第23話

 何時頃帰りいつ眠りに着いたのかさえわからぬほど、その日の朝の目覚めは曖昧だった。 あるいはずっと何かを考えていて、目を閉じていただけなのかもしれないと、いつものように外へ出れば、朝の日差しが容赦なく眠気眼を刺激する。


「フッ・・今日も暑くなりそうだな」


 誰に聞かせることの無い台詞を零し、車を一路気休めになるだろう場所に向けた私は、残り少ないタバコに火を灯し窓を開ける。忽ち朝とは思えぬ風が舞い込み、車外へ漂う煙を運び去ってくれるものの、冷気まで奪われてしまうことが不快で、慌てて窓を閉めると今度は煙くて仕方がない。何かそれが自分の置かれた状況にも似ていて、もどかしさの中に笑いを浮かべたりするのだった。


 決まった道を決まったように走って来たつもりの私が、首を傾げるように車の時計に目を走らせたのは、遠巻きに映る光景に寝ぼけて時間を間違えたと思ったからだ。


「フッ・・遅刻なんて珍しいな圭ちゃん」


 表情とアクセルを緩ませ、閉じたシャッターの前を通り過ぎると、ちょうど朝の支度をしていた浅利と顔が合い、右手を上げ笑顔を見せる。


「どうかしたんですか?栗原さんは?」


 いつになく遅い圭ちゃんを心配してか、すぐに車から降りる私に歩み寄った浅利は、額の汗を拭いながら不安げな顔で理由を尋ねたが、特に心配もしていないという素振りで私は答えた。


「確か昨夜、用事があるって言ってましたよね~?」

「ああ。よっぽど帰りが遅かったんだろ」


 そんなやり取りをしている時だった。

 勢いよく一台の車が私達に向かって来たかと思うと、窓越しから見覚えのある女性が声を張り上げる。



「島さん!───」

「!?・・智ちゃん!」


 突然の再会による懐かしさを浮かべる前に、ただならぬ形相から繰り出された言葉に私は愕然となった。


「事故っちゃったの~!圭ちゃんが!」


「なにぃ~!?事故った~!!───」



 暑さも眠気も一瞬にして吹き飛ばすかに声を荒げ、言われるままゴルフの助手席に飛び乗ると、


「あ!そうだ!今日は店閉めるから!」

「わかりました。詳しいことはあとで───。俺の携帯に!」

 走り書きにも似た台詞を浅利に告げその場をあとにした。



───「おかま!?」


「そぉ~。信号待ちしていたらぁ、後ろの車がぁ突っ込んで来ちゃったみたいでぇ──」


「そうか・・・・二時半頃って言ったっけ?」


 病院に運び込まれたとはいえ、ケガらしいケガはしていないと聞かされたので、多少なりとも先程までの動揺は緩やかになったが、病院に向かうまでの間は、時間が長くそして車が妙に遅く感じて仕方がなかった。


「中央病院か・・・・ま、でも軽い鞭打ちくらいで済むんじゃないかな?・・・・」

「・・・・だと良いんだけどぉ・・・・」


 恐らく私から出た言葉は、その程度であって欲しいという願いで、自らの高ぶる気持ちを落ち着かせようとしたに違いない。


「どうせ、後ろがちょっとへこんだくらいなんだろ?」


 より大したことは無い確信を得ようと口を開けば、


「それがぁ───」


 と、智ちゃんは知ってる限りの状況を私に事細かく話し始める。おぞましい事故が私の頭の中で再現された。内容はこうだ。


 深夜、交差点の一番前で信号待ちをしてた圭ちゃんの車に、後ろから来た大型の四輪駆動車がそのままの勢い、つまりはほぼノーブレーキに近い状態で衝突し、その反動で圭ちゃんの車は押し出されてしまった。何かに気をとられていて、圭ちゃんも全く気が付かなかったのか、軽くブレーキに足を乗せていたことも災いしたのだろう。


「──勢いで電柱に!?・・・・それでホントにケガもしてねぇって?」

「えぇ・・・・。お医者さんはぁ特に目立ったケガは無いってぇ・・・・。でも、事故ったときは気を失っちゃったみたいでぇ、私が病院に行った時はぁいろいろ話してたんだけどぉ、大したことはないからぁ大丈夫。仕事行くってぇきかなかったんだからぁ~」


「そう・・・・で、今は?」

「今は薬で眠ってるんだけどぉ~。でもはじめ電話もらったときぃ、意識が無いってぇ言われたからぁ、私びっくりしちゃってぇ~」


 と、その時の心境を伝えるかに智ちゃんは声を震わせた。


「そうだろうな・・・・。あ、誰から連絡もらったん?」

「お母さん。あ・・圭ちゃんのねぇ。島さんにもぉ連絡しようとしたらしいんだけどぉ、お店の電話しか知らないからって私にぃ──」

「それで迎えに?」

「ええ。お店まだ開いてないしぃ、それに携帯もわからないでしょ~。なんだか気が付いたら車に乗っててぇ~・・・・考えたら起きてる時ぃ、携帯でも訊いとけばぁ良かったのよねぇ~」 


「・・・・あ、赤だよ!」

「え!?・・あ!」


 視界にその大きな建物が見え隠れしだすと、気持ちが一層逸るのだろう。慌ててブレーキを踏んだせいで、二人共前のめりになった。


「ごめ~ん・・うっかりしちゃったぁ~」

「いや・・・・」


 その拍子に会話の糸が縺れてしまったのか、合わせたように黙り込む二人に、吹き出す冷たい風の音だけが響いている。すると、不意にどこかにしまい込んだ懐かしさが顔を擡げ、私はゆっくりと赤みがかった髪を見つめた。


「そういや、久しぶりだったね」

「えっ!?ええ・・ホント・・・・。元気だったぁ?」

「ああ・・・・智ちゃんも元気そうだね」

「ええ・・・・。って言うかもう元気過ぎるくらいだってぇ、どうせ聞いてるんでしょ~?圭ちゃんからぁ?」

「い・・いや~。特には・・・・」


 奥歯に物が挟まったかの答えに、智ちゃんは一度私の顔を見てから、


「だめよ島さん。ちゃんと顔にその話ならぁ聞いてるって書いてあるんだからぁ~」


 と、呟き車をまた走らせる。その言葉に顔の緊張を緩めはしたものの、笑いと呼べるほどでは無かった。徐々に迫るクリーム色の建物が、冷静を保とうとする心をかき乱したからだ。



「おばさん!──」


 重々しい扉をくぐり抜ける早々、労うように声を掛けると、


「あ・・島田さん。悪いねぇ~わざわざ忙しいとこ───」


 ベッドの脇にいた母親は、申し訳なさそうに立ち上がって私を迎えてくれた。


「何言ってるんですか。それよりどうですか?」


 と、気遣いもそこそこにベッドに歩み寄り、疲れて寝ているかの圭ちゃんを見れば、それまでの動揺がウソのように消え去って行く。


「ちょうど今は薬で寝てるところなんだけど、運が良かったのか大したケガもしてなくて、ただ全身に受けたショックみたいなのがあるんで、検査の結果によっては多少の入院が必要じゃないかって、さっき先生が来て──」

「そうですか~」


 安心したような母親の口調に、私もほっと声を漏らした。


「でも知らせを受けたときは気が動転しちゃってね~。ほら父親も事故で亡くなってるから、なおさらって言うのか、も~立ってるのがやっとなくらいで──」


 と、母親はその時の状況を振り返り、智ちゃんに連絡した経緯などを話してから、私にすぐ伝えられなかったことを詫びた。


「良いんですよ~おばさん。でも思ってたより大したことなくて良かった───」


 その後、差し出された椅子に腰を下ろした私は、警察から聞かされたという事故の状況や加害者などの話を母親から聞かされた。


「笹川商運の社長?」

「島さん知ってるのぉ~?」

「いや。会社そのものは聞いたことあるけど、お客としては来てないから──」

「それでなんだか、掛かって来た電話に出ようとして、事故を起こしたって警察の人は言ってたんだけど、まさかこんな身近にあるなんて思いもしなかったよ」

「携帯か・・・・・・」

「まったくね~。夜中までプラプラしてなけりゃ~こんなことにもならなかったのに」


 と、呆れたように話す母親に、飯に誘ったのは自分だからと頭を下げると、今度は母親が私を労ってくれる。どうやら圭ちゃんは食事のあとで家に電話をかけたようだ。


「こんな良い人がいるっていうのに、いつまでも落ち着かないで居るから、バチが当たったんだろうね」


 独り言のように吐き出された本音は、行き場でも探すかに静かな部屋を徘徊し、各々の口を閉じさせた。するとそれまで気にならなかった廊下を行く人の声が、妙に大きく聞こえ、改めてここが病院の一室であることに気付かされる。

 ふと、視線を移したブルーのカーテンの透き間からは、ここでは感じられない暑い夏が覗いていた。


「そうそう。ちょっと智ちゃん留守頼んでいいかね~。慌てて来たもんだから忘れものしちゃって──」

「ええ・・・・構いませんけどぉ~。え!?でもお母さん、どうやって家にぃ?」

「あ~、外にタクシーが止まってるだろうから」

「何もタクシーなんてぇ、私が乗せて行きますよぉ」


 と、突如繰り広げられる会話に、快く留守を引き受けたものの、なんともそれが嫁と姑にも似た光景に見えて仕方なかった。


「いいのかい?だって島田さんはお店に戻るんじゃ──?」

「いや、今日はずっと側に居るつもりで、店も閉めちゃってありますから──」

「そう。いろいろと厄介掛けちゃって悪いね~」

「じゃ~島さん。ちょっと行って来るからぁ」


 いそいそと仲睦まじそうに歩く二人を見送り、特有の匂いが鼻を掠め出すと、外の空気を恋しがるようにカーテンを開け外の景色を見渡した。


「今日も外は暑そうだぜ圭ちゃん。ま、でもたまには良いか。こうやって二人でのんびりするのも──」


 寝顔に穏やかな口調と視線を向け、丸椅子を手に病室の角に腰を下ろした私は、やや落ち着きを取り戻したのか、この数時間の間にあった出来事を思い起こしていた。だが、それもつかの間、目を閉じるなり私の意識は薄らいで行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る