第16話 イリナの最期

 祝賀祭を終えた街は少し寂しさを残していた。

 冷風に晒された焦げ後が、鼻をくすぶる。

 吐いた息が白む。

「さみぃ……」

 俺は井戸水で顔を洗おうと宿屋を出る、と……。

 そこには井戸水で身体を洗っているイリナと出会う。

 すっぽんぽんだ。

「きゃっ!」

「す、すまん。いるとは思わなかった」

 草陰に隠れて俺は動揺した声で言う。

「い、いえ」

 衣擦れの音を聞き、こちらに歩み寄ってくるイリナ。

「このことは内密、になの」

「ああ。それはいいが……」

 すっかり着込んだイリナはとことことその場を離れる。

 この寒さでも水浴びをしたいものかね。

 俺は疑問に思いつつも、水で顔を洗う。

「つめてー!」

 視界の端に何か映ったような?

 俺が顔を上げると、そこには何もいない。

「気のせい、か……」

 俺が宿屋に戻ると、着替えて食事を済ませる。

 相変わらず美味しくない飯だ。

 だがこちらの世界でのクオリティはこの程度なのだろう。

「きゃぁぁぁあぁあ!」

 俺が出かける準備をしていると、下の階から店主の悲鳴が聞こえてくる。

 慌てて降りてみれば、そこにはオークがいる。手にはロングソードを持っている。

 店主をかばうように経つイリナ。

「逃げ、て……!」

 イリナが店主を逃がすと、錫杖で切っ先を受け流す。

 そう長くはかかるまい。

 と、イリナの後ろからもう一匹のオークが襲いかかる。

 身体が反射的に動いた。

 血しぶきが上がる。

 俺は剣を身体で受け止めて、持っていたショートソードが床に転げ墜ちる。

「ぐっ。だが――」

 俺はひるむことなく、倒れ込んだイリナに覆いかぶるようにかばう。

「そんななまくら刀では骨までは切れまい!」

「ぐっ。こやつ!」

 オークは怒りに顔を滲ませ、何度も剣を振るう。

「ルカ!」

「ちっ!」

 ルカが応戦に入り、一匹のオークを切り飛ばす。

 ぐしゃと肉塊が落ちる音がする。

 オークの身体の中にある赤い宝石が光り出す。

「なんだ?」

「セイヤ! 逃げて!」

 爆発。

 爆炎と風圧が身体をチリチリと焼く。

「イリナ……?」

 俺をかばうようにイリナが背を向けている。

「だい、じょうぶ。セイヤなら、勝てる……」

「っ。そ、そんな……」

 癒やしの魔法を使い俺の傷口を治癒し始める。

「あ、ああ……」

 俺が言葉を失っていると、ルカがもう一匹のオークをくびり殺す。

「お前ら……!」

 ルカの怒号が響き渡る。

 二度目の爆発が起き、宿屋が揺れる。

「これ……、わ」

 鞄から何かを取り出すイリナ。

「わたし、の夢、希望……」

 そう言って一枚の楽譜を渡してくるイリナ。

「そ、そんな。なんで俺をかばった。なんで俺なんかを」

「勇者は人を導く、もの……だから。だから、生きて……。未来を守って」

 明日を守って。

 言葉が重なる。

 記憶が身体を動かす。

 声にならない悲鳴を上げて、腕の中で眠りにつくイリナを見届ける。

「うわぁぁぁっぁぁぁぁぁあぁぁああぁぁぁぁっぁぁあぁぁぁぁぁぁっぁあぁ」

 ルカが叫び、俺は嗚咽おえつを漏らす。

 なぜ、イリナは俺をかばったのか。

 その真実すらも分からないまま、俺はまた生き延びてしまった。

「殲滅する」

 ルカがそう呟き、俺はイリナの亡骸なきがらを抱える。

 中央広場にそっとイリナを置いて、傍に花を添える。

「イリナ。イリナ!」

 くそ。なんでだよ。

 なんでみんな逝っちまうんだよ。

 俺はなんでこうも無力なんだよ。

 なんで。なんでみんな、俺をかばうんだよ。

 クソ雑魚な俺を。

 嗚呼。

 なんで。なんで!

 分からない。分かりたくない。

 俺は生きてしまった。

 覚悟を決めたのに。

 未だにドクドクと流れ出る血を見て、俺は意識を失う。


▽▼▽


「イリナ。こっちへいらっしゃい」

 寮母さんが話しかけてくるが、私は柱の陰から見つめるだけ。

 怖い。

 みんなの輪に入るのが怖い。

 臆病な私に力を貸して。リンクマさん。

 ぬいぐるみを抱きしめて私は一歩前へ出る。

「さあ、みなさん。こちらが新しく仲間になったイリナよ。よろしくね」

「お姉ちゃん、は……?」

 困ったように眉根を寄せる寮母さん。

 見渡した限り姉がいない。

「すぐに会えるわ。イリナがいい子にしていれば」

「うん。分かった」

 私はそう呟き、みんなの顔を見やる。


「イリナは料理が得意なのね」

「うん。作るの、好き……」

 野菜スープと炭火焼きのローストビーフ。

 他の子には負けない自信があった。

「なんだこれ。うめー」

 同年代の子が喜ぶのを見て、いつか料理長になることを夢見ていた。

 でも。

「魔法適正と、能力があるわ! すごいわね!」

 私は特異体質だった。

 魔物の魔力を奪い、血肉に変える。もしくはそのまま魔力として使うことができる。

 魔法の方も、四大魔術の火、風、土、水の四つ全てを使えた。アストラル体を使う魔法にも適正が高かった。

 全ての魔法の源・アストラル体。

 それを加味してでも、私の魔力は異常だった。

 同年代の子と遊んでいると、いつしか「化け物」と恐れられるようになっていた。

 それは私が魔力を吸い上げ、自分の身体能力の強化に使ったからだ。

 私は察した。

 このまま孤児院にはいられない。

 荷物をまとめて、ボギーたちと分かれる。

 そして世界最強の魔術師になる。

 国の威信と名誉のため。

 尽力する。

 それでいい。

 それだけで良かった。

 この気持ちはなんだろう。

 彼を見ていると、暖かく、優しい気持ちになる。

 ズキズキと痛むことも、心臓が飛び跳ねるほど、一喜一憂して、でも嫌な気分ではない。

 セイヤは、不思議な人。

 私たちを元気づけてくれる人。

 そんな認識が広がっていく。

 偽ってもいい。

 世界最強の勇者はここにいる。

 絶対に〝諦めない〟のが勇者だ。

 そうでなくてはこの世界を任せられない。

 彼は言った。

「話し合いで」と。

 私には無理だよ。できないよ。

 だってこんなにも震えるもの。

 魔物を前にすると頭に血が上って冷静な判断ができないもの。

 セイヤを助けにいったこともある。

 ルカは無理だと言った。でも私は成し遂げた。

 やったよ。ルカお姉ちゃん。

 パパ、ママ。

 私やったよ。

 だから褒めてよ。よくやったって言って。

 そこにはいない。

 分かっていた。

 どれだけ魔物を殺しても、そこにはママもパパもいない。

 王族であった私のママやパパは一夜で離散したのだ。死んだのだ。

 むごい死だった。

 ママは魔物に犯され、腹がちぎれるまでもてあそばれた。

 そんなママを晒しながら、パパは死んでいった。

 彼らを許すことなんてできない。

 私は全ての魔物を駆除するまで生きる。

 生きていたかった。

 なんでだろう? セイヤをかばって、全ての罪を許せる。そんな気がした。

 私、頑張ったよ。

 川が見える。その先にママとパパが笑顔でいる。

「私、頑張ったよ。そっちへいっていい?」

『ああ。もちろんだ』

 声を聞いた。

 優しく暖かな光。

 私は前に踏み出していた。

 川の水深はあまり深くないのかもしれない。

 後ろから声がかかる。

「未来を、守って……!」

 私はセイヤにそう告げると、ママのもとに駆け寄った。


▽▼▽


「本当にいいんだな?」

「俺は勇者だ。俺には分かる。だからお願いだ」

「分かったよ。どうなっても知らんぞ」

「罪は背負う」

 俺はそういい、麻酔を受ける。

 目を覚ました頃には手術は成功しているだろう。

 闇医者がこの街に滞在していたのは幸運だった。

 俺はこれから偽る。世界最強の勇者として。

 その覚悟はできている。

 拒絶反応をするわけがない。彼女は俺の仲間なのだから。

 そしてイリナはどこまでもいい子だったから。嫌味なくらいに。

 だから拒絶されるわけがない。

 俺は彼女と一体化する。

 ジークフリートが言っていたことから推察するに、俺にもできるはずだ。

 やってみせるさ。イリナ。エレン。

「てめー! 何やってんだ! もてあそぶな!!」

 ルカの叫ぶ声が聞こえる。

 反対されてもしかたないのかもしれない。だが、俺は――。

 涙が伝う。

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