第31話 ジュライの誕生日

 ジュライの誕生日と知り、俺は慌てて町中に買い物に行った。

 すぐに帰ってきたが、美味しそうな匂いが辺りにたちこめている。

 グラタンに野菜スープ、ローストビーフが並ぶ。

「お。うまそうじゃん」

 アッシュが手をつけようとしているのを見て、俺はその手を止める。

「こういうのは順番があるんだ。それにジュライの誕生日だろ? 華を持たせてやらないとな」

「分かったよ」

 アッシュが手を止めて、待つことにしたらしい。

 食堂に十三人全員が座ると、神に対する祈りを捧げたあと、食事を始める。

「うまい……!」

 俺はこっちの料理を知っている。

 どれも薄味で、下処理をしていない、灰汁あくが残ったままのスープ。

 でもこれらは丁寧な処理をしてある。

 それもトップクラスだ。

 煮物などで食材によって煮込む時間を変えると美味おいしくなると聞く。それと同じように食材一個一個に対して愛情深く料理されているのが分かる。

「なんだこれ!? うめー!?」

 アッシュが言い出すとみんなも「うまいうまい」と言って食事を始める。

 アッシュがリーダーだったせいか、他のメンバーが意識的に距離をとっているように思える。

 これでいいのか?

「アッシュ。このうまい飯が食いたいなら、ここにとどまるんだな」

「ぶっ。何を言い出すんだよ。このポンコツ勇者」

「ぽっ!?」

 ふふふと笑みを浮かべるアイシアとルカ。

 こいつら……!

「まあ、ポンコツかもな」

 ジュライまでも笑い出す始末。

「こ、こら笑うものではありません」

 唯一の良心である院長だけが言葉を発する。

「こら!」

「悪い悪い。でも、なんで誕生日プレゼント渡さないんだ?」

「ちゃ、チャンスをうかがっていたんだよ。くそ」

 俺はプレゼントを持ってジュライのもとに駆け寄る。

「あー。誕生日プレゼントだ。料理するって聞いて」

 鍛冶屋の砥石と包丁を渡すと、目を輝かせるジュライ。

「これ、欲しかったやつ! も、もしかして勇者の旅についていけば、これが毎日ってことか!?」

「何言ってんだ。誕生日だから一年に一回だろ!」

 アッシュが騒ぎ立てる。

 ぶすっと文句を言いたそうに伏せるジュライ。

 俺は、この街を。この光景を守ってきたんだ。

 ツーッと頬を流れる雫が地面に落下する。

「え。勇者様?」

 気遣うように声を上げる院長。

「俺、頑張ってきたんだよ」

 泣けなかった。そんな時間はなかった。

 エレンも、イリナのときも。エインズレイのときも泣くことは許されなかった。

「こんな当たり前な光景を、どれだけ見ていられるんだろう……」

 分かっている。ジュライの誕生日を無駄にしたくない。

 けど……。

 だって。

 戦闘というものは本来、気持ちが、感情が、心が傷つく。繊細であればあるほどに。

 たくさんの死を目にして病まない者の方が少ない。

 極限状態になった戦士は心をすり減らしていく。

 軍人へのアフターケアは大事である。

 そうであるに決まっているが、俺は一般人だ。その訓練も受けていない。

 俺は心が折れそうだ。

 もう嫌なんだ。

 今、両親に会ったら「なんで生んだの?」と問いそうになる。

 キツい。

 辛い。

 もう死にたい。

 なんで魔族を殺さなくちゃいけないんだ。

 もう嫌なんだよ。

 人が死ぬのは。魔族が死ぬのは。

 意味のない死ばかりを目にしてきた。

 そんな彼らの気持ちを尊重するように生きてきた。

 でもそれだけじゃダメなんだ。

 俺はもう疲れた……。


 気がつくと、俺はベッドの上で横になっていた。

 目を開き、上体を起こすと、ジュライの姿が目に入る。

「勇者も大変なんだな……」

 ジュライが居心地の悪そうに頭を掻く。

「その悪かった。そこまで神経をすり減らしているなんて……」

「いや、こちらこそ悪かった。誕生日なのに」

「いいさ。来年も祝ってくれるんだろ?」

 にんまりと笑みを浮かべるジュライ。

「いや、来年はここにいないだろ……」

「それでも、いつかは……」

 ああ。なんて優しい子なんだ。

 俺に生きる意味を与えてくれている。

 頑張る気力を分けてくれている。

 そうだ。ジュライを祝うためにも俺は生きて帰らねばならない。

 持ち帰った蘇生魔法とともに。

 誰かがいるから戦えるのだ。

 一人じゃ、目的を見失ってしまう。

 一人ぼっちじゃダメなんだ。

 戦士一人で闘っていたら、目的を見失う。

「ありがと。ジュライ」

「へん。いいってことよ。ぼくらは食べ終わったが、食欲あるか?」

「あまりないな……」

 肩をすくめてみせる。

「まあ、食っていけ。少し栄養をとらないとマズいだろ?」

「それもそうだな」

 こんな年下の子に気遣われるなんて。

 やっぱりポンコツ勇者なのかもしれない。

 温め直したグラタンを口にすると、俺は嬉しい気持ちで満たされていく。

「こんなにうまいものは初めてだよ。ジュライ」

「そ、そうか……、あはは照れるな」

 照れくさそうに頭を掻くジュライ。

「ああ。お前さんなら立派な料理人になれる。頑張れよ。食事は人を喜ばせることができるんだからな」

「そうかな……」

 悲しそうに目を伏せるジュライ。

 嗚呼ああ。彼にも陰惨いんさんな過去があるのだろう。でも明るく振る舞っている。

 いや振る舞い方を知ったのだ。

 でなければ、孤児院で一人でいられる訳がない。

 生きる上で、悲しみや辛いことはすべて表に出さないものだ。

 それが分かっているから、俺も何も聞かないことにした。

「でもジュライならきっとうまい飯を食わせてくれる。料理人に必要な素質を持っているしな」

「素質?」

「誰かを喜ばせようという気持ちだよ」

「――っ」

 息を呑む声が聞こえた気がした。

 彼は目を潤ませて、俺にくっついてくる。

「父ちゃん……」

 言ってから気がついたのか、ジュライはすぐに顔を布団にうずめる。

 まるで見て欲しくないように。

「勇者」

「なんだ?」

「絶対に魔王を倒して」

「ああ。いいだろう」

「そして、平和で安心、安全な世の中にしてくれ」

「もちろんだ」

「ぼくのような子が生まれないように」

「できるさ。みんながそれを望めば」

「うん。ありがと……」

 みんなが望まないのだ。

 人はいつだって身勝手で短絡的で。

 でも、いつかは切れ者が現れて世界を変えてくれる。

 起こりえる悲しみも、怒りも。

 先代から続く呪いも。

 すべては人が決めること。

 生まれ育った環境に呑まれることなく、輝き続ける。

 そうして、いずれ光の輪で世界を満たせば、不幸な人などなくなる。

 自分の心を、精神を大切にすれば……。

 きっと。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 俺はジュライのさらさらな黒髪を撫でると、少し落ち着いたのか、ジュライが顔を上げる。

「でもアッシュはどうするんだ? 全然戦力になりそうもないけど」

「大丈夫だ。彼に無理はさせない」

「そっか。良かった」

 他人まで気を使えるなんて、そうとう出来た子だろう。

「すごいな。ジュライは」

「そうかな? ぼくには分からないや」

「まあ、頑張れよ!」

 俺は軽くジュライの背中を押す。

「そういうあんたこそ」

 その手にしっぺを食らわせるジュライ。

 二人で笑みを浮かべて立ち上がる。

 友情を確かめるかのように拳をぶつけ合う。

「俺の生きる意味、戦う理由が分かったよ」

 俺はそんな当たり前のことを今更分かったと言い放つ。

「それを聞いて安心した」

 ルカが微笑みを浮かべる。

「張り詰めていたからな。今の勇者は」

 アイシアはクスクスと笑いを零す。

「へんだ。おれも戦うさ」

 そう言ってアッシュが手にしている武器を見やる。

「クロスボウか……!」

「これなら。おれでも戦える。一緒に行こう。勇者」

 クロスボウとは、弓矢を簡易にしたものであり、殺傷能力も高い。

 決して安い買い物じゃないが、彼のように戦い慣れていないものにはちょうどいいかもしれない。

 というか、俺が欲しかった。

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