第6話 宿屋

 水のみやこ・ホゥ。

 そこに足を踏み入れると俺たちは宿屋を探している。

「たく。こんなに広いのに、案内板もねーのかよ」

 ルカがぶつくさと文句を言うが、一理ある。

 案内してくれそうな人もいない。

 観光地ではあるが、それ故に治安の悪さがある。

 料理や宿屋の悪辣な値上げも、もう慣れたものと言った様子の市民たち。

 大金持ちそうな貴族が闊歩する中、俺とエレン、イリナとルカに分かれて街を散策する。

「どこかにいい宿屋があるといいんだが」

「そうですね。勇者さまはどんなお部屋に住んでいたのですか?」

「え」

 にこやかに接してくれるエレン。

「どうって普通の部屋だよ。パソコンがあって机と椅子があって、あとベッドも……」

「ふふ。それはこっちでは普通ではないですね。ベッドさえあればいい、という人も多いです」

「そうなのか」

 エレンからしてみれば、俺は世間知らずのバカものに見えていることだろう。

「俺、もっと知りたいな」

「え? 誰を?」

「それはもちろんエレンだ」

 エレンの知っている世界も、エレンのことも。もちろんイリナやルカのことも。

 もっと知っておきたい。一緒に旅をしてくるのだから。

 きっとそうでありたいのだ。

「な、何を言っているのですか。あたしなんて……」

「……腹減らないか?」

「え。あ、はい」

 ゴブリンの一件があってからあまり食欲が進まなかったが、この街にきて安心したのか、腹の虫がなる。

「久しぶりの食事ですものね」

 エレンは少し微笑む。

「勇者さまなのにゴブリンで参るなんて。慣れてもらわないと困りますよ」

 母性の感じる顔つきに、俺は少し落ち着く。

 エレンの案内で近くにあったお店に入る。

 〝兎三屋とざんや〟と看板に書かれているが、なんのお店か分からない。

 チャリンと鈴の音を鳴らし、店内に入ると、目の前に受け付けと柵が見える。

「この柵、なんだ?」

「あら。ウサギカフェは初めてですか? 勇者様」

 受付嬢らしき人が微笑を讃えながら柵の鍵を開ける。

 どうやらこの土地にも勇者の噂は広まっているらしい。

 柵を越えるとそこにはウサギがたくさんいるではないか。

 いくつか並ぶテーブルと椅子。みんな食事を楽しみながらウサギを愛でている。

「さあ。いきましょう? 勇者さま」

 エレンに連れられて、俺は席につく。

 メニューを眺めているとエレンは一匹のウサギを抱いている。

「注文しても良いですか? 勇者さま」

「えー。ああ……」

 店員さんを呼ぶとエレンが早口で応える。

「うさちゃんカフェスペシャル、チーズましましで」

 そういって注文を促すエレン。

「あー。ハンバーグ定食でお願いします」

「かしこまりました。作っている間にでもうさちゃんを愛でてくださいね!」

 店員さんがそう言うと奥の部屋に消えていく。

 ウサギを見つめると、確かに可愛い。でも、触るのに躊躇ちゅうちょしてしまう。

 ガラス細工に触るようにそっと抱き寄せる。

 もふもふで暖かい。これは至福の時かもしれない。

「はわぁあ。可愛いでちゅね~」

 クスクスと笑い声が聞こえてくる。

 恥ずかしくなり、顔をウサギに潜らせる。

「勇者さまも可愛いですね」

 エレンが満面の笑みでそう言い、俺はますます恥ずかしくなった。

 真面目で柔らかな笑みを持つエレンは、ウサギ好きということが判明した。

 だが、俺は代償に何かを失った気がする。


 のんびりと町中を歩く俺とエレン。

「さっきの勇者さま、可愛かったなぁ~」

 ホゥきっての噴水街にたどり着くと、エレンは弾んだ声を上げる。

 いくつもの噴水が魔法により色とりどりの色に染まっている。

 まさに水の都。

 歩き疲れた俺たちは噴水の近くにあるベンチに腰をかける。

 目の前にあるクレープ屋に目が行く。

 甘い物でも食べたい気分だ。

「食べてみますか?」

 エレンがクスクスと笑みをこぼし、こちらを見やる。

「ああー。まぁ」

 こっちにきてうまい飯が食えていない。

 せめて甘い物なら……。

 さっきのハンバーグもカスカスでうまくなかったな。

「さ、食べてましょう」

 エレンが二つ買ってきてくれたクレープ。

 その片方を受け取ると、俺は口に運ぶ。

 あまり甘くない。

 中に入っているものもバナナくらいで、質素なものだ。

「おいしく、ありませんか?」

 俺を見ていたエレンが困ったように眉根を寄せる。

「ええと。美味しいよ?」

「その割には食欲が進まないようで……」

 一瞥するとエレンは続きをしゃべる。

「今は戦時中ですからね。砂糖や塩が大打撃を受けています。きっと勇者さまは異世界で美味しいものを食べてきたのでしょう……」

 エレンの分析はおおよそ当たっている。

 この国には調味料が足りないのだろう。

「でも、安心してください。勇者さまがいれば、魔族なんてイチコロです」

「ははは」

 乾いた笑いが浮かぶ。

「いや、エレンは知っているよね? 俺の力を……」

「はい。でも、勇者というのは諦めない心を持った人間のことです。誰しもが勇者になりえるのです」

 エレンはキラキラとした澄んだ眼差しでこちらを射貫く。

「それに――。あたしが死んだ時は弟たちに義援金がいきます。彼らが生きていければ、それでいいのです」

 苦笑を浮かべているが、困ったように眉根が寄っている。その複雑な感情を前に、俺は何を言っていいのか分からなくなった。

「さ。美味しいものを食べるためにもひと働きしましょう。ね?」

「あ、ああ……。でもまずは宿を探さないとな」

「そうでした。うっかりです」

 エレンはてへぺろと言った顔を浮かべていた。

 彼女にも思うところはある。だから一緒に旅を続けているのだ。

 魔王を倒すために。魔族を退けるために。

 この旅がどのような結末をもたらすか、分からないが、俺はそのための手助けをする。したい。

 でも、俺の力なんて……。

 俺はエレンやイリナのように魔法を使えない。ルカのような馬鹿力があるわけでもない。

 どうすればゴブリンのような魔族に対抗できる?

 考えろ。

 俺は考えるあしだ。ただの葦じゃない。

 風に揺らぐ植物のように何も出来ないわけじゃない。

 俺にできること。すべきこと。

 それは……。

「待たせたな」

 ルカが男勝りの声音で話しかけてくる。

「お待ちしておりました。ルカさま」

「宿、屋……見つかった、よ?」

 エレンとイリナがそれぞれに声を上げて報告しあう。

 宿屋に向かう途中、またもや露店が並ぶ。

 エレンがとある露店の前で足を止める。

 アクセサリー用品のようだ。だが、少しお高い値段のようで、すっかり諦めてしまうエレン。

 一応、王様から軍資金と小遣いは頂いている。

 でも、17ゴールドか。高いな。

 10シルバーで宿屋四人なのだから、高いに決まっている。

 ちなみに100シルバーで1ゴールドだ。

 宿屋につくと店主がニタニタとした笑みを浮かべて、こちらを見やる。

「そっちの兄ちゃんと姉ちゃん、同じ部屋でいいのかい?」

「え」

 俺はエレンと顔をつきあわせる。

「あたしは大丈夫です」

「へい。彼女がいいなら」

「え。ちょっと、エレン?」

 エレンの正気を疑ったが、そうではないらしい。

「勇者さまの子を産めば、確実に上流階級ですね」

 あー。エレンはそんなところがあったな。

 って。これって俺の方が危ないんじゃね?

 さっと血の気が引いていく思いで、部屋に向かう。

 ルカとイリナは姉妹だし、一緒がいいだろ。

 なんて思っていたが、予期せぬ自体に俺は戸惑っていた。

 しかし、この宿屋も意地の悪い笑みを浮かべる。

「明日の朝もてめーの修行、すっからな」

 ルカが寝る前にそう言い、にらみを効かせてくる。

「ああ。分かっているよ」

 俺にできることをする。

 まずは剣技の腕前を上げねば。

 力のない俺でもゴブリンも倒せないなら、人々を守れない――。

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