第4話
──翌日。
愛車Z3のバルブが切れたからと、圭ちゃんは早々と食事を済ませ出掛けて行った。なるべく仕事の時間には差し支えたくない。それが彼らしいところではあるものの、既に午前中の仕事も切りがつき、あとは手透きだったため、のんびりして来いと伝え、私はカウンターで雑誌をパラパラと眺め始めた。一人だけの店内はとにかく静かで、ページを捲る音が騒がしく感じられた。それからどのくらい経ってからだろう。
展示商品の並びが気になり、あれこれと奥で見渡している私の耳を、一台の車の排気音が引き寄せるが、振り向いて確認するほどでもなかった。
トラックでも圭ちゃんでもない。咄嗟にそう感じ取ったのが理由で、恐らく隣接する会社に来た車だと思ったからに違いない。従ってドアを閉める音も上の空のことでしかなく、壁に注がれた意識は南東にある店の扉が開かれるまで継続されたのである。
人の気配に何げなく振り返った私は、思わず視線の先に映る制服姿に言葉を無くし、目を凝らすように見つめた。外の明るさに浮かぶその女性が、錯覚とは言え、記憶に刻まれた人物と重なり合ってしまったのである。
「・・・・いらっしゃいませ」
我に返り声を掛けると、また壁に目を向け仕事の途中を装った。そしていつまでも落ち着かない自分を笑い飛ばした。
「順子。早く~!」
やがて聞き馴れない女性客の声が、カウンターへ向って歩く私の耳に聞こえ、いそいそと同じ色を纏った連れらしき女性が現れる。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
礼儀正しく後から来た女性はそう言って会釈をし、二人連れ添う形で物珍しそうに店内を眺め始めた。私はそんな光景を目の辺りにしながら、圭ちゃんの言葉を思い出していた。
なるほど言われて見れば、場違いな感じがするものだと、照れ臭そうな顔で一人また雑誌に目を移すのだった。
「あ、洋子。あそこあそこ」
「あ~ホント!」
「や~ん、かわいい!」
「ねぇ見て?プーさんもティガーもある~!」
お目当てはやはりマスコットだったのか、見つけるなり歳には似合わぬような声を上げるが、静まり返った店内ではその声だけでも様子が手に取るように伝わった。もちろんそれは異様にも取れ、さすがに自分の職業を忘れかけたりしただろうか。しかしながら、近いうちにまたこんな光景を見るかもしれないと、新しく店に増えた商品の可能性について考えていた。
「あの~、すみませんがこれもらえますか?」
事務服の二人連れがレジに現れたのはそれから間もなくのことである。若い女性相手にレジを打つのも妙だと思いつつ、
「どこかでお聞きになっていらしたんですか?」
と、お金を受け取る際に尋ねたところ、
「え!?あ~これ。そうなんです。同じ会社に居る運転手さんにちょっと・・・・」
二人の照れ笑いも言わば場違いを象徴していただろうか。
「あ~それで。実はまだ置き出したのが最近だったんで、ちょっと気になったものですから。じゃ~三百二十円のお返しになります・・・・え~と、そちらの方も──」
私の声にほんのり長い髪を色づかせた女性は、
「あの~・・これって他では売ってないですよね?」
と、言って二つ折の財布から千円を取り出した。
「いや、売ってないってこともないですけど、この辺だとちょっと見かけないでしょうかね。この手のショップ向けに作った商品みたいなものですから」
「あ~そうだったんですか~」
「もしよろしかったら、またいらしてください」
話はこれで途切れたかに思えた。しかし、二人は何か言いたそうに顔を見合わせている。
「・・・・何か?」
私はなるべく話易いよう穏やかに微笑んで尋ねた。
「あの~・・・・今はお一人なんですか?」
しかし、やや予想外の質問に私の顔は間の抜けたものになった。
「え!?いや、普段はもう一人居るんだけど、今はちょっと出掛けてて・・・・」
「茶髪の?」
「あれ!?ひょっとして圭ちゃんの知り合いとか?」
「いえ・・そうじゃないんですけど。居ないんですか・・・・」
マスコット以外にもお目当てがあった。言わずとも彼女らの曇った表情はそれを感じさせた。特に肩まで髪を伸ばした女性は、気持ちがありありと顔に出ていて、いかにも残念そうにしている。艶やかな黒髪に薄化粧。私はふと圭ちゃんのいう品のようなものを感じ、あとにする二人を窓越しから眺めた。つい私は笑ってしまった。正しくは思わぬ勘違いだったと自分自身を笑ったのだ。それもそのはず、紺色に包まれた彼女らが乗り込んだのは、青のラシーンだったからである。
Z3が乾いた音を響かせながら戻って来たのは、それから三十分くらい後だった。
「すいません島さん。本屋に寄ったら外車特集なんてのが目に入っちゃって・・・・」
紙袋を小脇に、軽やかな歩調で圭ちゃんはドアをくぐり抜けて来る。
「で、結局買って来たん?」
それとなく袋に目をやり私が笑うと、
「あ~、これ?これは今月号の『アートトラッキング』ですよ」
と、圭ちゃんは袋を無造作にバリバリと破った。
「もう発売になってたんか・・。うっかりしてたな・・・・立て替えた金はレジから出しておいてくれ?」
「わかりました。領収証はここに置いときますよ」
そう言ってレジを開けジャラジャラと音を立てた。
「あ~、そういや昨日のOLってのがまた来たぞ」
「え!?ラシーンの?」
よほど意外だったのか、圭ちゃんは手を止めたままこちらを見ている。
「そう。今日は友達と二人だったけどな」
「じゃ~昨日よりは良かったんですね!」
「何が?」
「いや、雰囲気ですよ~。あ・・島さん。やっぱり言ったようにちょっと品がある感じだったでしょ?」
「まぁ~そうだな、言われてみればなんとなくな。──でもうれしいじゃないか。またこうしてお客さんを連れて来てくれたんだから」
「フッ・・そうですね。──またマスコットですか?」
「ああ・・・・。だけど他にもお目当てがあるらしいんだな。これが~」
「え!?本当ですか?ハハ・・・・まさか島さん。ヤンキーを付けたいだなんて言い出すんじゃないんでしょうね~」
呆れたように笑うのも当然だ。それ以外で彼女らの気を引きそうな商品は、どこを探しても店内には見当たらない。
「ハハ・・・・まさか~!圭ちゃん。店で売ってるもんじゃねぇ~んだよ」
「売ってるものじゃない!?」
「そう・・・・あの~・・・・茶髪のお兄さんはいないんですかって」
「ヘッ!?俺!?ハハ・・やだな~また島さん。すぐそうやってからかうんだから!」
「いや、これは冗談なんかじゃなくてマジな話」
「え!?本当なんですか?だって昨日初めて会っただけなんですよ・・・・」
「一目惚れってのもあるからな~・・・・きっとまた来るぞ。どうする?」
「どうするって・・・・そうですね。いっそのこと付き合っちゃいますかね?・・・・でもやっぱりやめときましょう」
「智ちゃんが居るもんな・・・・」
「いや~それよりも俺にはああいった真面目なタイプは合わないですよ。それになんて言うのか、真面目ほど怖いって言うじゃないですか。本気になったりすると何するかわからないし、別れるなんて言って、いきなりズブッとか来たらそれこそ怖いですからね」
「フッ・・付き合わないなんて言ってもズブッと来たりして・・・・あ~、この間言ってた不吉な前兆って、もしかしてこれかも知れねぇな。ハハ・・・・」
「・・・・今度来たら裏に隠れますから~!」
どこまでが冗談なのかわからない表情で圭ちゃんは陽気に笑った。少なくても関心はある。私にはそう映って仕方がなかった。
「わかった。じゃ~裏に居るって話しとくから・・・・あそこは二人だけで話すには良い場所だからな~!」
「島さ~ん。勘弁してくださいよ~!」
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