第27話 アイシアの過去

 アタシはコルド街の、町外れに住んでいた。

 両親は貴族で、街の商会にくわしかった。

 そんなちょっと変わっているだけのアタシは、隣にすむビルと一緒に遊んでいた。

 ビルは優しく気弱で、でも芯はしっかりしていたし、そこらの男の子よりも落ち着いた雰囲気を持っていた。

 彼と一緒に町外れにある森林に遊びに行ったこともある。

 森林には様々な動物が暮らしていて、テイマーとしての力を持つビルは彼らを使役し、一緒に遊んだ。

 テイマーは動物と一時的に契約することで、こちらの意図をくみ取ってくれる能力のことだ。もちろん、永久に契約することもできるが、ビルはそうしなかった。

 可愛いミートウサギやアジーリスといった小動物をモフる――撫で回すことが好きだった。

 一緒にいて安心できるのがビルだった。

 ビルは知識も豊富で、アタシの知らないことばかり知っていた。

 それを聞くのは面白かった。

「それでそれで?」

「ええと。このきさき、魔王と契約したらしいんだ」

「契約?」

「うん……。なんでも、領民を守る代わりに魔王に税金を納めると」

 経済的な搾取。

 それを許してしまった妃は、やがて破滅を迎えることになる。

 高すぎる税に住民たちは逃げ出していったのだ。

「魔王って悪いひと?」

 アタシが訊ねると、軽く笑みを浮かべてビルは頷く。

「どうだろうね。話し合いはできると思うよ」

「そうなのかな? なんだか物語では悪者だけど」

「でもね……。すべての魔王が悪とは限らないと思う」

 ビルは悲しげに微笑びしょうを浮かべる。

 きっと。こんな優しい人だからこそ、アタシは懐いたんだと思う。

 人と魔族が手を取り合える世界を目指したビル。

 アタシはそんな彼に傾倒していった。

「魔王はどう考えていたのかな?」

「たぶん。自分たちの領土を侵犯されたんだと、思う」

「あー。人類側が襲ってしまったのね」

「そうそう!」

 アタシが魔王を理解すればするほど、悪い人には思えなくなった。

 そんなある日、アタシとビルは街の外にある川に釣りに出かけた。

 親の釣り竿を手にして魚釣りをする。

「ん。全然つれない……」

 アタシは困ったように呟く。

「場所を変えてみる?」

 ビルが提案すると、アタシはこくこくと赤べこのように頷く。

「あの水しぶきが上がっている場所が魚が多いって聞いたよ」

「そうなんだ」

 ビルの相変わらずの知識に感嘆の声を漏らす。

 釣りをして魚を釣り上げると、アタシは嬉しさのあまり飛び跳ねる。

「釣れた! 釣れたよ! ビル!」

「良かったね。こっちも釣れたよ。そろそろ時間だ。帰ろう。アイシア」

 ビルがそう告げると、バケツを持ち上げる。

「うん。分かった!」

 アタシは嬉しくなり、ビルの後を追いかける。

 あのときのアタシはビルに恋をしていたんだと思う。

 嬉しかった。

 彼が喜ぶたび、アタシの中で彼の存在が大きくなっていった。

 街の中を歩くと小腹が空いてきたアタシは串焼きの香りにつられる。

「ん。串焼き、二本ください」

 ビルは串焼きを買うと、一本をアタシに差し出してきた。

「え。いいのに。ありがと」

 アタシは受け取ると、食べ始める。

 本当は王女であるアタシの方がお金持ちだし、領民もそれを分かっているはず。

 でも、ビルの優しさにどんどんと惹かれているのは分かっていた。

「ビルはアインシュタイン家のご令息。婿としてもふさわしいな!」

 夜になり、父と一緒に食事をしているときに、そんな話が持ち上がった。

 なんでも釣ってきた魚が美味びみであったことから始まった。

「ええ。わたくしもそう思います。だってとっても仲良しなのですもの」

 母も喜びで顔をほころばせる。

 みんな、アタシにとっては大事な人。

 領主でありながら、領民を、民草を大切にする両親に憧れがあった。

 ビルと一緒に孤児院に訪れたときも、みんな受け入れてくれた。

「ほら。こちらの方がアイシア王女殿下ですよ」

 院長が嬉しそうに紹介すると、みんな自己紹介を始める。

「あたし、アイラ」

「おれ、イアン」

「わたし、カリン」

「リリナ」

「ちょっと全員はききとれないって!」

 アタシもふふふと笑いながら、嬉しそうに目を細める。

 子どもたちにもみくちゃにされながら、触れあい、楽しんだ。

「王女さま、つよーい!」

 アタシがチェスをしてみせると、みんな驚くように見つめてきた。

「一番つよいカリンなのに」

「ふふ。何ごとも努力ですよ。努力していれば結果がついてくるものです」

「そういうけどよー。おれ、全敗だぜ? 勝ったことないんだって」

「一度、自分の戦い方を見直してみては? やり方を変えてみるのは一つの手口なのです」

「ふーん」「なるほど」

 感心のなさそうな声や、同調する声。

 彼らがどのように受け取ったのか、アタシは最期の最期まで知らないままだった。

 ビルは読み聞かせや知識で子どもたちに敬意の眼差しを集めている。

 それを微笑ましく見届けると、あっという間に訪問の日を終えてしまう。

 孤児院と離れる頃には少し寂しさを覚えて「またくる」と告げてしまう。

 それが最期の言葉になるとも知らずに。

 お屋敷に戻ると鬱屈とした雰囲気に呑まれ、アタシは困り果てていた。

「魔王の進軍……」

 父の漏らした声にアタシは驚く。

「なんで? 魔王だっていい人もいるんでしょ?」

「どこで覚えたかは知らないが、彼らは極悪非道の限りを尽くすもの。それらを魔王と呼ぶ」

「話し合いには応じないでしょうね……」

 母上も酷く落ち込んだ様子で頷く。

「そんなー……」

 それから三日後。

 防戦のため、土嚢を積み、民草に鎧と剣を持たせ、魔法師をかき集めた。

 魔王軍がくると思っていた西側を守らせていたが、その淡い希望は打ち砕かれる。

 西側をよけて行進していた魔王軍は北から攻めてきたのだ。その数六百。

 対する北側の兵力は二百。

 勝てるわけがなかった。

「アイシアはここで待っていなさい」

 そう言われ、ビルと一緒に地下倉庫に隠れた。

「怖い。助けて。勇者さま」

 そう呟くのはビルだった。

「大丈夫よ。大丈夫」

 アタシは彼の気持ちを守るように、抱きしめて落ち着かせた。

 焦げた肉の匂いと木材が倒れる音を聞き、小心者のビルが飛び出す。

 ビルの後を追うが、ビルが地上に出た瞬間、首が飛ぶ。

 アタシはそのショックで気を失った。

 しばらくして、アタシはビルの亡骸と一緒に起きた。

 気を失っていたから攻撃してこなかったのか、子どもだから見逃したのかは分からなかった。

 でもアタシが地上に出た頃には周りは焦土と化していて、屋敷は燃えかすになっていた。

 父も母も。その姿を見せてはくれなかった。

 炎で燃えさかる街を歩き周り、孤児院へと到達する。

 そこには無残にも焦げた肉塊が残るのみ。

 また会えると信じていたアタシにとってはショックが大きすぎた。

 胃がひっくり返るような気持ち悪さを覚え、嘔吐する。

 その場で崩れ落ち、三日後、ようやく救援がきた。

 アタシは釣りで魚を食べて過ごしていた。

 だが、その後で気がついたのだ。

 アタシが気絶している間に胸に埋め込まれた魔石のことを。

 魔族にされた――。

 その絶望的な言葉にアタシは生きる意味を見失った。

 長い旅に出て、砂漠の街にたどり着いた。

 そこではみな必死で生きていた。生きている。

 それがアタシにはとても素敵なことに思えた。

 アタシも生きる活力をもらった気がした。

 魔族にされたが、心まで魔族になったわけじゃない。

 この魔石はアタシの身体を蝕んでいく。

 やがて魔族の一員になる日もそう遅くはないだろう。

 でも今は、今だけは人として生きたい。

 だから、勇者に手を貸す。

 あの日、全てを失ったあのときから、アタシは魔王を憎んでいた。

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