第2話 囲魏救趙《いぎきゅうちょう》……敵を疲れさせてから撃破します
そこで、横から呼びかけてくる大きな声が聞こえた。
「殿下! ご無事で!」
ディリアは、厳めしい顔を崩すことなく、声のする方を向いて答えた。
「探させてしまいましたね。許してください」
敢えてそうしているのか、そうしないではいられないのか、張りつめた声だった。
その前に現れたのは騎士と思しき、武装した何人かの馬上の男たちだった。
「遅くなりまして申し訳ありません」
そう言うなり、ディリアの前にひらりと舞い降りたのは若い騎士だった。
ひざまずいて兜を脱いだ顔を見ると、召喚される前の僕くらいの齢のようだ。
後に続く騎士たちがそれに倣うと、ディリアは穏やかなねぎらいの言葉をかけた。
「私こそ、まる一日、城を開けてしまって……迷惑をかけましたね、オズワル」
オズワルと呼ばれた騎士は、しどろもどろに答える。
「いえ、姫様が王家の剣をお持ちになるのは当然のことでございまして、お忍びとはいえ、あ、いえ、この、いえはその……」
何を言ってるんだか、さっぱり分からない。
その話を先回りして拾い上げたディリアが、姫君らしい重々しさでたしなめた。
「何事も堂々とやればバレないものです、騎士団長」
どうやら、王国を守る重責は、この頼りない男の両肩に乗っかっているらしい。
騎士団長のオズワルは、遠慮がちに尋ねた。
「ところで、そちらの方は?」
もちろん僕のことだが、自分でもどう答えていいものやら、見当もつかない。
男ふたりで見つめ合ったまま黙っていると、僕の代わりに姫君が素っ気ない返事をしてくれた。
「長い話は城でまとめて」
城に通された後の僕は情けないものだった。
いかにも中世ヨーロッパというなりをした人たちが恭しくディリアに頭を下げる中、初めて登園した幼稚園児のように、その後をちょこちょこついて歩くしかなかった。
逆に、あのオズワルとかいう騎士団長は、騎士たちを従えて歩くと全く別人のようだった。
だが、大広間で待っていたのは、夜闇の色をした衣をまとう初老の男は違う。
いわゆる文武百官を従えて僕たちを一瞥するなり、ディリアが何も言わないうちから長々とまくし立てたのだった。
「これはこれは姫君、父王様の亡き後、古くからのしきたりにより、遺言もなくその後を継がれることになったのが災い致しましたようで……」
ぺらぺらと長広舌を振るう。
現代文の授業みたいにポイントを要約すると、こうだ。
その1 非難 …臣下の迷惑を考えていない。
その2 弁解 …日が暮れるまで、ダンジョンに行ったとは気づかなかった。
その3 再び非難…屈強な騎士でも、ダンジョンから出てきた
以上。
いつまで続くか分からない長話を、オズワルは腰の長剣を鳴らして断ち切った。
不愉快そうに眺める眼差しを正面から受け止めたオズワルは、怒りを抑えて訥々と語る。
「リカルド! 宰相よ! おぬしが手を……回したのではないか? 我らが明るいうちに動けぬよう……騎士団長たる我にも、使いはなかったぞ!」
それ以上は、感情が邪魔して言葉が出ないらしい。
代わりに、ディリアが口を開いた。
「助けはいりませんでした。なぜなら、この方は……」
後ろに控えていた僕の服を引っ掴んで押し出す。
「この世の者ではありませんからね」
大広間に居並ぶ文官武官がそろってどよめく。
異世界召喚者、という囁きが、あちこちから聞こえる。
「そう、破邪の剣と共に王家に伝えられた、異世界からの召喚呪文は、まことだったのです」
そう言うと臣下たちを見渡して、ディリアは静かに告げた。
「お聞きなさい。私は、この国を父から託された者として、誰も潜ろうとしないダンジョンへ、ひとりで行きました。ひと晩、あのダンジョンの地下第1層におりましたが、遭遇したのはゴブリン2体だけです。それも、この……」
言葉に詰まったところで、僕が囁いた名前を、ディリアは高らかに告げる。
「カリヤが破邪の剣で追い払いました。この者と共に私たちが勇気をもって臨めば、この世の者では破れぬダンジョンも、必ずや制圧できましょう!」
さすがはお姫様だった。
オーラが違う。
大広間は一瞬にして、興奮のるつぼと化した。
「リントス国万歳!」
「ディリア姫万歳!」
「異世界召喚者カリヤ万歳!」
大勢で名前を称えられて、悪い気はしない。
だが、そこで一気に水を差したのは、宰相リカルドだった。
「では、早速、その証を見せていただきましょうか、カリヤ殿」
こうして、僕は再びダンジョンへ潜ることになった。
城の中には部屋が準備されたが、元の世界で住んでいた四畳半のアパートとそんなに変わらない。
粗末なベッドで横になると、すぐに眠くなる。
夢に見たのは、ステータスだけだった。
〔カリヤ マコト レベル2 16歳 筋力8 知力16 器用度9 耐久度8 精神力10 魅力13〕
知力が1だけ上がっていた。三十六計の知恵を使ったせいだろうか。
目が覚めると、パンとスープだけの昼食が準備されていた。
異世界召喚者の割には冷遇されている気がしたが、運んできたのは、同じものを部屋に盛って入ってきたオズワルだったらしい。
「我がリントス国はそれほど豊かではない……貴殿と話がしたくてな」
何を言うにも、脈絡というものがまるでない。
食事をしながらの話も、たどたどしい。
結局、言いたいことはこれだった。
「我も行こう」
あの破邪の剣は王家のものだから、そうそう持ちだすわけにはいかない。
僕に与えられるのは、せいぜい革鎧とショートソードくらいだった。
それを僕の前に差し出しながら、オズワルは言った。
「これで勝たねば、ディリアさまはとんだペテン師ということになる。身分が身分だから処刑はできんが、城の外へは、もう一生出られんだろう」
それも王国の実権を握っているリカルドの、姫君のメンツを潰すための差し金らしい。
体力のない分、
オズワルなしでは、絶対に生き抜けない。
そんなわけで僕たちは、モンスターの出ない昼間に装備を整えて、鉱山へと向かった。
オズワルの馬の後ろに乗って見渡すと、この異世界にも秋は来ているらしかった。
だが、道端の農家も、あちこちで収穫を待つ作物も、あまり豊かには見えない。
田園地帯というにはあまりに貧相な田舎を抜けると、山の中に切り開かれた広い道に入る。
僕の前で低くぼやく声が聞こえた。
「昔はわずかに銀が出たのだ」
道の果てるところには、今朝、僕がディリアと抜け出してきた洞窟がある。
「我が先に行こう」
カンテラを手にそう言うオズワルの武装は、軽かった。
あの長剣の他は、胸甲と背甲、肘当て膝当て脛当てに、革の手袋だけだ。
その理由は、レベル1の四畳半ダンジョンで分かった
待ち構えていた例のゴブリンたちが、闇の中へと一瞬で吹き飛ぶ。
TRPGでいえば、1ターンでの2回攻撃だ。
部屋の隅に下の階への鉄梯子を見つけた僕たちは、レベル2のダンジョンへと降りていく。
カンテラの灯だけを頼りに探索を始めた僕たちが、モンスターに出くわすには、そんなに長くはかからなかった。
やっと並んで歩けるくらいの洞窟の向こうから、一定のリズムで洞窟の地面を踏み鳴らす音が聞こえる。
「カリヤ……何だ、あれは」
見えないのに、分かるはずもない。
ただし、こんなに狭い通路で、それほど数がいるとも思えなかった。
そこで、僕はオズワルに尋ねてみる。
「モンスターと闘ったことはありますか?」
「ある……夜中に迷い出てきたものが、民家を襲ったのだ」
その声は、呻きにも近かった。
僕は察しがついた。
ここへ来るまでに見たわびしい村は、モンスターによって荒れ果ててしまったのだ。
だが、今はそれを気にする余裕などない。
正体の分からないモンスターが一歩、また一歩と近づいてくる。
オズワルが、僕にカンテラを預けた。
「我が戦おう」
「待ってください、相手の強さの見当がつかないんですから」
僕が引き留めると、不満げな声が、いささか興奮気味に返ってきた。
「戦って勝たねば帰れんのだぞ、我々は」
たぶんそうだろうとは思っていたが、やはりめちゃくちゃ体育会系だった。
頭の中のスイッチが完全に戦闘モードに入って、脳はスペックの低いパソコンでこき使われたCPUのように、熱暴走を起こしている。
オズワルの暴走に焦りはしたが、頭の中で、また閃いたものがあった。
そのおかげで、僕は努めて冷静に、説得にかかることができた。
「ついてきてくださったのは、僕を助けるためでしたよね?」
「必ず守る。命に代えても」
そういう話をしているんじゃない。
僕は大きく息を吸い込むと、一気に説明した。
「絡まった糸を解くときには無理に引っ張らないほうがいいんです。僕を守りたいなら、正面から戦わないでください。ポイントを突いて、形を崩してやれば、糸は解けるもんです」
オズワルは首を傾げた。
「裁縫の話はしていない」
僕は全身の力が抜けるのを感じたが、そこは何とか踏ん張った。
「だからあ……」
モンスターの足音は、すぐそこまで近づいていた。
どのくらいの大きさか分からないが、手を伸ばせば僕たちを掴めるかもしれない。
そこで、オズワルが動いた。
「来たぞ!」
言ってるそばから、モンスターが腕を叩きつけていたのだ。
運よく、僕とオズワルのどちらにも、当たりはしなかった。
足下に置いたカンテラの光で、その姿が、じんわりと闇に浮かぶ。
僕は恐怖を込めて、その名をつぶやく。
「トロール……」
TRPGでおなじみのモンスターだ。
強靭な肉体と分厚い皮膚、絶大な腕力を持つ、愚鈍で醜い生き物だ。
だが、それで分かったのは、僕の打つ手は間違っていなかったということだ。
あの三十六計カードのイメージが浮かぶ。
その中の1枚が、また、くるりと回った。
僕はカンテラを拾い上げる。
「コイツの攻撃は、あと、どのくらいかわせますか?」
「見損なわないでもらいたい」
不機嫌な声と共に、オズワルは振り下ろされるトロールの拳を、紙一重でかわす。
2回攻撃の敏捷さがあればこその、離れ業だった。
僕は後ずさりながら、トロールの姿をカンテラで照らし出す。
「僕がいいというまで、少しずつ下がってください」
これも、三十六計の知恵だった。
どれだけの間、じりじりと退きつづけただろうか。
トロールの腕と拳は、次第にスピードを失ってきた。
「今です!」
僕が叫ぶが早いか、オズワルの2回攻撃が無防備のトロールに、ほとんどクリティカルヒットする。
闇の中から来たモンスターは、闇の中へと崩れ落ちた。
レベル2のダンジョンを探索したが、もう、他のモンスターはいなかった。
下への階段を探し出してから外に出たときは、もう、日が暮れかかっていた。
オズワルがつぶやく。
「しまった……ダンジョンからモンスターどもが」
来やしません、という声が、薄闇の中から聞こえた。
カンテラを手にした軽装の騎士たちが、次々に馬から下りてくる。
「団長と異世界召喚者様がお帰りになった以上、姫様の言う通り、2段目までのダンジョンは我々でも制圧できます」
自信たっぷりに言う部下たちにオズワルは後を託して、僕と共に城へと戻った。
出迎えたのは、もちろん、ディリアだ。
質素だが、精一杯にお姫様お姫様した純白の衣装で、はにかみながら僕に告げる。
「信じていました、カリヤ」
ひざまずくオズワルをねぎらっているところにやってきたのは、リカルドだった。
ディリアは露骨なぐらいの笑顔を見せて言った。
「認めますね? カリヤが異世界召喚者だと」
リカルドは、物も言わずに恭しく一礼すると、その場を立ち去った。
ディリアは笑った。
それは、この異世界に招かれて初めて聞く、女の子の爽やかな笑い声だった。
「今朝まで動きすぎたんです、リカルドは。味方を集めようとして。もう、あんなに大人数はついてきません。皆、私とリカルドの睨み合いにつきあうのに疲れきって、様子伺いを決めこんだのでしょう」
……正直、聞かなければよかったと思った。
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