第13話
「────で、今夜はその子と出掛けた方が良いだろって話してさ。飯に行く話がボツになっちゃったんだけど、ありゃ~今で言う逆ナンだな」
「逆ナン!?・・・・」
「そう。あれ!?女性からはそうに言うだろ?」
「あっ・・ええ。ただ・・私なんてとても出来ないから凄いなって・・・・」
「フッ・・人はいろいろだから。それより迷惑じゃ無かった急に誘ったりして?」
「いえ。ぜんぜん!」
「そう?いや、ほら昨日の今日だし。またかって家の人に言われたんじゃない?」
その晩、圭ちゃんとの飯の約束をキャンセルした私は、岩崎恵理香と共に雨の夜道を北に向かって走っていた。
「それだったら心配要らないですよ。私・・一人暮らしですから」
「一人!?え!?一人暮らししてんの?」
一瞬、車が横に振られる。しかし、それは降りしきる雨にタイヤが取られたからではなかろう。
「ええ・・」
「し、知らなかったな・・ずっと前から?」
「いえ、まだ半年くらいですけど・・」
「そう・・いや・・それらしいこと何も言わなかったから───」
「ごめんなさい。話そうと思ってたんだけど、言いそびれちゃって・・・・」
「いや、別に謝ることでもないよ。女性の一人暮らしなんて、そう大っぴろげに言うことでもないだろうし・・・・そうかぁ~・・・・」
「おかしいですか?」
「いや・・・・ただなんでまたって?」
「これも・・・・言いそびれちゃったことですけど・・・・ずっと前から考えていたことなんで・・・・」
「そう・・・・」
なんとなく尻すぼみに消える彼女の声に、私も雨にかき消されるように答えた。ワイパーは休むことなくフロントガラスの雨を払い続けている。
「でもお店の人もびっくりしたでしょうね」
しばし間が空いてから、やや笑いを浮かべ彼女が言うと、
「フッ・・。まったく別の人が現れたんだからな~。まぁ、俺の場合はラシーンの違いってのに気付いてたから良かったけど───」
と、私も表情を緩める。
「偶然ってあるんですね」
「そうだな。・・・・そういや今頃どうしているかな~?今日の感じだと、まんざらでもないようだったけど・・・・」
「うまくいってると良いですね」
その女性のお陰で今こうして居られる。彼女のうれしそうな口調は、そんなニュアンスにも感じられたが、実のところ外ならぬ私がそう思っていたからなのかもしれない。土砂降りに近い雨の音が途絶えたのは、それから二時間後のことだった。
仄かな明かりが立ち込める部屋で、私達は時の流れと交わす言葉を忘れた。時折、瞳の中に映る映像はどこか懐かしく、それでいて妙な新鮮さがあった。薄暗い空間に漂う動物のうなり声のような響きも同様で、ひょっとしたら肌を重ねる二人が、人間ではなく獣になってしまったのではないかとさえ思った。見慣れぬ部屋が本来の静けさに戻りつつある頃、
「雨・・・・まだ降ってるかしら・・・・」
胸元に微かな声が伝わるが、囁きにも似たその声は、いつもとは違い僅かばかり擦れて聞こえた。
「どうだろ!?・・・・」
天井の明かりを見つめる視線のように、私はぼんやりと答え、
「いや・・・・まだ降ってるだろ・・・・」
と、乱れた彼女の髪に顔を寄せる。シャンプーに混じって汗の匂いが香った。
「そうよね・・・・何・・考えてたんです?」
彼女は私の胸に顔を押し当てたまま静かに声を発した。
「何って・・・・特には・・・・」
「ウソ・・・・教えて?」
「いや~・・厭らしい男だって思っただろうなって・・・・」
「え!?・・・・どうして?」
「どうしてって・・・・女房子供が居るのに・・・・また・・・・」
私はタバコの煙を吐き出すように言葉を漏らした。
「・・・・そうね・・厭らしい人ですよ」
「フッ・・そうか・・・・軽蔑しただろうな?」
「・・・・軽蔑したのは島さんの方でしょ?」
「俺の方?」
「・・ううん・・・・なんでもない。それに・・・・そんなこと言うのなら私だって・・・・奥さんが居るって知ってて・・・・厭らしい女でしょ?」
「そうじゃないよ・・ここに連れて来たのは俺なんだから・・・・」
「え・・でも、そう仕向けたのは・・・・・・それに約束も破っちゃったし・・・・」
その声は切なく揺れていた。
「・・約束!?」
「逢わないって決めたのに・・電話しちゃったでしょ・・・・」
「だってあれは・・・・掛けるところがないからって」
「そんなの・・ウソ」
「・・・・・・」
「ホントは寂しくて・・・・バカでしょ?・・聞けば逢いたくなっちゃうって・・・・わかってるのに・・・・」
「・・・・・・」
「あれから何度も何度も思ったんですよ・・・・忘れようって・・・・でも私・・誰かと違って切り替えが上手じゃないからっ・・・・」
そこまで言うと彼女は小刻みに震えた。
ベッド周辺に散らばる衣類。実はそれが頑なに演じて来た笑顔の仮面だったのかもしれず、消え掛けて行く薄化粧と共に、彼女は弱い女を露にした。まさか、そこまで・・・・。
私は今にも折れそうな白い肌を抱き締めながら、彼女を傷つけた自分を責め、些細な思いつきから誘い出してしまったことを悔やんだ。 流れ落ちる滴が私の胸の中をも濡らし始めると、メモを渡し高台で別れるまでの映像が、途切れ途切れに浮かんでは消えた。
「・・・・教習所の話なんて聞きたがらなきゃ良かったんだろうな」
すすり泣く声に自分の過ちを呟いた途端、彼女は涙を溜めた目で私を見つめ首を振る。
「・・・・違うの・・・・そんなことじゃない・・・・」
「え!?・・じゃ~?」
他にどんな理由が・・・・。きっと濡れた瞳からでも私がその答えを出しあぐねているように見えたのだろう。
「・・・・うれしかったの」
と、彼女は一言呟きまた胸に顔を押し当てるものの、冷たい感触にすぐに顔を上げ、
「・・ごめんなさい・・・・アハ・・こんなに濡らしちゃって」
と、照れ臭そうに笑った。私もつられて笑みを浮かべ、胸の辺りから彼女の顔へと涙を辿った。
「ごめんなさい・・突然泣いたりして・・・・」
「フッ・・いいんだよ・・・・あれからも・・・・泣いたんだろうな」
途切れがちの問いかけに彼女はやや頬を膨らませた。そして私の手に指を絡ませながら、
「泣かせたのは・・私だけ?」
と、今にも消えてしまいそうな声で私の瞳を見つめる。それは初めて目を合わせた時とは違う可愛らしさと、秘めたる女の色気のようなものが入り混じっていた。
「そんな風に見える?」
「ううん・・ただ訊いてみただけ・・・・」
「そう・・・・あ、スカート!?──」
と、私はソファーに顔を向ける。そこにはタック入りの白いスカートが無造作のまま掛けられてた。重々しく見えたのは水気を帯びたせいだろう。
「染みになっちゃったんじゃ?」
「もう・・いいの・・それに今から拭いてももう遅いし・・・・」
「そうか・・ちょっと今日はあの店を選んで失敗したかな~。まぁ、そもそもはあのトラックだけど・・・・傘を持たない俺も悪かったんだろうな」
「ううん。島さんのせいじゃないわ。だってあの勢いですもん。傘があってもきっと同じだったでしょ・・・・でもホント。びっくりしちゃった」
数時間前の一件をつい忘れてしまうほど、微笑みから繰り出される彼女の口調は清々しく感じられた。
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