第10話

 その後、私はかつて須藤がして見せたように、バッグから免許を取り出して見せ、過ぎ去った教習所やトラックの仕事の話をあれこれと続ける。メガネの奥の細い目を輝かせ、荷物や行き先々の話を聞かせてくれる須藤に、圭ちゃんも私も刻々と過ぎる時さえ忘れ、いつの間にか時計の針は真上で重なろうとしていた。


「あ、もう昼っすか~。そろそろ行ってみますよ。積み込みがあるんで──」


 そう言って席を立った須藤は、


「そういや、いつだったか、島田さん───」

 と、急に思い出したように私らしい人物と車を見かけたと話し始めた。


「へぇ~。どこで!?」

 

 夜な夜な走ることも多い私だ。きっとどこかですれ違ったのだろうと、明るい声で尋ねたところ、腑に落ちないといった顔で、須藤はその場所について説明しだす。だが、そこはここから六十キロも離れた県外だったのである。


「そりゃ~、見間違いだろ?いくらなんでもね~島さん?」

 

 圭ちゃんはすぐにそう笑い飛ばすものの、私は正直焦った。


「俺もウロウロ走り回ったりはするけど、そこまではな~」

 

 しかし、須藤のあやふやな言い方に、私は咄嗟に笑いを繕って否定してみせた。同時に身に覚えのある風景を浮かばせ、恐らくそれは自分に違いないと思っていた。


「やっぱ、気のせいだったんすかね~。俺も随分遠いとこだから変だなとは・・・・それに考えたら助手席は若い女が乗ってたっすよ」

「若い女!?それを早く言わなくちゃ~。そうすりゃすぐ違うって・・・・あ、島さんちの奥さんが若くないって言ってるんじゃないですよ」


 須藤を呆れたように笑った後、今度は自分の言葉に圭ちゃんは慌てている。


「わかってるよ。ま、つまりはそういうことだよ須藤!」

 

 これで話は片付いたと、私はほっと胸を撫で下ろしていた。


「でもよく似てたっすけどね~車も同じだったし・・・・」


 それでもまだ須藤は納得がいかないように首を傾げている。


「ハハ・・白のサニーなんてどこにだって走ってるだろ~」

「それもそうっすけどね」

すると何を思ったのか突然、


「待てよ~。ひょっとしたらお忍びでってこともあるぞ~」

 と、圭ちゃんが怪しげな笑いを浮かべている。


「フッ・・お忍びか~。もっぱら俺がお忍びで出掛ける時は、黄色い車だったように思ったけど~!?」


「あ・・そうだったわ。いつもあたしとなんだったわ~!」


 気味の悪い声を上げ身体をくねらせて見せる圭ちゃんを、でかい口を開けて須藤が笑えば、私も安堵を笑いと共に吐き出した。


「また近いうちに来るっすから!」


 そう言い残し走り去るトラックを圭ちゃんと見送っていると、忘れていた日差しに軽い目眩を覚えるのであった。


「・・・・さ~て飯でも食って続きでもやっか~」



 昼休みを早めに切り上げたのは、ロスした時間を取り戻すためで、圭ちゃんも私も夕方までに仕上げなければならない作業に専念した。 幸いなことに午後は特に客らしい客も無く、仕事も順調に進んだが、さすがに四十度を越えるサウナの中では、効率の悪さを感じないわけにはいかない。額の汗はだらだらと流れ、タオルは見る見る重さを増して行った。 それでも作業の進み具合と時計とを照らし合わせながら、黙々と決められた仕事をこなして行くと、いつの間にか心地良い風が吹き込み始めていた。


「どうだい?島さん──」


 夕方。ピットに軽やかな声を響かせトラックの持ち主が現れた。

 

 北斗船団の五十嵐さんである。

 歳にして五十代前半。やや小太りで色黒の五十嵐さんは、緩めの作業ズボンにサンダルというスタイルで私達の元へ歩み寄った後、新たに付け加えられた飾りを見上げ、


「おっ、いいね~!」

 と、顔を緩ませる。実はそんな瞬間に商売とは別の喜びを感じるのであった。


「なんとか終わりましたよ」

私もほっとした口調で付け終えたばかりの電飾を見上げた。


「悪かったね~忙しいとこ、せかしちゃって───」

「いや~、お客さんの要望に答えるのも商売ですから」

「あ、そうだ。これ──」


 そう言って五十嵐さんは疲れを労うように、冷たいジュースを差し出してくれ、私と圭ちゃんは直ぐさまそれを口に運んだ。余程喉が渇いたと見え、圭ちゃんは息もつかず一気に流し込んでいる。腹に染み渡って行くジュースに幸せのようなものを感じるのだから無理もなかろう。


 その後、圭ちゃんが運転席によじ登り、五十嵐さんに操作の仕方など説明しながら派手な電飾を点灯させて見せ、大型トラック一台分ちょっとのピットは、様々な色に染まった。


「目立つこと間違いなしですけど、くれぐれもお巡りさんには気を付けた方が良いですよ」


 レジで財布を広げる五十嵐さんに冗談めいた口調で声を掛けると、


「いや~、四六時中点けて走るわけじゃねぇから大丈夫だろ」

 と、照れ臭そうに言ってから、

「こういうのはここぞって時に点けてこそ価値が出るもんだしな」

 と、どこか誇らしげな笑みを浮かべる。


「ここぞって時ですか?」


 すかさず近くに居た圭ちゃんが理由を尋ねると、五十嵐さんはいろいろとその訳などについて説明してくれた。


「へぇ~なるほどね~。でも五十嵐さん。よくそんな高価な買い物を奥さんがOKしてくれましたね」

「いや~なにね・・・・」


 握り締めたやや厚い札を差し出しながら、圭ちゃんのジョークに苦笑いを浮かべる五十嵐さんだったが、私にはなぜかその笑いが寂しげに見えて仕方がなかった。


「あれ!?これから積み込みですか?」


 だからこそ、思いついたように話題を切り替えたのかもしれない。


「いや、積み込みは朝だから別に急がせる理由もねぇんだけどさ。何分、朝着てく物がねぇんで帰って洗濯しなきゃなんねぇんだよ」

「洗濯!?奥さんでも具合が悪いんですか?」


「いや・・そうじゃねぇんだけど。ハハ・・実は恥ずかしい話。ちょっと前に別れちゃったんだよ」

「え!?そうだったんですか?すみませんね、知らなかったもんで・・・・」

「いいんだよ島さん、気にしなくて。どの道遅かれ早かれわかっちゃうことだし・・・・でもまさかこの歳になって洗濯するとは思わなかったけどな~」


 口ごもる私達に対して、五十嵐さんはさばさばと笑って見せた。


「まぁ、これで俺も世間で言うバツイチって奴かい?ハハ・・だけどこの歳じゃ~もうバツもマルもねぇかぁ~」

「いや~そんなことないでしょう。まだこれからじゃないですか───」


「いや~。稼いだ金をトラックにばっかり使ってるような旦那じゃ、また愛想つかして出てっちゃうだろ」

「・・・・・・」

「かと言っても、居なきゃ居ねぇで不便なこともあるから、島さんは奥さん大事にしてやんなよ」

「え・・ええ・・・・」



 つい出た五十嵐さんの言葉が妙に心に沁みた。

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