第10話 究極の選択
俺はどのくらい寝ていたのだろう。
残留思念が聞こえた気がする。
あれは誰の言葉だっただろう。
明日を守る。
そのために生きる。
それが勇者。
そんな気がする。
目を開くと目の前には豚の顔をした二足歩行の魔物がいる。太った身体、丸々とした身体つき。オーク。
その奥に見えるのは麻袋を頭にかぶった二人の女子。ボロボロの布きれを着させられ、生け捕りにされた者たち。
頭にかっと力が入るが、身体を縛り上げられ身じろぎするのがやっとだ。
口には猿ぐつわ。
こちらに気がついたオークが声を上げる。
「ジークフリート様!」
その呼びかけに応じたのか、ジークフリートがドアの奥から現れる。
「こいつが〝勇者〟か」
「ですが、彼からは魔力反応が感知できません」
オークがそう言うと首を横に振る。
「そんなはずなかろう。あの勇者なんだぞ?」
「そう、なのですが……。女神のご加護を受けている様子もなく……」
「いや、勇者のことだ。隠蔽魔法が得意なのかもしれん。迂闊に近寄るな」
ジークフリートは頑なな意見で俺を見下ろす。その目は冷たく凍り付きそうな、鋭い視線を持っている。
冷笑を浮かべて、俺の猿ぐつわを外す。
「言え。こちらには人質がいる。貴様の能力はなんだ?」
麻袋をかぶった二人の少女が身じろぎをする。
「知らないね。そんなのはどっかの女神様に聞いてくれよ」
俺は口の中に滲む血の味を覚えて、つばと一緒に吐き出す。
ジークフリートの白い服を汚したが、怒った様子も見せずに麻袋の一人を見やる。
イリナとルカか。でも俺は本当に神様なんて知らない。
「わしは女神の力を利用したい。その臓器を移植すれば女神のご加護が使えるって寸法だ。貴様はココで死ぬ。終わりだ」
ジークフリートの動作でオークが一人の少女の足を短剣で貫く。
猿ぐつわをしているせいか、少女は声にならないうめきを上げる。
「言え。貴様の能力はなんだ?」
「分からないんだってば!」
「ふざけているのか!」
俺の胸ぐらをつかみ、拳を振り下ろすジークフリート。
「ははは。歯が抜けたぜ。この歳で総入れ歯かよ」
若干この空気に耐えられなくなり、おどけてみせる。
「ち。こいつ」
ジークフリートは怒りで顔を歪ませる。
「やれ」
オークに向き直るジークフリート。
するとオークは
血がドロドロと流れ落ち、身体が崩れ落ちる。
どしゃっと耳障りな音が俺の心を揺らす。
「ははは! 貴様が吐かないのが悪いのだ!」
無抵抗の女の子を殺すなんて……。
「貴様がご加護を言わないのが悪いのだ!」
精神を保つためにわざと言っているようにすら感じるジークフリート。
「俺には……」
能力がない。そう言えば、簡単な話だ。
国の威信を裏切ることになるが、どうせ行きずりの世界。
だが、問題はこいつが信じてくれるか、だ。
「言え! でないと、もう一人も殺すぞ!」
ジークフリートは焦り、麻袋をかぶるもう一人の女の子、その太ももにナイフを突き刺す。
「――っ!」
言葉にならない悲鳴が耳朶を打つ。
痛みでうごめく女の子。
今度はルカか? それともイリナか。
それにしても、なんて強引な方法で情報を引き出そうとする。
「待て。俺は、俺には能力なんてない」
「嘘をつけ。わしは貴様が国を背負い、魔法を行使するのを見た。召喚されるところもだ!」
「俺は異世界召喚に失敗した、クソ雑魚な勇者んだよ!」
俺は噛みつくように声を上げる。
「バカな。そんなはずがない。――嘘をつくな。そう言えばわしが解放してくれると思ったのだろう?」
ジークフリートはにやりと口の端を歪める。
「ほ、本当だ! 信じてくれ!」
俺が叫ぶが、ジークフリートは意を返さない。
「ふざけたことを言うな!」
拳が俺の脳天を直撃する。
鼻血が吹き出し、反動で頭の中が揺さぶられる。
「ぐ、ごふっ」
吐き出した血で床に血痕が残る。
「ち。これだから人間は!」
舌打ちをし、見下すような視線を向けるジークフリート。
「貴様の
「それならマズいっすよ。ジークフリート様」
「分かっている。しばらくしたら拠点を移すぞ。用意させい」
「はっ!」
オークが階段を駆け上がっていく。
出口は一つ。女の子は残り一人。ジークフリートは大きな
拳銃とかはない世界のようだ。代わりに魔法がある。
ルカとイリナが助けてくれることを期待していたが、この様子だと俺はすぐに死ぬことになる。
もう終わりだ。
国の栄誉と威信をかけた勇者物語はここで終わりだ。
エレンが死んで俺は何ができるのだろうか。
「ち。貴様が吐かないせいで、こいつも死ぬんだぞ」
ジークフリートは斧を持ち上げ、もう一人の少女の首を吹き飛ばす。
「あ、ああ……!」
獣のような悲鳴を上げる。
身体が震え、気持ち悪さがこみ上げてくる。
胃酸が喉からはき出て口の中が酸で焼ける。
「き、貴様……!」
俺は怒りで腕を、足を動かそうとする。
巻き付けられたロープが少し緩む。
「は。貴様が吐かないのが悪い」
ジークフリートは猿ぐつわを口にくわえさせて、担ぎ出す。
階段を上がり、暗がりに光るものを見つける。
「お待ちしておりました。ジークフリート様」
さっきのオークだ。
「こいつの移植をするには新鮮に保つ必要がある」
「……生かす、のですか?」
「ああ。それをノーマンも望んでいる」
俺の臓器を移植すれば能力が得られる。そう思っているらしい。
だが、俺には能力なんてない。このままにして置けば、数日は生きられるだろう。
でもそのあとは?
俺には生きる意味もない。
――明日を守って。
頭の中で言葉が響く。
でも好きで明日を見放しているわけじゃない。
どうしようもないじゃないか。
俺にはそんな力、ないんだ。
どうやって明日を守ればいいんだ。
ルカもイリナも死んでしまった。
俺はどうすればいい?
どうして生きている?
もう頑張りたくない。
死に晒されるのは他の奴で頑張ってくれよ。
なんで〝勇者〟なんて言われているんだ。
俺は勇者になりたかったわけじゃない。
異世界召喚ってなんだよ。
異世界転移ってなんだよ。
チートってなんだよ。
そんなものがあれば、俺は今も生きていけるのに。
ルカもイリナも。そしてエレンも守ることができたのに。
チートがないせいで!
〝勇者〟の力がないせいで!
俺は、俺は前に進めていない。
生きていくのに力は必要だ。
だから俺も剣術を学んだ。
でもまだだった。この異世界で、俺はなんの役にも立たない。
異世界で、俺は死ぬ?
いやだ。死にたくない。
死ねない。
俺はまだエレンの言葉を守っていない。
まだ誰も助けていない。
俺は、まだ生きていない。
根暗で、陰キャで、なんにもできない俺。
異世界に来れば何か変わるかと思ったが、それも他力本願。
本気で変わろうとしないものに変わる機会すらない。
俺は変わらない。
地球にいた頃と同じだ。
なんにもできない。
役立たずの、引きこもり。
世界が変わっても、俺は変わらない。
環境が変わっても、俺は変わらない。
こんな世界いやだ。
なんで人はこんな簡単に死ぬんだ?
なぜ。
あんな風に死ぬのが正しいのか?
違う。
人には人なりの生き死にというものがあるはずだ。
人らしく生きる。
人らしく死ぬ。
それは誰でも持っている正当な権利のはずだ。
そうでない世界など、滅びればいい。
俺は、俺は。
世界を変える。
人を変える。
「な、なんだ?」
ジークフリートが身もだえする。
世界は変わる。
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