第22話

 その夜、私達三人は『ナポリ』へと繰り出し、窓際の小さめなテーブルを囲んだ。


 扉をくぐり抜けた時に見せたマスターの態度に、


「あれから何度か来てるんか?」

 と、メニューを拡げながら声をかけると、


「ええ。二、三回来ましたかね~」


 浅利は居心地の良さそうな顔で答え、直ぐさま自分のオーダーをポッと告げる。ヘェ~と圭ちゃんと顔を見合わせた私は、指で二という数字を作って見せると、声も出さずに圭ちゃんは三と指を立てる。こんな呼吸が何より仲間の証しの一つだった。


 普段は閉店までいることの多い私達だったが、圭ちゃんが用事があるということで、この日は夕飯を食べて間もなく、サニーに乗り込み店へと戻った。


「じゃ、二人とも気をつけてな!」


 軽く手を挙げながら二台のオープンカーを見送ったものの、予定よりも早くお開きになってしまったことに手持ち無沙汰を感じたのか、つい私は携帯のボタンを押しコーポへと車を走らせた。しかし、なぜか車中では恵理香のことよりも、圭ちゃんの後ろ姿ばかりが浮かび、暗い夜へと走り去るZ3が何度と無く現れては消える。考えたところで答えは出なかった。謎めいた映像を一掃しようと、外の生暖かい風を車内に呼び込んでみたりしても、たいした違いはなく、



「なんだか元気ないみたいだけど?」


 突然の訪問に喜んだのもつかの間、明かりに照らされた私の顔を見るなり、恵理香は首を傾げるのだった。


「そう?・・・・ちょっと疲れてるんかな・・・・」


 咄嗟に惚けて笑って見せ上がり込むと、恵理香は視線と腰を落とし靴の向きを変え、私を奥にある一間に案内した。ベッドにある目覚まし時計は、九時半になろうとしていた。

 少しして冷たい飲み物を片手に現れた恵理香は、


「ちょっとびっくりしちゃった」

 と、うれしそうに目を細める。


「え!?あ~。突然来ちゃったからな。迷惑だった?」


 私の問いに笑みを浮かべながら、恵理香はさりげなく隣に腰を下ろし、


「そんなこと・・・・」


 と、私の肩に頭を擦り寄せる。慣れて来たせいだろうか。やや薄くなりつつある洗った髪の香りがほんのりと鼻をくすぐった。安心し一つ笑いを零すと、それまで離れずにいた圭ちゃんの映像が、徐々に薄らいで行き、私の心は恵理香の温もりで埋められて行った。


 だが、その直後に鳴ったチャイムの音に一転、私の身体は一気に緊張に包まれた。

 スッと頭を上げる恵理香も同様だったのだろう。



「誰かしら?・・・・こんな時間に」

 ポツリ呟き扉に向かった恵理香は、


「どちら様ですか?」

 と、恐る恐るドアに顔を寄せる。それほど大きな声ではなかったものの、静まり返った部屋には鮮明で、じっと耳を傾けながら息を潜める私に、



「恵理香・・・・私──」


「おねぇちゃん!?──」


 と言う耳慣れぬ声が興奮を与える。冷静を装いつつも内心穏やかではなかった。



「どうしたの?・・・・こんな時間に」

「どうしたってこともないんだけど・・・・それよりもちょっと開けて?」

「・・・・・・おねぇちゃん。ごめん。今は・・だめなの」

「だめって・・・・何?誰か来てるの?」

「来てないわよ・・・・」

「だったら?」

「来てないけど・・・・だめなの・・」

「・・・・・・」


 実の姉の訪問を拒み続ける声が、私にはせつなく聞こえてならなかった。そして、つくづく今夜はあのまま帰るべきだったと自分の行動を責めたりした。一旦、引き下がったように見えた姉は、恵理香の態度に何かを察したのか、


「居るんでしょ?教習所で知り合ったっていう人が?」


 と、それまでとは異なる口調で言ったあと、ドアを掌か何かで数回軽やかに叩いた。その音に私は自らの心を叩かれている気がしてならなかった。


「誰も居ないわ」

「お願い。恵理香開けて!その人にちょっと話があるのよ」

「おねぇちゃん。今日のとこは帰って」

「恵理香──」

「お願い・・おねぇちゃん」

「・・・・・・そう・・・・。じゃ~また来るから」

「ええ・・・・ごめんなさい」


 夜だったためか、姉はそれほど抵抗することもなく、声はぷつりと途絶えた。どうやら帰ったのだろうと、胸を撫で下ろし視線を移せば、立ち尽くしたままうなだれる恵理香が目に入り、咄嗟に声をかけてしまいそうな自分に待ったを掛ける。やがて微かな足音を立てながら、


「大丈夫。帰ったみたい」

 と、小声で話す恵理香に、

「そう・・・・」

 私は声のトーンと一緒に視線を落とし、


「なんだか・・・・悪いことしちゃったな」

 と、弱々しく漏らした。


「ううん。気にしないで。あとでちゃんと謝っておくから」

「そう・・・・。それにしても勘が良いな」

「え!?あ~、おねぇちゃんね。もう突然来たりするから、びっくりしちゃった」


 と、恵理香は繕ったような笑いを見せ、残ったジュースを飲み干す。小さくなった氷がチャラチャラと音を立てた。私は黙っていた。


 正しくは良い話題が浮かばず、恵理香が口を開くのを待っていたのだった。だが、それは恵理香も同様だったのか、しばし静かな時が流れた。きっと互いに私がここに居るだろうといった、姉の話題に触れ辛かったのかもしれない。


「そろそろ──」


 そう言ってセカンドバッグを手にすると、


「待って!」

 と、恵理香は腰を上げながら、


「もしかしたら、おねぇちゃんがまだ外に居るかもしれないから、もう少しここに居て」


 と、真剣な眼差しで私を制止する。


 私も正直、扉を開けることに不安を感じていたのだろう。まさかと思いつつも恵理香に従うことにした。それから一時間後の十一時。


「また来てくれる?・・・・」


 靴を履く私に掛けられた声は、いつもとは違って弱々しかった。


「ああ。近いうちに───」

「・・・・・・ホント?」

「フッ・・どうしてウソなんか?それにそんな情けない声出してたら、明日教習生が何号車だかわかんなくて困っちゃうぞ」


 気まずさを振り払うように笑って話せば、恵理香はほんの僅かの安心を表情に浮かべ、そっと私に身を寄せ踵を上げた。


「・・・・じゃ、また」


 生ぬるい風を受けながら明かりの灯る通路を歩きだすと、静まり返ったコンクリートに然程聞こえぬはずの足音が響いた。ゆっくりとした足取りで建物の角を曲がった時だった。


 数メートル先にある仄かな街灯の明かりの中に一人の女性が現れ、じっと私を見つめている。姉だ!。

 直感的にそう確信したのか、通り過ぎることも無く立ち止まると、つかつかと歩み寄った女性は私にこう呟いた。




「あの、少しお時間よろしいですか?」

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