第5話 ゴブリン

 馬車を走らせること数時間。

「そろそろ馬をやすませねーとな」

 ルカがそう言い、馬車を止める。

 荷台から降りて火をおこすエレン。

 イリナは荷物から干し肉と乾燥野菜。それからひょうたんから水を取り出す。

 フライパンの上でふにゃふにゃになる肉と野菜。そこに塩で味付けしてお終い。

 あまり料理と言えたものではないが、何も食べないよりはマシだ。

 俺は渋々食事をし、訊ねる。

「この世界の魔法ってなんだ?」

「魔法は、霊脈れいみゃくと呼ばれる魔粒子があって、そこから人体に供給されているのです」

「でもって。それが魔粒子から魔力へと変換させるってわけだ。てめーの頭でも理解できたか?」

 一言余計だ。

「じゃあ、変換ができないと魔法は使えないのか?」

「つーこった。まあ、こいつらがいるんだ。てめーが心配するような自体にはならねーよ」

 そう言って妹のイリナの頭を撫でるルカ。

「もう、お姉ちゃん」

 仲の良い姉妹だな。

「ああは言っていますが、ルカは人一倍優しい子です。悪く思わないでくださいね」

 小さな声で耳打ちをするエレン。

「そうか。そうかもな」

 姉妹でのやりとりを聞いているとそんな感じが伝わってくる。

 ピクッと動くイリナ。

 その手に錫杖を掲げ、森の中に火球を放つ。

「魔物――っ!?」

 エレンの声に対して、俺たちは丸くなる。

 真ん中に俺を抑え込むようにしてエレン、イリナ、ルカが固まる。

 しげみの中から現れたのは小さな子人のようなくすんだ緑色の肌を持った醜悪な生き物だった。

「なんだ。あれ?」

「ゴブリン。知性があり、人を騙し貶める妖精種の一種」

 ルカが短くまとめると、俺は緊張からか喉が鳴る。

「はっ。ゴブリンごときが!」

 ルカが真っ直ぐに突っ込む。

 肉体強化魔導。

 自身の何倍もの力を引き出すことのできる魔導。

 全身に魔力をまとわせることで、その身体能力を高めている。

 しかし、身体中の魔力をコントロールするのには才能がいる。並の努力ではできないこと。

 ルカはその力でゴブリンの頭を、内臓を引きちぎる。

 イリナの火球とエレンの氷塊が地表をないでいく。

 力尽きたゴブリンはその場で生焼けか、あるいは物理的に潰れる。

 内臓の腐ったような、排泄物みたいな匂い。

 身体からはみ出た臓物。吹っ飛ぶ腕。

 首が折れたゴブリンが地に伏せ、ゲップを吐く。

 垂れ流された排泄物は空気と交じり、気持ち悪い刺激臭を放つ。

 戦いは数分で終わった。

 さすが国でも才ある集団だ。

 でも、気持ち悪さから、俺は戻してしまった。

 ゴブリン一つ倒すでさえ、気持ち悪く感じている自分がいる。

 魔族といえど、生き物だ。

 その命を狩る側の気持ちが俺には理解できない。

 まだ何もしていないゴブリンを倒す――。

 ゲームでは当たり前のようにできていることも、実際にその場に立つとできないと知る。

 現実の生々しさを知り、殺し合いを楽しむように戦うルカ。

 臓物を引きずり出し、首を飛ばし――。

 蒼い血で身体を汚すルカ。

「もう大丈夫だぜ? 

 俺を姫と揶揄やゆする。だが、それも仕方ないことなのだ。

 俺は死とは無縁の生き方をしてきた。いや、そうせざる終えない環境で育ったのだ。

 と殺された動物の一部を食事として食べることはあっても、実際にその動物を殺すことも、育てることもない。

 スーパーに行けば当たり前のように陳列された肉。一匹一匹の命の重さも知らずに手にできてしまえる環境。

 知っていたはず。なのに何も出来ない俺。

 ショートソードのさやを抜くことすらしなかった俺。

 俺は本当に意気地のない奴だった。

「は、てめーの力なんぞ、借りなくても良かったわけだ」

 ルカがそう言い、手で顔に付着した血を拭う。

「何を言っているのですか。勇者さまはそれでいいんですよ?」

 エレンがたおやかに笑みを浮かべる。

「うん。無理は、しなくて……いいの」

 イリナは優しく笑みを浮かべている。

 これが当たり前なのだ。

「だが、このままって訳にもいかねーだろ? いずれは戦ってもらう」

 ルカはそう言い、馬車に乗り込む。

「少し行った先に湖がある。血を落とすぞ」

「はい」「……うん」

 俺が荷台に乗り込むと馬を走らせるルカ。

 しばらくして湖が見えてきた。

 俺は一人馬車に取り残される。

 夜も更けてきた。

 寂しさがあるが、そんなことを言ったら笑われてしまう。

 先ほどのゴブリンとの戦闘で、未だに気持ち悪さが残っている。

 それほどまでに衝撃的だった。

 死とはこういうことなのだろう。

「てめー。何考えていやがる?」

 一足先に戻ってきたルカが訊ねてくる。

「いや、俺には戦いなんて無理だよ……」

 ここまで弱気になったのは高校受験以来だ。

「はっ。近くの街にゴブリンの集団が向かっている」

 いきなり語り出すルカ。

「ゴブリンはオスしかいない。娘をさらって孕み袋にする。男どもは食欲を満たす存在。妖精なんて言われているが、人類を脅かす存在だ」

 ゴクリと生唾を飲み下す。

「ゴブリンが一つの街を滅ぼす。火をつけ、人をさらい、人としての存在意義を踏みにじられ、それでもなお、助けを求めている」

 ルカは昏い表情を浮かべる。

「そんな魔物に慈悲などいるか?」

 実感のこもったような物言いに、俺は圧倒される。

 そこに正義も悪もない。

 ただ食われる者と食う者がいるだけ。

 搾取される側と搾取する側。

 生き残る者と死ぬ者。

 なら――どっちにいたい。

 決まっている。

 みな生きたいだけだ。

 それが分からない人も多い。

 搾取されていることにすら気がつかない者もいる。

 誰かの犠牲になっていることも、それを幸せと享受している者も。

 知らずに生きてきた。

 高校生の俺には分からなかった。知っていたつもりだった。

 どこかで知った気になっていた。

 でも違う。

 知識として知っているのと、実際に起きていることにはこれほどまでの差がある。

 あの血の色も、臓物の匂いも。

 全ては知らない世界だった。

 殺さなければ、殺される。

 そんな当たり前のことも分かっていなかった。分かった気でいた。

 世界中の誰でも、何かの犠牲の上に成り立っているのだ。

 そうでなくてはとっくに殺されている。

 キモが冷える気持ちにルカが少し和らいだ顔を見せる。

「てめーは、違うんだろ? わたしらと」

「ああ。でも、このままじゃいられない。稽古をつけてくれ」

 俺が頭を下げると少し困ったように頭を掻くルカ。

「あー。てめーは少し勘違いしているようだが、勇者ってのはかなりお偉い方なんだと」

「そう、なのか……?」

「はっ、でもその卑屈な感じ嫌いじゃねーよ」

 ルカはにしししと笑い木剣を取り出す。

「じゃあ、遠慮なしに稽古つけるぜ」

「え。あ、はい!」

 俺は慌てて木剣を受け取り、近くの平地でぶつけ合う。

 木剣は軽いのが特徴だが、それを振るうにもかなり力がいる。

 今はまだ木剣に振り回されるような感じだが、俺は使いこなしてみせる。

 いや、使ってみせる。

 でなければ、死に意味が与えられない。

 俺たちはただの搾取する人間ではないのだ。

 人々を安心安全な場所で暮らすためにも。

 俺たちが守られてきたように、これからは人を守るのだ。

 エレンやルカも、イリナも。

 全員を守るには強くなるしかない。

 木剣を弾かれ、そこにエレンとイリナがやってくる。

「ふふ。気合い十分じゅうぶんですね」

「頑張って、いる……の」

 二人とも柔和な笑みを浮かべて駆け寄ってくる。

「これからは勇者さまも戦えますね」

「いいや、てんでダメだ」

 ルカが厳しく俺に木剣を突き立てる。

「これから毎日しごいてやるぞ。覚悟しな!」

「おう。もう俺はくじけない!」

 そう言って立ち上がると、少し大きくなった気がする。

 今度は負けない。

 搾取されるだけの人生はうんざりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る