第24話
────「私が誰だか、おわかりですよね?」
夜更けの街の中を走りだして間もなくのこと。ハンドルを握る女性は前を見たままポツリと口を開いた。
「ええ・・・・まぁ・・・・」
案内されるまま黙って車に乗った私だ。それ以外の答えなど存在し得ないが、きっと町中ですれ違ったにしても、同じことを思ったに違いない。それほど歳も近いと思われる顔立ちからは、恵理香を伺い知ることが出来る。
「驚かせちゃったでしょうね。あんなところで待ってたから」
「まぁ・・・・ちょっとね。──でも物騒だよ。こんな時間に女性一人で居たら?」
「そうよね。でも私だって何も好き好んで居たかったわけじゃないし、こんな時間じゃないと会えない人もいるから──」
「・・・・・・」
「執念深い女だって思ったでしょうね?」
「いや・・・・そんなことは──」
姉のやや切れのある口調に、黙り込んで外を眺めていると、やがて24と記されたレストランがガラスに広がった。正直、車内とは対照的な明るさに気恥ずかしさを感じた。
「ごめんなさいね。この時間だとこんなところしか思いつかなくて──」
気遣って掛けてくれた言葉も、なぜか皮肉っぽく聞こえてならず、私は注がれる姉の視線にただただ戸惑っている。それでも最早悪あがきは出来ないと悟ったのだろう。私は何食わぬ顔でオーダーを告げ姉からの話を待っていた。
「──ちょうど帰ろうか迷ってたところだったんですよ。あんまり遅いからこのまま泊まっちゃうんじゃないかって」
「別に泊まったりは──」
「しないんですか?──。でもただ話をしに来ただけでもないんでしょ?」
そう言って姉は徐にティッシュを取り出し、
「お拭きになった方が良いですよ」
と、私の口元に視線を移す。姉の細めた目につい恵理香を過らせたため、思いのほか動揺が少なく感じられたが、薄紅色が付くティッシュを眺める様は、ばつの悪い顔に違いないと思った。
「女ってけっこう敏感ですからね。証拠になるようなものを着けて帰ったりしたら大変ですよ」
これから取り調べが始まる。追い打ちを掛けるような台詞には、そんな雰囲気が漂っていただろうか。とは言え、これがもし真由美だったらなどと考えると、私は少なからず安心を覚えるのだった。伝票を置いた店員が離れ去り、喉の渇きを潤すかにグラスを引き寄せれば、
「実はちょっとどんな人かなって、会えるのを楽しみにしていたんですよ。あなたなんですね?教習所で知り合ったという人は?」
やや予想に反した表情で姉は言葉を連ね始めた。
「──楽しみに?」
「ええ──。だってあの恵理香の心を開かせた男性ですからね」
「フッ・・。随分また大袈裟な言い方するんだね──」
「そう?でもそれは以前のあの子がどんなだったか知らないからだわ。───何も聞かされてないんでしょ?」
思い掛けぬ問いに私は口を噤んだ。聞いたとも聞いてないとも言えず、答えに迷ったのである。すると姉は何かを察したように、手にしたストローでグラスの中の氷と戯れ始めた。二人の間に沈黙と呼べる空気が流れ出した時だった。
「──男と女のことですから、どうしてこうなってしまったかなんて訊きませんけど、ただ姉としては心配で・・・・。もしまた同じようなことにならないかと・・・・」
咄嗟にいつぞやの恵理香と目の前の姉をダブらせた私は、黙り込んだまま視線を窓へと移した。そこには人影疎らな店内の様子が映し出されている。
「──父のことは何か?」
「ああ。亡くなったったんだってね」
「そう──。あの子そんな風に・・・・」
意味深な台詞を零す姉の顔には、先ほどの穏やかさは無かった。
「あんなことがあったせいなのかはわかりませんけど、父は家を出て行っちゃったんです。・・・・女を作って。酷い話ですよね。だから尚のこと、あの子は傷ついて・・・・。ううん、あの子だけじゃなく、特に母は裏切られたショックなんでしょうね。以来ずっと精神不安定で──」
「そう・・だったの・・・・知らなかったな」
「こんな話・・・・人には言えないですもんね」
初めて聞かされた過去に戸惑いながらも、どこか他人事として聞き流すことも出来ず、私は表情を曇らせる。そして、テーブルの隅に置いたティッシュを見つめた。
「私たち家族は恨みましたよ。父のこともその女も。だからもし遊びで付き合ってるんだとしたら、傷を深くする前にってこうして・・・・」
「──もし・・・・遊びじゃないって言ったら?」
「愛してるの?あの子・・・・いえ、恵理香を?──」
不意に現れた店員により会話はそこで途切れたが、気まずい空気を察するかの素振りに、私達はひとまずその店を出ることにした。ハンドルを握る姉も助手席の私もしばらく無言だった。
「いいかげんな答えに聞こえるだろうけど、愛してるのかって訊かれると正直答えに迷ってね───」
赤信号で国道の大きな交差点に停車したとき、私は思い出したようにボソッと口を開いた。
爪を翳すように眺めていた姉はゆっくりとこちらに顔を向ける。何も言わなかった。
「じゃ~遊びなのかって言うと、それもまた違って──」
「結局のとこ、どちらとも言えないって。体裁の良い答えね」
「そうかもしれないな。ただ・・・・。もう一つ言わせてもらえるなら、今その答えが何なのか探しているっていうのか・・・・」
「それでもし・・・・遊びだったら、さようならでおしまい?」
「いや・・・・。いずれ何らかの形で責任はって思ってるんだけど・・・・。あ、まだ時間大丈夫かな?」
と、車を自販機の立ち並ぶ敷地に止めさせると、そそくさと扉を開け明かりの中へと向かった。助手席に戻ったのはタバコ一本分ほどの時間だったろうか。
「ありがとう」
差し出された缶ジュースに姉は一言礼を言い、私に続いてプルタブの音を響かせた。
「──責任って言ったでしょ?あれって・・・・」
「あ~。ただそれもまだ考えている途中っていうのか」
「そう。でも結果として奥さんや子供を悲しませることになるんじゃ?」
「まぁ・・・・誰も傷つかないなんて虫の良い話はないだろうしね。ただ・・・・」
「・・・・ただ!?」
「答えが出るまでっていうのか、もう少し時間をもらえないかな?もちろん、こんなこと頼める筋合いじゃないってわかってるけどね」
快い返事が聞けるとも思わなかったが、私は素直に本音をさらけ出した。恐らく姉にも何かが伝わったのだろう。
「そうね。なんとなくわかったような気もするし・・・・いいわ。でも今夜私に会ったことは内緒にしてくれません?そうじゃないとあの子のところに行き辛くなっちゃうから」
「そうだね。その方が・・・・・わかったって?」
「──恵理香の・・・・気持ちみたいなものっていうか・・・・」
「・・・・気持ち!?」
穏やかな表情の姉とは対照的に、私の顔はどこか優れなかった。寝付きを悪くした要因の一つに、きっと姉の言葉も含まれていたに違いない。
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