第56話(完)

「わかりました───」


 区切りのような刑事の口調に、私は俄な緊張を感じた。


「実は彼女の部屋からあなたを刺したという書き置きが見つかりましてね」


「書き置き!?・・・・ですか!?」


「ええ。それで私共が裏と言いますか、事実の確認に出向いたわけですが・・・・」


 趣が掴めたわりには心も顔もなぜか複雑だった。そのせいもあってか、次の言葉が出るまでには若干の時間を要した。


「書き置き・・って・・・・どういう!?え!?・・じゃ・・恵理香はそこには!?」


 途切れ途切れの声に刑事も頃合いを感じたのだろう。病室に低い声を響かせ始める。



「今日の正午過ぎぐらいに彼女、つまりは岩崎恵理香さんが部屋の中で亡くなっているとの通報を受けまして───」



「!?・・・・な・・亡く!?・・・・」


 私は全身に電気を浴びたように呆然となった。そして、身動き一つすることもなくただ目を見開いていた。視界の中に辛うじて映ったのは、瞬時にこちらを見つめる圭ちゃんの顔だけだった。


「そ・・そんな・・・・馬鹿な!?」


 そう言ったきり私の言葉は途絶えた。すべてが信じられず、これはまさに夢の続きだと思った。見たくもない悪い夢だ。早く目を覚ませと自分に言い聞かせた。


「──彼女もともと無断欠勤するような人じゃなかったらしくて、それが昨日今日って無断で休んだもんですから、職場である西教習所の人もおかしいと思ったんでしょう。で、あっちこっちに連絡した揚げ句、最終的には彼女のお姉さんのところへ連絡が行ったようでして──」


 ショックで頭まで麻痺してしまったのだろうか。刑事の言葉が脳まで到達しなかった。



「・・・・じゃ~・・水月さん・・が!?」


 正直言って何が私の口を動かしているのかわからなかった。淡々とした口調にはもはや感情すら存在しなかった。


「ええ。お昼休みに見に行ったら駐車場には車があるし、ドアには鍵が掛かってるしで、さすがに変だと思ったんでしょうね。ま~それで慌てて管理人に連絡してドアを開けてもらったらしいですが───」



「そこに・・・・書き置きが?」

「ええ・・」


「・・じゃ・・私のことも水月さんに!?」


 刑事は無言のままコクリと頷いた。


「・・・・自殺・・ですか?」


「現状からして恐らく──」


「・・そう・・・・どこに・・居たんですか?」



「ベッドに横たわってましたよ」



「・・・・ベッドに」


「右手には果物ナイフを握り締めてました・・・・それで何と言いますか手首を──」



 刑事がそこまで話すと、突然、圭ちゃんが泣き崩れるように病室から飛び出して行った。通路から届く聞き馴れない声が私の目頭をじりじりと熱くさせた。私は静かに目を閉じ大きく息を吸い込んだ。そして、胸に溜まった薬品のような香りを吐き出しながらゆっくり目を開けた。


「・・・・事件になるんですか?」

「刺したのが事実であれば、そう成らざるを得ないでしょうね」


「・・・・書き置きがただの思い過ごしだったら?」


「いくらなんでも思い過ごしってことは──」


 それまで立ち尽くしていた若い刑事は、私の言葉に思わず歩み寄ろうとしたが、すぐに年配の刑事が右手で抑え込んだ。


「そうだとしたら、そう処理するまでです」

「・・・・そう!?」


「ええ。つまりその島田さんの怪我は自分の不注意によるもので、恵理香さんの書き置きは精神不安から来る錯覚だったと──」


「でも・・それじゃ~!?」


 尚も食い下がろうとする若い刑事に、年配の刑事は顔を左右に大きく振って見せた。


「最初にお話した通り私達はあくまで事実を確かめに来ただけであって、亡くなった恵理香さんを無理やり加害者に仕立てようってわけじゃないんですよ。ま~出来ることなら恵理香さん自身に話しを訊ければ一番良かったんでしょうが・・・・」


 帰り際に漏らした刑事の声がすべてを集約していただろうか。



 病室に一人取り残された私は、孤独を痛感しながら恵理香との最後の交差点であろう白い世界を回想させた。あれは決して恵理香の本心ではない。


 そう繰り返してみたところで目尻から流れ落ちる涙を止めることは出来なかった。



「ばかやろう・・・・ばかやろう・・・・」


 私は心の奥底からわき出る言葉を天井に向かって何度も呟いた。




───今年もあと二週間足らずとなったある日のこと。



 時間の経過で心と身体の痛みが多少薄らいだこともあり、私は思い立って恵理香の実家に足を運んだ。予め連絡しておいたため姉が家の前で待っていてくれたが、3K程度の一戸建のアパートは恵理香の所とは対照的なほど手狭に感じられた。


「驚いたでしょ?あんまり狭いんで──」


「いや・・・・」


 そう応える私に姉はクスリと表情を緩ませた。その様子からして相変わらずウソが下手ねと言ってるのだろうと思った。


 荷物の置かれた廊下を擦り抜けるように六畳間へと通された私は、姉の言われるまま適当な場所に腰を降ろし辺りを見回す。収納しきれない様々なものが部屋の広さを一回り以上狭く見せていた。すぐさま姉はお茶を手に舞い戻った。


「以前はもっと広くて大きな家に住んでたんだけど、父親が逃げちゃって支払いが出来なくなったでしょ。だからそこを売り払ってここに移り住んだの・・・・」


「そう・・・・」


 離婚して家を始末する。どこにでも似たような話があるのだと思った。


「恵理香にしてもきっとこんな手狭なところが嫌になったんでしょうね。──今じゃあの子の荷物でもっと息苦しくなっちゃったけど」


 姉はそう言いながらスカートの皺を撫でた。


「葬式にも顔出せなくて・・・・すまなかった」


「・・・・ううん。あなたは入院してたんだから・・・・それに謝まらなきゃいけないのは私の方よ」


 と、姉は妹の犯した罪をはじめとして、見舞いに行けなかったことや、さらには恵理香を庇い立てしてくれたことについても頭を下げた。


 妹を返して。そう罵られる覚悟で来た私には、少し姉の言葉は予想外にも聞こえた。


「水月さんも・・・・いろいろ大変だったね」


 気苦労からだろうか。心なし窶れた感のある姉を労うと、


「やめてよ。そんな・・・・今日は泣かないつもりでいるんだから」


 姉はそっと俯きながら笑いを繕った。


「別に泣いたって良いじゃないか。俺しか・・・・!?」


 そう呟いた途端、私は奥の部屋に視線を移した。


「そういえば・・お母さんは?」


「あ・・お母さん・・・・実は入院しちゃったの」


「入院!?」 


「ええ・・・・恵理香のことが堪えたんでしょうね。でもここんところいくらか落ち着いてるみたいで───」



 ある意味、それは姉自身の言葉にも聞こえた。妹の突然の死だけでもただ事ではないのに、通夜から葬式、そしてコーポの引き払いまで恐らく姉がこなしたに違いない。加えて母親の入院である。それこそ悲しみに暮れてる暇さえ無かったのではないかと私は姉の横顔に胸を痛めた。



「線香・・・・あげさせてもらっていいかな?」


「あ・・・・ええ・・・・」


 キッチン奥の四畳半に私を案内すると、姉は狭苦しそうに置かれた仏壇に火を灯す。置く場所の都合か予算かは別にして、思いのほか仏壇はこじんまりしたものだった。強い線香の香りに取り囲まれつつ、私は立ったままじっと四角い枠に包まれた恵理香の顔を眺めていた。



「恵理香!・・・・島田さんが来てくれたわよ」


 姉の声に引き寄せられるかに近づくと、私は力無く仏壇の前に腰を降ろす。線香に手を伸ばしたのはしばし遺影を見つめてからで、正直、この時点でようやく現実に戻った気がした。何も言わず五分くらいぼんやりしていただろうか。


 その後、私は身体の向きを変え姉に深々と頭を下げた。



「馬鹿よね・・・・やっと幸せを手に出来るとこだったのに」


「実はひょっとしたらウソじゃないかって思ってたんだけど・・・・」


「私も・・・・夢見てるんだろって朝起きる度に思ってたわ。でも目を覚ますと線香の匂いがして・・・・」


 姉は自分を励ますように笑って見せた。言葉が見つからなくて私は黙り込んだ。



「あ!・・そう!・・」


 突然、姉は思い出したように仏壇の奥から白い紙切れを取り出し、


「恵理香の書き置き・・・・。刑事さんから聞かされたでしょ?」


 と、言って私に差し出した。無言のままそれを受け取ると私は少し眺めてからポケットにしまい込んだ。


「・・・・読まないの?」

「ああ・・・・あとでゆっくり───」


「どうして?今じゃダメなの?」

「まぁ・・今読むとさすがに泣きそうな気がして・・・・」


「泣いたって別に良いじゃない。私しか居ないんだから」


 聞き覚えのある台詞に私は僅かばかりの笑みを浮かべる。


「水月さんの前だからかな!?」

「私の!?・・・・嫌らしい人ね!」


 と、姉は呆れたように呟いた。


「優しさは見せるくせして弱いところは見せない。そうやって女の心を引っ張る男は一番嫌らしいのよ」

「フッ・・そうかもしれないな」


 あえて否定もしない私に姉も少々戸惑ったのだろう。それ以上その話題に触れることはなかった。


 線香の香りに沈黙が加わり始めた頃だったろうか。私は姉に誘われるまま近くの公園まで足を運んだ。冬の強い日差しと北からの風が公園内を陣取っていた。



「狭い家に閉じこもってると、時々こっちまで憂鬱になっちゃうことがあって・・・・恵理香もきっとそれが嫌になったんでしょうね」


 姉はそう言ってベンチに腰を降ろした。黙って私も隣に続いた。


「でも・・私は長女だからそんなことも言えないし・・・・ホントのこと言うと恵理香が死んだあと私も死のうと思ったの・・・・」


「死ぬ!?」

「ええ。だって生きてても辛いだけだから・・・・」


「別にそんなことは・・・・」


「ううん。あなたにはわからないのよ。仕事が終わると家の用事とかお母さんの面倒とかで束縛され続けるのがどんなのか・・・・」


 恵理香を失ったことで今まで保って来た気丈な部分が剥がれ落ちたのか、姉は私に対して弱い一面を覗かせる。とは言え、何ら驚くことではない。


 気丈と言っても姉は恵理香より二つ年上なだけなのである。置かれた環境から実際の年齢よりは十歳は先を行ってるようにも思えたが、恐らく姉ももう抱えた荷物が手一杯の状態なのだろう。


「でも・・恵理香は幸せだったわよね」


 姉はさばさばと空を見上げた。


「一時でも女としての幸せを夢見られたんですもん」


「女としての!?・・・・でも水月さんにだって、これから来るだろ・・そんな日が──」

「こんな私にも?」


 ポツリ呟いてから姉は私に視線を向ける。


「ああ・・!人生いろいろ交差点があるからね」


「交差点!?・・・・出会いの交差点ね・・・・」


「・・・・って言っても生きてく限り苦労の方が多いんだろうけど───」


「そうね・・・・考えたらあなたも苦労の連続だったわね」


「フッ・・。お互いにね」


 と、私はブランコに向かう家族連れを眺めた。


「これから・・・・どうするの?」


 視線を落とす姉の声は乾いた地面に吸い込まれた。


「これから!?・・・・そうだな・・・・めそめそしてても始まらないから、新しい恋でも───」

「新しい!?」


「・・・・薄情な男と思われるだろうけど」


 労るように顔を向けると瞳が重なり合った。一瞬それが恵理香に見えた。


「・・・・だめかな?」


「ううん、その方がきっと恵理香も喜ぶんじゃない?」


「───もっとも言うほど簡単には見つからないだろうけど!」


「そう!?・・・・意外と灯台もと暗しってこともあるんじゃない!?」



 黙って姉を見つめたあとで、私は空に向かって穏やかに微笑んだ。




                     完

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交差点に舞う風 ちびゴリ @tibigori

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