第9話
破ったカレンダーをゴミ箱に丸めて放り投げ、七月の予定表に目を走らせていると、圭ちゃんが笑いと汗を浮かべピットから出て来る。
「島さん!今日も良いコンディションですよ~」
「そっか~。今どんなもん?」
「三十度ちょっとってとこですかね」
「もうそんなか~!フッ・・こりゃ~今日も良い汗かけんな~」
六月当初の異様な暑さもいったんは落ち着きを見せたが、最後の週辺りからまた真夏を思わせる日が続いた。店を開けて間もない時間だというのに、ピットの温度計は既に夏を示そうとしている。更にこの時期は蒸し暑いため、よくピットをふざけてサウナと呼んだりした。鼻を通り抜ける熱風をもじったのだが、理由は他にもあって、作業中にお客が来た時、汗を拭きながら出る様が如何にもそれらしいのである。
日差しを避けるための電飾入りのバイザーを取り付け始めて、一時間が経過しようとした頃、一台の大型トラックが駐車場へ入り込んで来た。恐らく客だろうと手を休め圭ちゃんとその巨体を眺めている。
ブロロ~!──。プシュ・・シュ・・ブロロ~!──。
「お、エアサスじゃん」
「ありゃ~、新型のグレートですよ」
「見かけねぇ車だな~。誰だろ?圭ちゃん知ってる?」
「いや~、グレートを買うような話、誰もしてなかったしな~。たぶん初めてのお客さんじゃないですかね」
止める位置からして、隣の会社に納品で来たのではないと察したものの、アルミボディの隅に書かれた社名もキャビンの緑と黄色の帯も見覚えがないものだった。もちろん過去にも何度となくこんなことはあった。ただそれが見かけない新型の車だったため、圭ちゃんも私も気になって見ていたようだ。少ししてドアから軽やかに降りた細みの男は、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩いてくる。そしてすぐにピットの私達を見つけ、
「んちゃ~っ!」
と、満面の笑みを浮かべた。圭ちゃんも私も驚きと喜びを織り混ぜ彼を出迎えた。
「お久しぶりっす~!」
突然と現れた長身の男。それは以前隣の会社に務めていて、よく私の店に遊びに来た須藤だったのである。突然と辞めてしまってからは、顔を見るのも久しぶりのことで、ほぼ一年ぶりぐらいだろうか。
「須藤じゃねぇか~!」
メガネに立たせた髪という風貌は何一つ変わらなくても、うれしそうに笑う顔付きは、あの頃とは違って凛々しさが伺えた。懐かしさに誘われるように圭ちゃんと歩み寄れば、照り付ける強い日差しですらしばし忘れるのだった。
「誰かと思ったら須田君じゃないの~!」
「ハハ・・もう相変わらずきついっすね~栗原さんは~!」
圭ちゃんの挨拶代わりのジョークに須藤は派手に笑い転げる。開いた時間などまるで無い。そんな呼吸がそこにはあった。
「どうも。島田さん、しばらくっす」
「お~しばらくだな。元気でやってたか?」
「ええ。ホントはもっと早く来るつもりだったっすけど、なかなか忙しくて──」
「そう?もうとっくに忘れちゃってるのかと思ってたんだけど」
と、すかさず圭ちゃんが突っ込みを入れる。
「そんなことないっすよ~。これでも島田さんとこは来なくちゃってずっと思ってたんですから。あ、そうだ。これつまんないもんすけど───」
そういって須藤は下げていた袋を目の前に差し出す。数本のペットボトルがきつそうに詰まっていた。 来る前にコンビニでも寄ってきたのだろうと思いつつ、ありがたくそれを頂戴すると、ずしりと重みが指にかかった。 圭ちゃんもこのときばかりは、何も言わず微笑ましく眺めているだけで、きっと私と同じように義理堅い奴だと考えていたに違いない。
「──それはそうと、乗ってんだなトラック!」
「ええ。やっぱそのために取った免許っすからね。でもしばらくは怖かったっすよ」
と、うれしそうにトラックに目をやる。
「なげ~からな~!」
私も教習所のトラックとは違うそのボディを眺めた。 笑いと話を交えながら揃って店に入ると、
「懐かし~っすね~!」
と、須藤は店内をキョロキョロと確かめるように見回している。
「それにしちゃ~今時随分羽振りの良い会社じゃね~。免許取り立ての奴にエアサスの新車くれるなんてさ」
「エヘヘ・・良いっしょ~。でも新しいのはけっこう気~遣うっすよ」
にんまりと笑った後、須藤はしみじみと零した。
「何?それで須藤君のトラックはまだ無傷なの?」
と、冷たいジュースを手に現れた圭ちゃんが疑いの眼差しで言う。
「もちろんすよ~!って言いたいとこなんすけど、ホントはちょっとやっちゃったっすよ。後ろんとこ」
照れ臭そうに話す須藤を圭ちゃんが楽しそうにからかう。こんな光景を見たのは一年も前ではなく、つい最近だったような気がしてならなかった。やがて徐に席を立ち、うろうろと歩きだした須藤は、入れ替わった商品などをあれこれ眺めている。それはかつて居た会社の人間の目と言うより、トラック乗りとしての目線だった。
「ちょっとの間にけっこう変わったっすね」
「そうだな~。割りと流行りもんみたいなとこもあるからな~」
「でも、あれっすね~。隣に居たときはあんまり面白みがなかったっすけど、自分で乗るようになるとけっこう違って見えるもんすね~。・・・・あれ?最近じゃ~こんなんも売ってるんすか~?」
と、マスコットの人形を上に掲げ、微笑ましい声を響かせる。須藤もまたいつぞや来た二人連れと何ら変わらないと思った。
「須藤君。最近じゃそれ目当てに女の子が来たりするんだよ」
「マジっすか~!」
遠くから聞こえる圭ちゃんの言葉に須藤は呆れたように笑った。 一通り眺め終わるとニヤニヤしながら現れ、
「これ、もらってくっすよ」
と、ポケットから財布を取り出す。カウンターの上にはプーさんのマスコットが置かれていた。
「あら?また柄にもないものを───」
「良いじゃないっすか~。これだって立派な売上っすよ~。なんて言って実は女に買ってってやるかなって・・・・」
「あ~そ~!じゃ~出血サービスして二万円でいいや!」
「た、高いんじゃないっすか~栗原さ~ん!」
レジを挟んでのやり取りを、目を細めながら見守っていたが、少なくてもその半分は圭ちゃんの態度に対する笑いだった。 私ならきっとこう言うに違いない。 そう感じ取ってのジョークにしか私には見えなかったのである。
「───良いんでしょ?島さん」
案の定、それとなく圭ちゃんは思惑通りだということを伝える。須藤も一緒に私の顔を見た。
「フッ・・そうだな。金はいいよ須藤」
「え?いいなんて駄目っすよ・・払うっすよちゃんと・・・・」
「いいよ。これは送別代だから。ほら、須藤が辞める時なんにもしてやれなかったしな」
私は穏やかな口調で話ながら須藤を見上げた。
「・・・・すんません。じゃ~」
感慨深そうな顔を見せた後、須藤はマスコットを軽く上げ、
「勝手に辞めちゃって、島田さんとこにも顔出さなかったんだから、送別なんてホントはもらっちゃまずいんでしょうっすけどね・・・・」
照れ臭さをごまかすように手にした人形を見つめていた。
「気にするなよ。そのかわりと言っちゃなんだけど、袋は無いよ須藤君」
圭ちゃんの言葉にすぐ須藤の表情は晴れた。
「あ、そういや、島田さん。免許は?」
「あ~取れたよ。も~須藤に見せようと思ってたんに居なくなっちゃうんだから」
「ハハ・・もうそれは勘弁してくださいっすよ」
朗らかな笑い声が店内に響いた。
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