混水摸魚《こんすいもぎょ》……敵を内部から混乱させて、思い通りに操ります(後)

 ターニアは再び、夜風と共に姿を消した。

 そこで言い残したのが、これだ。

「ちゃんと説明したほうがいいよ、身に覚えがないって。そうでないと、ひとりぼっちのままだよ」

 誰に、とは言わなかったが、もちろん、ディリアのことだ。

 だが、その辺をきっちり片付けておかないとオズワルにも悪い。

 夜中に忍んできた娘のことをディリアに告げてはいないだろうが、君主に嘘はつかなくとも隠し事をするのは、騎士としてかなり心苦しいはずだ。

 だから次の朝、僕は敢えてディリアの朝礼に出た。

 大広間に入ると、ディリアからオズワルから廷臣から貴族たちから、その場にいる者の視線がいっぺんに僕へと集中する。

 案の定、廷臣たちや貴族たちはひそひそやっている。

 リカルドが、夕べの出来事を噂として流したのだろう。

 それでもディリアは、僕を近くに呼んだ。

「異世界召喚者殿はこちらへ」

 カリヤとは呼ばないあたりがちょっと怖い。

 しかも、それから先は口も利こうとしなかった。

 代わりにオズワルが、小声で話しかけてきた。

「言え……あったことを……この場で」

 それはできなかった。

 誰とも知れない相手に罪をかぶせて、自分は潔白だなどと主張するのは気が咎めたし、そもそも信用されないだろう。

 僕は敢えて、大広間中の非難と好奇の視線を受け止めることにしたのだった。

 だが、濡れ衣を晴らさないでおくつもりはない。

 それなりの腹積もりはあった。


 僕はオズワルから道を教わって、街外れにあるリカルドの屋敷までやってきた。

 鋲を打った堅固な門を守る私兵に告げる。

「異世界召喚者のカリヤだ。通してもらおう」

 門の向こうにすっ飛んでいった私兵は、すぐに僕を敷地の中に招き入れた。

 至るところに粗末な小屋があって、その周りでは武器を持った男たちが訓練に励んでいる。

 やがて僕が連れて行かれた建物は、それほど大きくなかった。

 正規雇用のサラリーマンが退職金を担保にしてローンを組めば手に入れられそうな、田舎の一戸建てくらいの大きさだった。

 その中から、男が出迎えに現れる。

 普段着らしい簡素な身なりをした、宰相リカルド本人だった。

「ここへ飛び込んでくるとは……何の御用かな?」

 危険なところだと承知のうえでやってきたのだから、長居をするつもりはない。

 僕はなるべく、簡潔に答えた。

「ダンジョン探索に、私兵をお借りしようと思いまして」

 これも、敵の内部を混乱させるためだった。

 リカルドが仕掛けてきた、三十六計の「混水摸魚」だ。


 ディリアに対して言い訳はしないが、結果は出してみせる。 

 いやなたとえだが、僕はディリアの臣下として正規雇用されたわけではない。

 この世界にやってくる前と同じように、自分の立場は、自分で守るつもりだった。

 僕は、リカルドにとっても決して損ではない話をもちかける。

「私兵にダンジョンを探索させれば、ディリア様に対しても説明がつきます」

 返答は早かった。

「よろしい、お貸ししましょう。私兵を抱えるのも、兵力に乏しいリントス王国を憂いてのこと。それをディリア様に分かっていただけるなら」

 どこまで本当のことを言っているのかは見当もつかなかったが、とりあえず、取引は成立したわけだ。

 僕はオズワルにも無断で、私兵たちを率いてダンジョンへと向かった。

 もっとも、ほとんどの私兵は僕と同様、馬には乗れない。

 何台もの荷馬車の上で、ひしめき合いながら運ばれていくことになる。

 僕だけは特別の馬車を仕立てようとリカルドは言ったが、僕はそれを丁重に断った。

「初めて生き死にを共にする私兵たちと、直に心を通わせたいのです」

 もちろん、それは建前にすぎない

 僕が聞きたかったのは、囁き合う私兵たちの声だったのだ。

「ダンジョン送りだろ……これ」

「俺、モンスターと戦うなんて……」

「聞こえるぞ、異世界召喚者に……」

 思ったとおりだった。

 僕に信用がないのは仕方がないことだが、私兵たちには落ち着きもやる気もない。

 まるで、召喚される前日まで、僕が授業を持っていたクラスのようだった。

 だが、その中にひとりだけ、荷馬車の隅でうずくまったまま、口をとざして顔を伏せている少年がいる。

 僕はそれが、どうにも気になって仕方がなかった。


 ダンジョンを守る騎士たちの目は、僕に対しても、私兵に対しても冷たかった。

 その中のひとりがダンジョンの外へ出て行ったのは、オズワルへのご注進だろう。

 ハンマー片手に第19層を守るドワーフのドウニは、第20層へと向かう洞窟を顎で示しながら言った。

「聞こえるか? あの水の音。大人数で潜るのは、かえって面倒かもしれんぞ」

 昔のコンピューターRPGではお約束の、地下水脈だ。

 ここに罠が仕掛けられていたら、引っかかった者が続く者を足止めしてしまう。

 そうなったら、僕たちは一網打尽だ。

 分かってはいたのだけれど、自分ひとりじゃ仕方がない。

 水脈の奥へと続く洞窟の向こうへと、僕は先頭に立ってカンテラを持って歩いていたのに、それがあだになった。

 ぼんやりした灯が照らし出したものは、後に続く私兵たちに、僕を無視して踏み潰させるには充分だった。

「女だ……!」

 全裸の女が何人も、嬌声を上げながら私兵たちを誘っていたのだ。

 欲望を叶えるのに邪魔な武器は、ひとつ残らず投げ捨てられている。

 だが、その向こうから聞こえる滝の音で、僕はその正体を悟ることができた。

「戻れ! フーアだ!」

 ファンタジー系TRPGをやり込んでいれば、分かる。

 川や沼の中に潜んで、男たちを誘惑しては引きずり込むモンスターだ。

 やがて、その悲鳴が暗闇の中から聞こえてきたが、丸腰では腰をぬかすばかりで為す術もない。

 いや、戦える者は、ひとりだけいた。

 僕が落としたカンテラをひったくった少年が、男たちを叱り飛ばす。

「逃げろ!」

 洞窟の奥に照らし出されたのは、水源らしき滝壺と、そこから現れた鼻のない乱れ髪の女だった。

 水かきのついた手が、私兵の喉首を掴んでいる。

 だが、短剣を手にした少年が飛びかかると、フーアは男の身体を投げ捨てた。

 くるりと回って、たてがみの生えた背中を向けると、水の中から伸びた長い尻尾で少年を張り倒す。

 カンテラを落とした少年は、両手を掴んだフーアに滝壺へと引きずり込まれそうになった。

 これでは、短剣が使えないまま溺れてしまう!

 僕は立ち上がると、ロングソードを引き抜いた。

「大丈夫だ! 待ってろ!」

 滝壺まで駆け寄ってカンテラを拾い上げると、フーアの目の前へ突き出す。

 これも、TRPGで覚えたことだった。

 こいつらは、光に弱いのだ。

 目を潰されたフーアは、滝壺の中へ少年を取り落とす。

 少年がそこから這いあがるのを横目に見ながら、僕は剣先を突き出した。

 ターニアのアミュレットが教える弱点に向かって。

 だが、フーアを仕留める必要はない。

 こいつらは、鉄にも弱いのだ。

 金切り声を上げたフーアは、どこへ続くともしれない地下水脈に沿って流れ去っていく。

 だが、危機は去っていなかった。


「よくも!」

 短剣を失ったずぶ濡れの少年が、凄まじい速さの蹴りを放ってきたのだ。

 僕は命の恩人であっても、恨みを買う覚えはない。

 アミュレットが教えてくれる弱点に向かって手を突き出すと、その身体を簡単に抱き留めることができた。

「放せ!」

 暴れる身体からほとばしる水しぶきが、僕の口の中にも飛び込んできた。

 しょっぱかった。


 ……泣いている?


 しかも、身体の感触は、妙に柔らかい。

 思わずドキッとしたせいで緩んだ腕の中から、少年はするりと逃げ去った。


 ……え?


 僕は戸惑った。

 後に残されたのは、ゆうべ嗅いだ、あの娘の身体のかぐわしい匂いだったのだ。

 


 城へ帰ってから聞いた話だが、ドワーフのドウニはともかく、ダンジョンを守る騎士たちは、上へ上へと駆け上がっていくずぶ濡れの少年……いや、あの娘を心配して呼び止めたらしい。

 だが、娘はそれを無視したばかりか、邪魔だとばかりに数人を蹴倒したりもしたのだという。

 僕はダンジョン制圧と共に、リカルドの私兵たちの混乱ぶりをオズワルに告げたが、その後の展開は早かった。

 その知らせを受けたアンガやギルたちが私兵たちと接触して、ディリアへの結束を訴えたのだ。

 やがて、私兵たちの一部はリカルドのもとを離れてディリアのもとに集う貴族に雇われることとなった。


 これも一種の「混水模魚」だろう。


 ディリアはというと……。

「カリヤ、こちらへ」

 大広間での朝礼で、僕の名前を呼ぶようにはなった。

 ただし、眼をそらす様子は、まだちょっと不機嫌そうだ。

 もしかすると、あの娘が何となく気になっているのを感づかれたのかもしれない。

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