第2話

「お疲れさまでした!」


 額の汗を拭う私を、すぐに後輩でなおかつ唯一の従業員でもある圭ちゃんの声が迎えてくれたが、短い言葉だけでも来客があるのだろうと思った。


「こんちは」


 ワイシャツにネクタイ姿の男性が直感的に客ではないと感じたものの、初めて見る顔よりも早く口を開くと、私を見るなり男はすぐに立ち上がった。


「あ!どうも。はじめまして!」

 二十代後半らしき感じの男は深々と頭を下げた後、

「いつもお世話になっております。私、今度こちらを担当することになりました浅利と申す者ですが───」

 と、歩み寄りながら名刺を差し出す。


「あ~!隣の?」

 名刺に記された社名を懐かしそうに眺め、

「あ~、また人事異動があったんかい?」

 お約束の行事を特に驚きもせずに尋ねた私は、出掛けに持った携帯と名刺をカウンターに置く。


「ええ。まぁ今回はたいした異動でもないんですけど、ちょっと配達の数が減ったものですから、私の場合は言うなれば営業兼配達って訳でして──」

「営業兼配達!?じゃ~何かと大変だね。──浅利さん!?この辺じゃ珍しい名字じゃない?」

「ええ。時々訊かれますね。出身は東北なんですよ」

「あ~そ~。全然わからなかったよ」

「ハハ・・・・しばらく東京の方に居ましたから。まぁ言葉に慣れるまでは大変で、しばらく笑われたりもしましたけど・・・・。それで話を戻しますが世間がこんな景気なものですから、会社の方としてもなるべく経費を減らしたいんでしょうね」


「人を使うのは安くないからな・・・・まぁ掛ければ?」

「あ、どうも。え~・・・・島田店長さんって・・・・お呼びすればよろしいでしょうか?」

「え!?・・・・あ・・まぁ構わないけど・・・・」


 突然妙なことを訊くものだと、恐縮そうに座る彼を眺めれば、笑いを堪えたようにこちらをじっと見つめている顔があった。圭ちゃんである。


「あ!?さては圭ちゃんに何か言われたな?」

「いえ・・・・別にそういうわけでは・・・・」


 彼は照れ臭そうに言葉を濁すと、すぐに圭ちゃんが笑いながら口を開いた。


「いや、社長さん居ますかって来たから、ついそんな堅い言い方すると、島さんに嫌われるよって話したんですよ」

「ええ。でしたら栗原さんと同じように島さんの方が良いですかと尋ねたんですが、それだと馴れ馴れし過ぎて駄目だと言われて・・・・ちょうどそんな話をしていた時、戻られましたから・・・・」


「あ~!それで~!ま、社長さん以外だったら好きでいいよ。新しく来た人へのジョークは圭ちゃんの挨拶みたいなものでね。慣れるまではちょっと大変だから」

「まったく、あんなこと言って!この間なんて俺のことを社長なんて呼んだじゃないですか?」

「あ~。あれはだって、外車のセールスなんて言って来たからさ~!───」

 二人のやり取りを営業は目を細め聞いていた。


「あれ?そういや、この段ボールは?」

 私は足元に置かれた見慣れぬ箱に指をさすと、

「あ、実は今度こういった商品も取り扱うことになりまして、しばらく置いていただけないかとお持ちしたんですが・・・・」

 と、彼は慌ただしくその箱を広げ、子供向けのようなマスコットを取り出して見せた。


「トラックパーツ屋で、こんな熊みたいなのが売れるんかな?」

「あれ?島さん。やだな~!子供いるんだからプーさんくらい知ってるでしょ?」

「まぁ~知ってるけどさ~・・・・あれ?なんで圭ちゃんが知ってるん?」

「何言ってるんですか~!もうこんなの世間の常識ですよ~。なんて実は智美がこの手のやつ好きなんですよ」


 そう言って圭ちゃんは、掌くらいの大きさの人形を手にとって眺めた。


「あ~!智ちゃんがね。あ!だったらもう一つ捌けたな。いいよ。あとで給料から引いとくからさ」

「もうすぐこれなんですから。あ、じゃ~島さんところも二つですね~!」

「そうか~!じゃ~これとこれって、身内で買ってどうすんの!」


「ハハ・・・・まぁ、そんな感じで買われて行く方もいらっしゃると思いますから、どうでしょう?」

「そうだな・・・・あ、ちなみにこれって買い取り?」

「大丈夫です。委託ですから安心してください。なにぶんこの手の商品は配達が大変ですからある程度は置いてもらいたいんですよ」

「それもそうだな。プーさん一匹!なんて頼む方も頼み辛いしな。──わかった。良いよ!」

「ありがとうございます。でもこうして二人の話をお聞きしてますと、どうして売上が他店ほど落ち込まないのかわかるような気がしますね」

 と、営業は仄々とした顔を浮かべた。


「そう?」

「ええ。うちの会社全体にも言えることなんですが、景気が思わしくないですからね。特にこういった贅沢品みたいな商品は買い控える傾向が強くて・・・・」

「まぁね~。確かにそれはあるな。ま、何してるってこともないんだけど・・・・なぁ、圭ちゃん?」

「そうですね。でもけっこう来てくれたお客さんの口利きってのも多いですかね」

「その辺が二人の人柄なんじゃないですかね?」


「さ!?どうだろう?ま、あとは研究熱心な社員かな?」

「も~島さん。冷たいの飲みたいんなら飲みたいってちゃんと言ってくださいよ」


 笑いながら慌てて席を離れる圭ちゃんを私と営業は微笑ましく見つめていた。


「でも正直・・・・あいつには助けられててね。家の奴よりも馬が合うっていうか──」

 タバコの煙を燻らせながら、初対面である営業に話して聞かせると、

「なんだか羨ましいですね。そんな関係の人と仕事が出来るなんて・・・・」


 浮かべた笑いの中にしみじみとした台詞を交え、しばらくしてから営業は丁寧に頭を下げ立ち去って行った。時間は昼になろうとしていた。

 圭ちゃんは飯の用意をしながら、慣れない大型の納車についてあれこれと訊き始め、私もその出来事をこと細かく伝えた。



「──あのコンビニのところじゃ、けっこうきつかったでしょ?」

「いや~!きついきつい!自分じゃ楽勝だと思ったんだけどな。思ってたよりあのポールが邪魔で・・・・って言うかしばらく走ってねぇせいだろうなぁ・・・・だけど参ったよお巡りにも止められるし」

「それは散々でしたね。これからは納車は断った方がいいですかね!?」

「そうも言えねぇ客も居るからな~。でもこんな時は免許取ってて良かったよ」

「そういやもう一年経つんでしたっけ。あ、教習所っていえば島さん?」


「教習所!?」

「やだな~。前に言ってたじゃないですか?」

「え~と・・・・なんだっけ?」

「二代目になったから変わるよってやつですよ」

「あ~。あれ!?」

「それでこの前偶然通ったんですけど、砂利だった駐車場が奇麗に舗装されてたんで、びっくりしちゃいましたよ」


「え!?あそこがか?」

「あれ!?知ってたんじゃなかったんですか?」

「え・・・・あ・・・・しばらく通ってねぇからな~・・・・他に何か変わったところはあった?建物なんかはどう?」

「建物ですか?う~ん・・・・ちょっとそこまでは見なかったですね・・・・やっぱり通ってた島さんの方がよくわかるでしょうから今度見てくださいよ」

「ああ・・・・そうすっか・・・・」


 消え掛けていた顔がまた脳裏に浮かび、思わず私は言葉を詰まらせる。複雑な表情の私とは対照的に、その涼しそうな目元は穏やかに笑っていた。


「どうしたんですか?」

「いや・・・・なに・・・・そうだ。あの営業以外は誰も来なかった?」


「ええ。あ・・・・島さん・・・・携帯」



 突然、鳴り響いた着信音にすぐさま圭ちゃんは反応してみせるが、席を立つ間もなくそれは鳴りを潜めてしまう。わずか一度だけだった。徐に歩きながら、


「あ、電源切り忘れてたんだ・・・・ん!?間違いだったんかな?」

 と、呟きながら手にすると見慣れぬ携帯の番号が表示されている。

「知り合いからですか?」

「いや・・・・知らねぇ番号だな~。とりあえず掛けて確かめてみるか」

 そう言ってリダイヤルしようとした瞬間、


「あ!島さん!ちょっと!?」


 と、圭ちゃんは食べたものを喉に詰まらせるような勢いで私を制止した。

「どうしたん?急に?」

「島さん・・・・ちょっと待ってください・・・・それってきっとワンギリですよ!」

「ワンギリ!?ワンギリってあのアダルトとかに繋がるってやつか?」

「そうですよ。この間俺の携帯にも掛かって来て、うっかり掛けるところだったんですけど、それってかなり臭いですよ」

「でも、これは携帯の番号になってるから違うんじゃねぇの?」

「いや~今はどんどん悪質になってて、転送って手もあるらしいですからね。話しによると十万も請求された例も実際にあるそうですよ」


「十万!?」


「ええ!必ずしもそうとは限らないでしょうけど、一応知らない番号は注意した方がいいと思いますよ」

「・・・・それもそうだな。番号を教えてあるのは限られた奴だけだし、うっかり掛けて十万じゃ適わねぇからな~」

 と、私はその見慣れぬ番号を着信歴から削除し電源を切った。


「しかし、頭が良いっていうのか、悪知恵の働く奴が出て来るもんだな~」

「まったくですね。つい掛け直したくなりますもんね」



 携帯に表示された番号は、わずかに見た程度でしかなかったため、記憶にも残らなかったが、それからしばらく掛かって来ないことから、きっと圭ちゃんの言うワンギリに違いないと思った。

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