもとにはいない。そこにいる妖精を放つなら、今だ」
ちらりと傍らを見ると、ロレンは力なく膝を突き、ドウニは呆れたのか姿をくらましている。
エドマは眉ひとつ動かさずに即答した。
「よかろう」
そのひと言で、背後に控えていた邪悪な妖精たちが、煙のように消えた。
どうやら100年以上前にエルフの森を出てダンジョンに潜んだきりのエドマは、クロスボウを知らなかったらしい。
その上、いくらグレムリンがいても、機械のない世界では能力を発揮しようがない。
だからエドマは、こう思ったのだ。
大勢の邪悪な妖精を前に、異世界召喚者である僕が無勢を悟って、ダンジョンを破るアイテムを自分で壊した、と。
これも、「笑裏蔵刀」だ。
読んで字の如く鞘の中に収めていたロングソードは、抜き放つとレシアスの強化魔法で淡い光を放つ。
さすがにエドマも僕の罠に気付いたのか、レイピアを抜いて身構えた。
「この前は後れを取ったが……」
だが、首から掛けたターニアのアミュレットが、服の下でひんやりと、僕の感覚を研ぎ澄ましてくれる。
振るうロングソードの刃は、エドマの技の及ばないところへと吸い込まれていく。
たちまちのうちに、僕はレシアスの杖の光の及ばないところまで、闇エルフを追い詰めていた。
それは、
エドマは、ひと声だけ言い捨てると、その奥の闇の中へ姿を消した。
「悪しき者は、悪しき妖精を引き寄せるものだ」
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