第3話

 真夏を思わせる天候が一週間も続いたため、この時期には珍しく店内にエアコンの風が舞った。しかし、それはあくまで店内の話で、仕切られたピットはTシャツ一枚で作業に臨んでも、すぐにシャツは汗まみれになった。


「さすがに走って来た後のトラックの熱はすげぇな~!」

「そうですね。特にエンジンの近くはしんどいですよ」

「あ、圭ちゃん。いいよ。そこは俺がやっから!」

「いえ。この配線だけですから・・・・アチッ!フ~・・・・」

「大丈夫か?」

「ハハ・・・・毎度のことですから~」

「そうだ。それが終わったら一服しようぜ?」



 私は圭ちゃんを気遣い、圭ちゃんは私を気遣い、不況と呼ばれる年でも前年に近い数字をキープした。店内の一角には新商品であるマスコットが整列し、少しずつではあるがレジを打つ機会も増えた。現在作業しているトラックもその一台で、車内のルームミラーにはミッキーマウスが吊り下げられていた。


「どう圭ちゃん。外で一服しねぇ?」

「あ、いいですね。シャツでも乾かしますか?」

「ハハ・・・・今日は乾きもいいだろうし」

 空は雲一つなく青々と澄んでいた。日差しが肌を照りつけた。

「それにしても夏みたいですね」

「ああ~。雨も降らねぇし変な年だよ」

「梅雨は梅雨で嫌なもんですけど、暑くなればなったでなんですね」

「人間ってのは贅沢な生きもんだよな~」



 二人の吹かしたタバコの煙が入り乱れて、高い空の青色に溶け込んで行く。それがなぜか妙に美しく見え、私はしばらく黙って見つめていた。

 

──ガタンタン!


やがて店の前にある自販機の音が続けて鳴り、圭ちゃんが私の目の前に冷えたコーヒーを差し出す。


「どうしたんですか?島さん。じっと空なんか見ちゃって、おセンチになる季節でもないでしょうに?」

「フッ・・・・おセンチか~。そんなんじゃねぇんだけどさ、この青空に身体が吸い込まれて行くような気がして・・・・頭がおかしくなったんかな?」

「いや、島さん。そういう時って何か不吉なことのある前触れだって、何かの本で見たことがありますよ」

「本当かよ~!?さてはこのコーヒーに一服もったな!?」

「ハハハ・・・・大丈夫ですよ~!致死量じゃないですから!」

「ハハハ・・・・やっぱりそうか~!」


「冗談は別にして、あれからワンギリは掛かって来ましたか?」

「あ~、いや・・あれっきりだよ。やっぱり圭ちゃんの言う通りだったんかもしれねぇな。店と自宅に居るときは電源切っちゃってるってのもあるんだろうけど。そっちは?」

「最近はないですね。昔は智美がいたずらして掛けたりしましたけど・・・・」

「智ちゃんが!?」

「ええ、もともとは通話料を節約しようって、恋人同士などでよく使われていたんですよ。メールと違って鳴らすだけなら請求も来ないですからね。それにちゃんと名前は表示されますし──」


「ったってメールだって安いんだろ!?」

「安いけど、なぜかやらないんですよね~!島さんも俺も」

「フッ・・まぁな!でもどうもあれ以来、出る前に着信表示を見る癖がついちゃって」

「ハハ・・・・俺も未だに着信音を数えたりしますからね」

「そうか・・・・昔!?・・・・最近は?」

「さぁ~?しばらく音沙汰がないから他に男でも出来たかな?さ~て仕事片付けちゃいますか?」

「・・・・・・」


 圭ちゃんはさばさばと振る舞ってピットの奥へと向かう。半年以上見かけない彼女のことを考えながら、その後ろ姿を目で追えば、どこかその背中が小さくも見えた。



───そんなやり取りのあった日の夜。


 自宅に向かって走りだして間もなくのことだった。

 突然鳴り響く音にホルダーに挟んだ携帯に目を走らせると、まるで見計らったように鳴りを潜めたのである。やはり一度だけで見覚えの無い番号が灯された液晶に残されている。


 またか・・・・・・。


 定かな記憶でないにしろ、たぶん前回と同じだと食い入るように番号を見つめ、頻繁になり出した悪さに眉をひそめるのであった。

 次の日、早速それを圭ちゃんに話そうと店へ向かったものの、然程深刻なことでもなかったのか、口にすることもなく時間だけが緩やかに流れた。


「圭ちゃん。ちょっと銀行行ってくるけど」

「わかりました。あ・・島さん。ついでと言っちゃなんですけど、ビニールテープを買って来てもらえないですかね?もう終わりそうなんで」

「わかった!じゃ~帰りに───」


 昼休みが終わる頃、私はそう言って車に乗り込んだ。

 このところの暑さがウソのように窓から吹き込む風は心地良く、暑くも無く寒くも無い快適な日だった。視界に広がる白に近い空を見上げつつ、所用を済ませ店に戻ると時計の針は四時を指そうとしていた。


「あ、すみません。あれ?また随分買って来ましたね」

 ワサワサとした袋を手渡す早々、その重さに圭ちゃんは笑って答えた。

「まぁ、いずれは使うもんだから・・・・誰も来なかった?」

「あ、シジミさんがプーさんの評判はどうですかって来ましたけど」

「シジミ!?・・・・フッ・・アサリか・・・・あとは?」


「あとは別に・・・・あ、そういえば若いOLみたいな人が一人」

「若いOL!?へぇ~。一人で!?・・・・珍しいな~」

「でしょ!ちょっと場違いって感じに見えますもんね」

「この辺の事務員かな?」

「どうですかね?見たことのない顔だったけど、制服っぽく見えましたから、たぶんそうかもしれないですね」

「話掛けなかった?」

「いや~。いつもはどっちかと言うと作業ズボンの人ばっかり相手にしてますから。さすがにブティックの店員みたいに、何かお探しですかとは言えないですよ」


「まぁ、こんな店だからしょうがねぇか~。で、見に来ただけ?」

「いえ。マスコットを買って行きましたよ。プーさんのやつ。しばらくは店の中をうろうろしてたんですけどね」

「へぇ~。どっからそんな話が伝わったんだろ?」

「さぁ~!?でもトラック以外で来る女性のお客さんってのは妙な感じがしますね~」

「ハハ・・・・そういやそうだな」


 圭ちゃんの表情の方が余っ程おかしいとばかり、私は声を上げて笑ってしまった。だが、それは次の圭ちゃんの言葉を聞くまでだった。


「もう笑い事じゃないんですから~。でもラシーンだったなんて俺の勘もたいしたことないですね~」


「ラシーン!?」


 呟いた瞬間、顔に陰りが射すのを感じたものの、違った響きに聞こえたようで、

「ええ・・・・ほら、日産のRVを平べったくしたようなやつですよ」

 と、圭ちゃんは車の特徴を説明する。

「・・・・ああ・・・・あれか・・・・見たん?」

「ええ。帰るときちょっと。なんとなく品がある感じがしたんで、てっきりアウディかなってピピッと来たんですけどね」

「フッ・・あんまり当てになんねぇ勘だな・・・・え~と、明日の予定は何だっけ?」


 平日のこの時間に来ることなど有り得ない。きっと思い過ごしだと自分に言い聞かせてみても、脳裏に浮かんだ顔と圭ちゃんの話す女性とが一致して仕方がなかった。

 しかしながら、私は何事も無かったかのように話を逸らし、何食わぬ顔で予定表を眺めた。


 そうだ。きっとこの辺の事務員に違いない。おかしなものだ。否定すればするほど、もっと具体的にその一人で現れた女性について訊きたくなってしまうのである。


 明日の段取りを交わしながら、私はそのことを腹の中で笑った。

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